*名前は日本人名で書いてます
午後十時。街灯と月明かりだけを頼りに大通りを走り抜け、楽は裏路地へと逃げ込んだ。物陰になりそうなところを探して身を潜め、荒れた息を整える。懐を手で探り、ピストルに弾薬を補充した。
「クソ……」
呟いて、はぁ、とため息を吐く。家までの道のりはまだ遠い。護身用の銃しか持たない楽は、無事に安全な場所に逃げ込めるかすこし不安になってきた。
この街に異変が起きたのは夕方ごろだった。噂で聞いた話ではあるが、セントラル総合病院から突然ゾンビ──ギャザードが現れたのだという。彼らは瞬く間に増殖し、街の人間を襲って回っているらしい。俄には信じられない話ではあるが、実際、家に帰ろうとした道中で楽が見たものは、まさにゾンビであった。
中途半端にヒトの形を残したそれは、皮膚が腐敗し、頭部を隠し、不気味な叫び声を上げて襲いかかって来る。こいつにやられたらまずい、と本能で察するのは容易かった。
遭遇したギャザードに何とか応戦し、隠れながら自宅への道を進んだ。一刻も早く自宅に辿り着きたい。彼女の安否が心配だ。
楽には、ハイスクールの頃から交際している恋人がいる。名をナマエ。夕方から何度か電話をかけたが、ナマエが応答することはなかった。昼間は出かける用事があると言っていたから、無事に帰りついていたら良いのだが。
「もう一回、かけてみるか……」
ポケットから携帯を取り出して、手早く操作をすると楽は携帯を耳に当てた。コール音がかかり始めたのを、すこし苛立ちながら聞く。
ピリリ。空間を切り裂いたその音に、楽は顔を上げる。ナマエは、着信音を初期設定から変えたことがなかった。この世にたくさん流通している携帯端末の、デフォルトの着信音。耳慣れているからと言って、それがナマエのものとは限らないはず、だ。
隠れている場所から頭だけを出して、暗がりに目を凝らす。何かうごめいている影の、頭にあたる部分は丸い形をしていた。そこから垂れ下がる、ヒラヒラとしたもの。布頭のギャザードだ。ポケットだろうか、そこからはみ出た四角いものが、電子音を鳴らしながら発光している。ギャザードが動くと、その四角い板状のものは地面に落ちた。まだ、鳴り続けている。
応答されない通話を、切った。地面に転がったそれが光るのをやめ、聞き慣れた音も止まった。
「………」
楽はそこから立ち上がる。突然現れた人影にギャザードも気がついて、注意が向いたようだ。
携帯に備わっているライトをつけて、楽はギャザードにそれを向けた。眩しかったのか、ギャザードが左手で頭部を庇う。ライトを、何かが反射した。
きらりと光るものが、左の手首に通されている。それを見て、楽は息を呑んだ。
ハイスクールの頃ナマエに渡した、花をモチーフにしたブレスレット。あれを、ナマエが外している日はなかった。
まさか。そう思いながら、楽はギャザードに銃口を向ける。セイフティを解除すると、ギャザードはうろたえたようにわずかに後ずさった。
「……ぅ、……」
喉を震わせ、ギャザードは頭部の布をすこしだけ捲りあげた。目鼻立ちまではわからないが、腕や足と同じ、腐敗した皮膚がくすんだ色をしていることはわかった。
雲が晴れて、月明かりがギャザードを照らした。口元の動きがよくわかるほどに。
こ ろ し て
声なき言葉を見届けると、楽は黙って引き金を引いた。そして、黙ってその場を立ち去った。