あまりの揺れに私は立っていられなくて、その場に膝と手をついた。低い唸りのような地響きと、岩が割れる乾いた音と、遠くの空気さえ震わせる落石の衝撃。もうここはだめだ。私はきっともう、デスパレスには帰れない。天空の勇者一行のような上への脱出経路を持たない私は、落ちてくる大岩に潰されるか、地底でたぎるマグマに融かされるかして死ぬのだろう。死ぬことは決まったようなものだから、もはや死に方なんて些末なことである。
デスピサロと勇者たちとが相討ちするところを見届けて来いと、私の上司であるエビルプリーストさまは仰った。相討ちとはいかなかったけれど、デスピサロが敗れたのだから結果は上々だ。ご報告に上がることは叶わなくても、このデスマウンテンが崩落を始めたことは、デスキャッスルからもすぐに分かることだろう。デスピサロが滅んだことも、恐らくは同じように伝わる。
きっと今ごろ、エビルプリーストさまはデスパレスの玉座を我がものにしているはずだ。昨日までの玉座の主は、今は少し離れた地べたの上で、無様に伏している。
革命とは、こんなにもあっけなく完結するものなのか。廃される側はこんなにも惨めなのかと、デスピサロを見てそう思う。
「……、ぐ……」
デスピサロの呻きに合わせて、その銀髪が僅かに流れる。投げ出された手がぴくりと跳ねたかと思えば、何かを探すように地を這った。
骨張っていて力強いはずのデスピサロの手は、今は頼りなく弱々しい。その手が何を求めているのかは知らないけれど、彼が今掴めるのは、せいぜい幾らかの砂粒くらいのものだろう。彼の愛剣は手の届くところにはないし、抱き締めるべきエルフもいない。
デスピサロが自身に進化の秘法を施したのは、エビルプリーストさまの命令でロザリーが亡き者にされてすぐのことだった。恋人を失って、彼は人間への憎しみを糧に、すべてを棄てたのだ。ロザリーの死が、私やエビルプリーストさまに手引きされたものだとも知らずに。
愚かだなあ。魔族の王を名乗りながら、たかがエルフ一匹の為に進化の秘法を使うなど、愚かの他に何と表現したら良いのだろう。ロザリーヒルののどかな光景を思い出すたびに思う。あんな穏やかな暮らしに未練を置いてくるなら、彼は私たちの王になどなるべきではなかったのだ、と。
「……ロザリーが死ねば、少しは王さまらしくなると思ったのに」
揺れる地面を這って、デスピサロの表情が窺えるくらいまで近づいた。その瞳は虚ろに揺れるばかりで、私を捉えない。
王さまらしくない王さまだった。ロザリーの件だけじゃない、勇者の住処に征った時もそうだし、他にも挙げればきりがない。彼の為の玉座はいつだって空っぽだった。それを見るたびやるせなくなる私たちを、デスピサロはきっと省みたことさえ無い。
王に足は必要ないのに。王には、部下に命じる為の顎と指先があれば良い。全てが成されるのを、ただ玉座で待つだけで良いのだ。それができないデスピサロは、初めから私たちの求める王ではなかった。だから、裏切られた。私の考えの正しさは、今この場で倒れ伏すデスピサロ自身が証明している。
デスピサロはすっかり虫の息だった。身体の限界まで天空の勇者たちと闘い、進化の秘法も解けた今、傷の修復すらできずに、彼は緩やかに死に向かっている。
とうに死んでいてもおかしくないのに未だに命を引き摺っているのは、彼自身の意思なのか進化の秘法によるものなのか、私には分からない。みっともなく生にしがみついているようにも、生物の理に逆らって進化の秘法を施したことへの罰を受けているようにも見える。どちらにせよ、どうせ死ぬことには変わりないのだけど。
地響きがいっそう激しくなる。いよいよここも崩落するのか。身体を伏せながら、私は存外冷静だった。頭上からぱらぱらと、岩の欠片が降る。
身を屈めた私の左の手に、何かが触れた。およそ無機物の温度ではないそれに驚いて見遣ると、先程まで岩肌を撫でていたデスピサロの手が、私のそれに重ねられている。白い指先はところどころ乾いた血で赤黒くなっていた。死の間際にいるくせに、デスピサロの手は熱い。
「……なに、この手。地獄に行くのがこわくなったの?」
「……リ、……」
「えっ?」
口の端から血を垂れ流しながら、デスピサロは何かを言った。地響きにかき消されてほとんど何も聞こえなかったけれど、彼の目は私を見ていた。私に今更、何を言うというのか。
そっと彼に顔を近づけると、鉄のにおいがした。
「ロ、ザ……」
尖った耳を寄せてやっと拾った言葉に、何とも言えない気持ちになってしまった。顔を寄せるのをやめて、私は彼を見る。私を見上げる焦点の合っていない瞳は、まるで微睡みの中にいるかのように、弱々しく揺れていた。
まさか、私をあのエルフと錯覚している? 冗談にしてはたちが悪い。よりによって、ロザリーが死ぬよう仕向けた私をロザリーと見紛うなんて。これも進化の秘法の作用だというの?
けれどデスピサロは本気のようで、空いている方の手を一生懸命に伸ばそうとしていた。私の輪郭に触れそうで届かない手を、私は右手で掴む。頬まで持っていってやれば、感触を確かめるように何度もなぞられた。
「……ほんとに、仕方のない……」
呟きながら、思わず笑えてきてしまった。死の間際まで、捨てたはずの心は愛に傾くらしい。王さまの、なんて美しく下らない愛だろう。
「いいよ。最期くらい、ただの男に戻りなよ」
デスピサロと視線を通わせる。ほんの少しだけ、口角を押し上げてみた。
「……ピサロさま。私、ここにおります。最後まで、いえ、地獄まででも、ずっとおそばに」
「……、ふ……」
目を細めて、デスピサロは穏やかに笑った。長いことデスパレスにいたけれど、彼のこんな表情は初めて見る。──この人は、あのエルフの前ではこんな風に笑うのか。私たちの王さまだった人は、あのエルフにだけ、この顔を見せていたのか。最後の最後で私なんかに見せてしまうなんて、馬鹿な人だ。
ひときわ大きな音が、私のすぐ下から鳴る。縦揺れが突き抜けると、足場だった岩は一瞬でひび割れて、欠片になって散っていった。終わりだ。
宙に放り出された私とデスピサロは、塵やら石やらと一緒くたにされて、下へ引き寄せられていく。これまでにしてきたことを考えれば、お互いに行き先は地獄だろう。地獄で目を開けた時、ロザリーでなくて私がいたら、デスピサロはどんな風に落胆するのだろう。いや、地獄にロザリーがいないことに、むしろ納得するかもしれない。想像するだけで何だか面白くて、ふふ、と笑いが漏れた。これから死ぬというのに、心は一秒ごとに凪ぐ。
風を切って落ちていく間も、私とデスピサロの手は繋がれたままだった。燃える溶岩は、私たちを迎え入れようと波打っている。地獄まであと少し──目を閉じて、ほんの短い間だけれど、私を待つ世界に思いを馳せた。
地獄にも、花は咲くのだろうか。
DQ魔王夢企画「魔王の夢」さまに提出させていただきました。参加させていただきありがとうございました!