(黒蝶のワルツの続き/ストーカーの話) あの日を境に、私は友達が居なくなった。 否、自ら友達から避けていると言った方が正確か。親友であるネルはそんなリンに何かがあったのかと思い、とても心配そうに一人で席に付いて外を眺めるリンに目を向けている。 そして先輩であり友達でもあるミクオは、あの日の次の日に右腕を包帯で巻いており。まさかあの時、先生が握っていたサバイバルナイフにこびり付いていた鮮血は、彼のものだったのかもしれないと顔を青ざめた。 本当はネルの所へ行って一緒に会話を楽しみたいし、あの時の事を相談したい。そしてミクオの所へ行って怪我の事を聞きたいし、謝罪もしたい。 それでも駄目なのだ。 自分が関わりを持って、これ以上その人達を傷付けたくない。 リンはそっと目を伏せ、吐き出せれない不安を飲み込んだ。 先生が家に上がり込んだあの後、血のこびり付いたサバイバルナイフを机に置けば、まるで何事も無かったかのように嬉しそうに微笑んだ。 そしてまるで昔から恋人だったかのように抱き締められて、そのままベッドに連れて行かれた。込み上げてきた恐怖に叫んで抵抗すれば、彼は困ったような笑みを零し額にキスを落とした。 そしてその後、彼は何をする事もなくただただリン眺めたり部屋を見て回ったりしていた。それでも落ち着く事ができなくて正座で座ったまま俯いていれば、彼は"また来るね"とだけ告げて出て行った。 一体何がしたかったのだろうと疑問に感じながらも、彼がこの家から出て行ったにも関わらず誰かに見られている感覚が消えなくて。リンはそのままベッドに潜り込めば、震える体を丸めて冴え切った目を思いっきり瞑った。 そして次の日、あの手紙は来なくなった。 それでも手紙を捨てる事が怖くて、顔の塗りつぶされたあの写真が怖くて、人と関わる事が怖くて。 電話機も回線を抜いたまま、ファックスの紙も補充していない。 それを元に戻してはいけないような気がして、触れる事が怖かった。 携帯電話のアドレス帳を開き、ネルの携帯番号を写した画面を眺める。電話をしようとして、やっぱり止めた。 そのまま閉じて、机に置けば零れるのは深い深い溜息。 学校でも家でも変わらず誰かからの視線を感じてしまい、緊張の糸を解す事ができない。誰か、の正体は知っているが未だに信じられない自分も居て。 それでもあの時彼が机の上に置いたまま忘れて帰った、赤いサバイバルナイフがこれは現実だと訴えてくる。 鏡音レン先生は情報処理の先生なので、あまり会う事はない。それでもその授業の時は、前以上に意識してしまい。視線が痛くて痛くて、彼に目を向ける事が怖かった。 リンは小さく溜息を零して目を伏せる。 すると突然、コンコン。と、玄関の扉が鳴った。 扉にはこの間ネルに言われた通り、鍵とチェーンをきちんとしている。もしかしてネルかミクオが心配をして家に来たのかもしれない、と思い。 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも玄関口に向かおうとして、足を止めた。 コンコン、コンコン。 コンコン、コンコン。 一定のリズムで終わる事のないノックの音。 もしネルとミクオなら、一回のノックで止める筈だ。いやそれ以前にチャイムを鳴らすのが先だ。 リンは思わず後ずさり、鳴りやまないノック音から逃れるように耳を塞いで声を押し殺す。 すると、その人物はリンが家に帰ってないと思ったのか、音が鳴り止んで家から離れる足音が響いた。 次の日。最近きちんと熟睡できていなくて、ぼーっとする頭で学校に着く。 そして自分の机にうつ伏せになり寝ようと瞼を閉じかけて、そして開けた。眠気を紛らわすように頭を左右に振る。 家程ではないが、学校でも感じる人の視線。 自分の安心できる居場所なんて無いのではないかと思ってしまう。 助けてほしいのに、助けを呼べれない。このもどかしさに涙が出てきそうになる。 そんな時、ぐいっと腕を掴まれた。思わず体が跳ね上がり、目を見開いてその人物を見る。 するとそこに居たのは、親友の亞北ネルだった。 彼女は怒っているような心配しているような、そんな表情でリンを椅子から立たせれば。何も言わずそのまま腕を引かれ、引っ張られるような形で彼女に着いて行く。 どうしたの、とか。どこに行くの、とか。彼女に問いかけてもその言葉は儚くも消えていく。まだ登校時間なので時々擦れ違う生徒達の視線を感じながらも、彼女の背中を見つめる。 そして漸く辿り着いたのは、パソコン室。別名、情報処理室だった。 ネルが扉を開けて中に入り、リンも続いて入る。するとそこには、ミクオも居た。 リンが驚いていればネルに椅子に座るように促され、近くにあった椅子にそっと腰を降ろせば、ネルは一つ溜息を吐いてリンに向き直った。 「単刀直入に聞くけど、どうして今までみたいに相談してくれないのよ?」 「え?」 「リンが最近皆を避けてる理由、それってこの前の手紙の件と関係してるんでしょ?」 相談してよ、寂しいじゃない…。 そう言って目を伏せるネルの後でミクオも頷く。彼の右腕にある包帯が目に入り、それも含めてリンは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 暗くて顔は見れなかったけど、今度こそリンは僕が守るから。 そのミクオの言葉がじんと胸に染みて。リンを安心させるように微笑むミクオの姿と、心配で胸が押し潰されそうな親友のネルに涙が零れそうになった。 ありがとう、ありがとう。リンは何度も二人に感謝の言葉を告げれば、ネルは微笑み。 そして、御礼を言うなら私と初音先輩だけじゃなくて鏡音先生にも言ってね。とリンの後を眺めた。 え。と、リンはゆっくり後を振り返る。 するとそこには、いつから居たのか鏡音先生が優しい笑みを浮かべこちらを見下ろしていた。 再び高鳴る心臓に、喉の奥で詰まる言葉。どうして、どうして、どうして。 リンは目を見開けて彼を見上げる。するとネルは説明するように微笑んだ。 「実はね、リンがストーカーの被害になっているって事を鏡音先生だけが信じてくれて相談に乗ってくれたんだよ」 「俺の生徒が被害にあってるのにほっとけないからな」 本当に心配そうに顔を歪める先生の姿にリンは小首を傾げた。 あれ、やっぱり先生がストーカーじゃなかったの?でも、え、あれ? 突然の状況に上手く脳内が整理できなくて、まるで一人だけ取り残された気分だ。それでも、大丈夫だよ俺たちが守ってあげるから安心して。と微笑む先生の笑顔に少しだけ安心した。 その優しさが、あの時の彼とは全くの別人のようで。正体の分からない違和感だけが胸の中を渦巻いていった。 今日は久しぶりにネルと会話を楽しみ、帰りはミクオと一緒に帰った。 それだけでピンと張りつめていた緊張感を解す事ができて、本当に久しぶりに安心感を堪能できた。 家に着けば安堵の溜息を吐きだし、そのままベッドの上に倒れ込んだ。机の上にある血の付いたナイフ。それに目を向ければ学校での先生を思い出し、もう何もかも分からなくなる。 本当は今までストーカーしていた人物は他に居て、先生はただそれから自分を助けてくれようとしたのではないのか。 そんな考えが浮かんだが、ナイフの隣に束ねてある手紙を見て首を左右に振り、その考えを掻き消した。 そんな時。 コンコン、コンコン。 聞こえてきた音に目を見開けた。 コンコン、コンコン。 コンコン、コンコン。 昨日と同じように一定のリズムで鳴り響く音。もしかして先生なのかと思ったが、それでもそうじゃないと信じたい気持ちがまだ心のどこかにあって。 リンは耳を塞ぎ、かたかたと震える体を縮ませて声を押し殺す。 昨日のように居留守を使えば、昨日のように諦めて帰るだろう。そしてそれをずっと繰り返していけば、その人物も飽きてしまうであろう。 そんな願望のような考えを頭の中で無理矢理信じ込む。そうでもしないと精神的に持ちそうになかった。 コンコン、コンコン… 暫くするとノック音が鳴り止み、昨日のように離れていく靴音が聞こえた。 ほっ。と胸を撫で下ろせば、リンはベッドに項垂れる。 すると携帯電話がチカチカと光っている事に気付いた。そっとそれに手を伸ばし、そっと開いてみれば。 そのメール受信数に目を見開けた。それは36件来ており。 相手のアドレスは知らない人からで、件名は無題。全て同じアドレスからの受信で、震える指先でそのメールを開く。 するとそこには、愛してる。とか、どうして。とか、開けて。とか。 一つ一つのメールに、そのような単語単語が書かれている。 そして最後のメールには"居るのは分かってるんだよ、震える姿も可愛いね"と書かれていた。 リンは思わす携帯電話を投げ落とし、ベッドの隅に寄り体を震わせる。 (誰か、助けて……) そして次の日。 ネルに相談すれば警察に行った方が良いと言われた。リンはどうして今まで気付かなかったんだろう、と思い彼女の言葉に大きく頷いた。 レン先生には警察に行くという事は伝えていないがネルに今回の件も聞いたのか心配そうに、何もできなくてごめん。と頭を撫でられた。 その手のひらが温かくて、大きくて。小さな安心感に胸の奥が少しだけ楽になったような気がした。 帰り道。昨日と同じで隣にミクオが居り、帰りに一緒に警察に来てくれるらしい。 そんな時、ふと携帯電話に目を向ければちかちかと光り、メール受信を知らせている事に気付いた。 それを見れば相手はまた知らないアドレスで、件名は無題。 ミクオの話に耳を傾けながらそれを開けば、絶句した。 "そっちは家の方向じゃないよ"とか"もしかして警察に行くの?"とか"なんで?"とか。 もしかして見られているのかもしれないと、リンがミクオの方へと目を向ければ、静かに。と耳打ちされた。 「近くに居る…。リン、今日は危ないから明日、学校に行く前に警察に行くからね」 辺りを警戒しながらリンの手を引いて、家へと向かう。 彼の言葉は最もな判断だと思う。このまま警察に行こうとすれば確実に目の前に出てきて、また彼に傷を負わせてしまう。たぶん彼はリンが傷付いてはいけないと思っての判断だとは思うが。 それでもこれ以上自分のせいで誰かが傷付く事は嫌だ。 家まで送られて、また明日。と言葉と言葉を交わす。そしていつものように鍵とチェーンを掛けたことを確認して、そのまま部屋の中へと入って行った。 暗い部屋の電気を付けて、明かりを取り戻す。鞄を床に置き、すとん。と椅子に腰を下ろした。 きっとまたあのノックをする人物は来るであろう、それでも明日になればまた普通の生活に戻れる。 そう、今日を乗り越えれば。 大丈夫、大丈夫。ノックも無視して、挑発的なメールも無視して、徹底的に居留守をすれば良い。相手には本当に居るのか居ないのか分からないのだから。 そうすれば昨日と一昨日のようにまた帰っていく筈。 チッチッチ…。と少しずつ進んでいく時計の針の音。その音がとても煩く聞こえてしまう。 その時。 コンコン、コンコン。 昨日と一昨日と同じように一定のリズムで鳴り響く音に、リンは肩を震わせた。 コンコン、コンコン。 コンコン、コンコン。 リンは耳と口を塞ぎ、声を押し殺す。なるべく音を出さないようにして、目を瞑る。 コンコン、コンコン。 大丈夫、大丈夫、大丈夫。 コンコン、コンコン。 このまま、このまま、このまま。 コンコン、コンコン… ノックの音が鳴り止み、リンは安堵し口から手を離した。その時だった。 RRR…RRR… 突然鳴り響く着信音。リンは肩を震わせ、思わず零れる小さな悲鳴。 携帯電話を見れば、着信相手は非通知だった。非通知着信を拒否設定した筈なのに、なんで。という考えなんて真っ白な頭で考えれなくて。 そっとそれに手を伸ばせば、今度は玄関の扉がドンドンと激しく鳴った。 溢れる音に恐怖を感じて体を震わせ、携帯電話を床に落とす。鳴りやまぬ着信と扉の音。 暫くすると、ピタリと音が鳴り止んだ。 同時に鳴り止んだその音に、リンはずるずると床に腰を下ろす。 カチャリ。 その時、鍵が開けられる音がした。 パチン。 その後、チェーンが切られる音がした。 ぎし、ぎし… そして、床を歩く音が聞こえてきた。 息をするのを忘れ、見開いた眼で真っ暗な玄関口を眺めていれば。 RRR…RRR… 静かに鳴り響く着信音。リンはそっとそれに出れば。 それと同時に現れる人物。 「リンはこれからもずっと俺だけが守ってあげるからね」 にっこりと優しげに微笑む彼は、先生である鏡音レンで。 今まで信じようとしていたのに、それが自分の首を自分で絞めていたなんて思わなくて。 助けてほしい時に現れたのは、そのストーカーである張本人で。恐怖で麻痺してしまったこの感情。 先生のその表情が本当に優しくて、頬を触れるその掌が本当に安心できて。 何が何だか、もう全てが分からなくなった。 黒蝶のロンド -------------------------------------------------------------- 黒蝶のワルツの続き。 先生ヤンデレン×生徒リン 自分がストーカーしてるという自覚はなく、リンを守っているんだと思い込んでいるヤンデレン様です。 リクエストありがとうございました! |