チチチ…とありきたりな小鳥の声。昨日もその前の日も同じ朝のむかえ方。
いつもと同じように朝の挨拶をして、いつもと同じように初音夫婦(実際にこのように呼んだら怒られた)と他愛のない会話をして。
そして学校に入れば、自分を偽る。
そんないつもと変わらない日々を、今日からも続ける。そう思っていた矢先だった。
ミクとミクオと別れて、保健室へと向かい扉を開けば見覚えのある黄色が目に入った。一瞬何かのデジャヴかと思う程驚いた。
目の前に居たのは、昨日脅し反してやった王子様。鏡音レンが居たからだ。
流石に昨日の今日でもう会う事はないだろうと思っていたので、リンは驚嘆のあまり深い溜息を零した。
そんなリンの心境を知ってか知らずか、レンは爽やかな王子様スマイルでおはようと軽く右手を翳した。そしてきょとんとした顔で小首を傾げる。

「どうしたの?溜め息なんてついて」
「…ちょっと疲れただけだから大丈夫よ。心配してくれてありがとう」

にこりと彼へ微笑みかければ、それに比例するようにレンはほっと胸を撫で下ろした。
そんな彼を片隅に、リンは鞄を机の上にそっと下ろし、その中から教科書と読書用の本を取り出す。そして筆記用具も取りだそうとしてピタリと動きを止めた。
別に筆記用具を家に忘れたというわけではない。ただ視線が気になったのだ。
リンは困ったように愛想笑いを、視線を向ける人物に向ける。すると彼とぱちりと目が合う。
ん?と、どうしたのかとさり気無く小首を傾げるレン。
その仕草一つ一つが本当に綺麗で、この隙の無い完璧さが本当にむず痒くて。違和感がぐるぐると廻り、気持ち悪い。
あんまり見られると恥ずかしいな、と苦笑を零せば彼は一つも動揺せずに、駄目?なんて。
もう何を言っても無駄だと分かったので、それ以上は何も言わず改めて鞄の中から筆記用具を取り出した。
カチ、カチ。静かに進む時計の針をちらちらと確認しながらも本と彼を交互に見る。未だにレンはリンを見る事を止めず、じっと薄く微笑みを浮かべながら見つめている。
一体何のために保健室にきたのやら。目的の分からない彼の右手の手の甲には昨日と同じところに絆創膏が貼られている。
まだ傷が治らないのかと呆れながらも、もう少しでチャイムの鳴る時間に針が刺そうとして心を躍らせた。
あと一分もしないうちに鳴るであろうチャイムを待っていれば、彼は唐突に口を開いた。

「ねぇ、鏡音さん。教室に行こうよ」
「…え?」
「今日は久しぶりに教室に行こうって言ってるんだよ。いいよね?」

そう問いかけながらもレンは先程取りだした教科書と筆記用具、それにリンが呼んでいた本も取り上げて鞄の中に詰め込んだ。
そしてそれを持って扉を開ければ、鳴り響く予鈴の音。待ちに待った予鈴は、この状況では少しタイミングが悪すぎた。
顔はにっこりと笑っているのに目が笑っていない。リンにとってそれ妙に不気味で仕方がなかった。
リンは顔を引きつらせ立ちすくんでいると、否定は許さないとでも言うように彼女の手のひらをぎゅっと握りしめる。彼の握る手の力が強く少し眉間に皺を寄せれば、再びにこりと微笑んだ。
そのまま保健室を出れば、保健室の先生であるルカが唖然と立ちすくんでおり、レンは彼女に一礼してするりと横を通り抜ける。
少しだけルカが不機嫌なオーラを漂わせていたが、あまり気にせずリンも小さく一礼した。


廊下に響く、二人の足音。
今は一限目が始まっているはずなので、足音が二人のものしかしないのは当たり前なのだが。リンは正直な話、教室に行くのが好きではなかった。
別に嫌われて、苛められているわけではない。むしろその逆。皆に好かれている自身は大いにある。
それでも教室が嫌いな理由は、疲れるからだ。ずっと自分を装って生きてきたが、未だに慣れる事はなく。寧ろだんだん疲れが増していくばかりで。
だが今更自分の本性を晒す理由もない。何故なら、自分を装っている方がいろいろと便利だから。
リンは、はぁ。と小さく溜め息を吐きだせば、それがレンにも聞こえたのか突然くすりと肩を震わせた。
それに疑問符を掲げ、どうしたのか問いかけてみる。

「…いや。なんでもないよ。」
「そう。なら手を放してくれませんか?」
「なんで?」
「私、保健室に戻り、」
「駄目ですよ。…それにもう遅いですから」

再び疑問符を頭の上に掲げていると、戸惑いもせずにガラッと目の前の教室の扉を開けた。
いつの間に教室の前に来ていたのだろうとか、最悪だという言葉が頭の中に響き渡る。
その教室の中は殆どの人間が驚嘆の顔を現わしている。爽やか王子様が保健室登校のマドンナの手を握って、これまた爽やかに遅刻してきたら誰しも驚くであろう。
そんな異様な空気の中、リンはカイト先生の姿を確認すれば、今は数学の時間なんだなと理解する。
そして、白のチョークを片手に驚いていたカイト先生は、はっと思い出したように口を開いた。

「…あ。鏡音君が遅刻なんて珍しいな。鏡音さんは授業に出ても大丈夫なのかい?」
「先生、すみません。実は、」

なんでも鏡音レン曰く、朝教室に向かっていたら廊下で困っている鏡音リンを偶然見つけ、久しぶりに授業を受けようと思ったが久しぶりすぎて迷ってしまったらしい彼女と一緒に教室に来たら遅れてしまったらしい。
しかもリンの体が弱いことを知っていて、彼女のペースにあわせたとかなんとか。
よくもまぁそんなデタラメがペラペラとでるものね、なんて。皆に関心される彼をリンは一人、冷めた目で見つめた。

久しぶりに自分の席に座る。前に座った時とは席が変わっていたので席替えをしたのであろう。と、数多の数列が並んだ黒板をぼんやりと眺める。
時々隣の席の人に声を掛けられ、作った笑顔でそれに応える。そんな自分に吐き気がした。
しかしそれ以上に頭を抱えたかったのは、後の席。そう、リンの後の席は、彼女を教室へと連れてきた張本人。鏡音レンだ。
背中から強い視線を感じるが、気のせいだという事にしておく。
カリカリとシャーペンが紙の上を滑る音を立てながら小さく溜息を吐けば、黒板に問題の羅列を並べた先生に解くように指名される。
リンはそれを意図も簡単に答えれば、生徒たちの歓声と共に後ろからリンにだけ聞こえるような声で"鏡音さんは嘘と数学が得意なんだね"なんて聞こえてきて。
それを顔色一つ変えず、スルーして再びノートにシャーペンを走らせた。
周りの歓声と同じ。気にするだけ無駄なのだ。

一時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
久しぶりに教室で授業をしてせいか、少しだけ肩が凝ってしまった。ふう、と溜息を洩らせば、隣から心配するような声。
リンはそれに儚げな笑顔で、大丈夫だという事を告げれる。しかしこのままずっと教室にいるのも息苦しいので、保健室に行く事をその生徒に告げれば。
その生徒が一緒に行ってあげようかという台詞を吐く前に、後の席がガタリと音を立てた。
「リン、大丈夫?僕が保健室まで送っていくよ?」

その清々しいほどの綺麗な作り笑いに、思わず吹き出すかと思った。また、名前で呼ぶなんて馴れ馴れしいと思いながらも、リンは彼に困ったように微笑めば。

「いいえ、一人で大丈夫よ。鏡音君に迷惑はかけたくないから。」

そのまま椅子から立ち上がり鞄に手を掛ければ、突然取り上げられるように彼に奪われた。
そして、まるでエスコートでもするように軽く背中に手を添えられて、顔を覗き込まれる。
驚いて目を見開けば、彼は怪しく口角を釣り上げた。それは一瞬で、確実に周りのクラスメイトは気付いていないであろう。
周りから見れば、誰にでも優しい王子様がか弱いお姫様をエスコートしている様に見えるのだろうが、リンには嫌な予感しか湧いてこなかった。

「駄目だよ、僕が心配だから。それに、今更畏まらなくてもいいんだよ?」
「……?」
「僕達、付き合ってるでしょ?」

え、何コイツ。今なんとおっしゃいましたか?
リンが驚いて硬直していると、クラスの中はいつの間にか大騒ぎ。確かに突然学校の王子様が付き合ってます発言をすればこうなる事は当然で。
それでもリンは頭の中を整理する事に精一杯で、否定をするタイミングを見逃してしまった。
女子の半数はショックを受けたような顔をしており、その残りは興味津津。男子の方はというと、これまた半数はショックを受けたような顔をしており、その残りは興味津津。
つまり、今このクラスはショック組と興味津津組に分かれている(まぁ、そんな事心底どうでも良いのだが)。
漸く脳内整理のできたリンは、口を引き攣らせ、わなわなと震える。
しかし彼はそんなリンに、照れているのかと尋ねる。本気で殺してしまいたい衝動を抑えながらも、周りの痛い視線に、少しだけ顔を俯けた。
それを周りのクラスメイトは肯定と受け取ったのか、突然の歓声。
リンは慌てて否定するが、その言葉は彼らの歓声に掻き消されていった。

唖然と立ち尽くすリンは、この騒ぎの元凶である鏡音レンへと目を向ける。
彼は他の男子に小突かれたりして絡まれている。そしてふと、こちらを見て。
ぱちりと目が合った。
にたりと勝ち誇ったように笑みを漏らす彼は本当に楽しそうで。それを見て、なぜか疲れてしまい否定する気が消え失せてしまう。そしてふと思う。
あぁ、これはあいつが始めた只のゲームなんだ、と。
リンは冷めた目で、彼から目を反らした。
(こんなつまらないゲームは早めに妥協するのが一番、ってね。)




これは只のゲームなんです







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -