チチチ…と、ありきたりな小鳥の囀りを片耳で聞きながら眩い朝日の光を浴びた。
未だに慣れない朝日に目を凝らしながら一歩ずつ足を進めていく。ここは見慣れたいつもの通学路。
コンクリートに残る少し溜まった水は、昨日の夜、窓に激しく叩きつけた雨がとても強いものだという事を物語っていた。
昨日の雨が嘘のように雲のない真っ青な空に少し安堵しながらも、ひょいと水たまりを避けて歩いていく。
すると、背中から聞きなれた透き通るような声が聞こえてきた。歩くたびに揺れる大きなリボンを翻し、後ろを振り向けば。
そこに居たのは予想通りの人物。初音ミク。彼女は今通っている学校の中でも一番の友達、所謂親友の位にいる子だ。
相談やら頼みやらを素直に言い合えるし、自分の本当の性格さえも潔く受け入れてくれている、本当に大切な友達。
そんな彼女は、綺麗な長い髪を二つに縛り、優しそうな瞳で嬉しそうに手を振っている。その笑顔で本当にどれだけ救われたか数えるだけで億劫になる。
そして、ミクの隣で眠たそうに欠伸を噛み締めているのは、初音ミクオ。彼はミクの従兄弟であり彼氏だ。
初めは流石に驚いたが、今では二人が付き会ったのもなんとなく分かる気がしている(つまりお似合いカップルなのだ)。
おはよう。と定番の挨拶で二人を迎え入れれば、それに比例するようににこりと笑みで返してくれる。
ミクとミクオにとって鏡音リンは可愛い愛娘同然の存在なのだ。それをリン本人は知る由もないのだが。
鏡音リン。それは本名であり、ましてやペンネームなんてものではない。
確かに珍しい名字なのだが、実はクラスにもう一人同じ名字の人が居るので、実はそんなに珍しくないのではないかと少し疑ってしまう。
ざわざわと揺れる木々を片隅に、三人は他愛のない会話を楽しむ。この二人と一緒にいると本当の自分で居られて、本当に心地良い。
だから、この三人はこれからもずっと三人のままだと、そう願っていたんだ。



「じゃあ、また休み時間に来るね。」

ミクとミクオの爽やかな微笑みを眺めながら、二人が背を向けたと同時に"保健室"と書かれた教室へと足を進めた。
この学校の保健室とミクとミクオの教室は階が違うので、いつも階段の前で一時的に別れているのだ。
保健室へ向かう途中でクラスの女の子や別のクラスの男の子から声をかけられ、リンはふわりと微笑みを返した。
鏡音リンは、その恵まれた容姿と誰にでも優しい性格から、男女問わず好意を寄せられている。だが彼女は生まれつき体が弱い為、殆ど保健室登校をしている。
それでも成績はいつも上位なのだから、皆は彼女のことを"保健室のマドンナ"と言われるのは仕方のない事なのかもしれない。
ガラッ。と、漸く着いた保健室の扉を開ければいつものように保健室の先生である巡音ルカ先生に挨拶をして椅子に座り本を開く。予定だった。
だが、今日は違ったらしく。目の前に居るのは桃色の長い髪(帰国子女らしいが先生が髪を染めるのは如何なものかと思うが)ではなく、まるで注意を促すような黄色。
自分とよく似た髪の色に見覚えがあり、またいつもはいない先客に唖然と立ち尽くしていると、彼はこちらに気付いたのか。
わざとらしく慌てたように振り向いた。それは本当に自分と瓜二つ。そういえば名前も似ていたな、と彼の名前を思い出していると、目の前の彼はにっこりと笑みを張り付けた。

「おはよう、鏡音さん。」
「おはよう、鏡音くん。」

にこりと笑みを返せば。彼、鏡音レンは張り付けた微笑みをそのままに、絆創膏はどこにあるのか問いてくる。
ちらりと彼の手を見れば、それに気付いたのかひらりと赤く滲んだ手の甲を翻した。
そして、怪我しちゃってね。と申し訳なさそうな表情を浮かべる。
鏡音レンは、珍しい名字だがリンと同じ名字のクラスメイトだ。そしてこの学校の王子様的存在でもある。
容姿だけでなく、爽やかで明るい性格に、勉強もできる。おまけにスポーツ万能。所謂パーフェクト人間とでも言うのでろうか。
クラスの女子の過半数は彼に恋していると言っても過言ではないだろう。
しかしリンはなぜか彼の微笑みが胡散臭く感じてしまう。自分に似ているので嫉妬でもしているのだろうかと首を振ってみるが、毎回感じる違和感は未だに慣れない。
リンはそんな事を考えながらも、彼に絆創膏とついでに消毒液も取りだし、彼に手を出すように促した。

「自分でできるから大丈夫だよ。鏡音さんは椅子に座っていて。」
「ううん。こういうのは人にしてもらう方が上手くできるものなのよ?」
「……なら、お願いしようかな。」

ふわりとお互いに微笑み合い、彼の手を取り消毒液を滲ませたガーゼをやんわりと赤く滲んだ傷口に当ててやる。ちくりとしたのか、彼は小さく顔を歪める。
リンは、大丈夫かと小さく彼の顔を覗き込むが、苦笑混じりに大丈夫だとやせ我慢するする姿に小さく笑みを零す。
そして、その傷口に丁寧に絆創膏を貼ってやれば。彼は嬉しそうに、ありがとう。と微笑んだ。
その後、タイミング良く鳴り響くチャイムにレンは慌てて保健室を出て行ったが、彼がこの空間に居た間はなぜかずっと違和感が胸の中に渦巻いている。
それの意味、理由なんて分からないが、これ以上散策しても時間の無駄だろうと行き場のない溜め息を零す。
リンは消毒液を元の位置に戻し、そして何事もなかったかのように椅子を引き、それに腰を下ろした。



一限目開始した時間からはいつもと同じ。教員会議で遅れたルカ先生と他愛のない会話をしたり、勉強したり。休み時間には欠かさずミクとミクオがやって来て話に花を咲かせたり。
日が昇って沈むまで、本当に毎日同じ事の繰り返し。確かにとても楽しいし、この毎日が終わるなんて考えたくもないのだが。
もしも今、充実した毎日を過ごしていますか。と問いかけられたら素直にイエスを答えれる自身がなかった。
教室へいけば皆は自分を心配して声をかけてくれるし、皆からも信頼の眼差しで見てくれている。
しかし、やはり充実しているのかどうかなんて分からなくて。時々真剣にそんな自分の我が儘さに吐き気がしてくる。
リンは深く溜め息を漏らしながら、いつのまにか放課後の時間を指している時計に目線を向けた。
いつもならミクとミクオが一緒に帰ろうと迎えに来る時間帯だが、一向に来る気配がない。どうしたのかな、と小首を傾げれば。
ルカ先生が思い出した様に、今日は委員会があるという事を教えてくれた。
ミクとミクオは風紀委員という同じ委員会に所属している。具体的に風紀委員がどのような仕事をしているのか分からなかったが、彼と彼女が学校の風紀を守っているんだと思えばなぜか可笑しくて微笑ましい。
リンは納得したように鞄を片手に保健室を後にした。

二人が遅い時はいつも一人で帰っていたので、彼女達も先に帰った事を怒る事はない。
ぼんやりと少し赤掛った空を窓越しに眺めながら廊下を歩いていたら、急に背中から呼び止められた。
その声の主を見れば、その人は名前も顔も記憶にない人で。目を左右に揺らしながら、小さく頬を染めているその男の子は意を決したのか真剣な眼差しでリンを見た。
ここは廊下だが、今はタイミングがよく人通りが少ない。
好きです。
彼が言い放った後、やっぱりな。なんて、心の中では異様に冷めた自分が居た。
ごめんなさい。
ぺこりと丁寧にお辞儀をして、断りの言葉を口にする。ずっと育んでいった好きということを、たった一言で無にしてしまうのだから本当にこの言葉は残酷だと思う。
見事に玉砕した彼は、分かりました。と潔く引きさがり、傷ついたような脆い笑みを浮かべながらも、自分の気持ちを聞いてくれてありがとうございました。と頭を下げて、そのまま背をむけて走っていった。
彼は本当に良い人なんだろうと思ったが、罪悪感なんてものは全く湧いてこなかった。
ずっと頭の中に流れていた言葉は、ただただ。

「本当に迷惑だから、やめてほしいのよね…。」

鬱陶しいものを眺めるように溜め息をはけば、それは後ろから聞こえてきた拍手によって掻き消された。
ぱちぱち。ぱちぱち。
まるで何かのショーを見た後のように軽快に弾むその音に振り返れば、階段からトンッ。と一段降りてきてその人物の姿が現れる。
それは自分によく似た黄色に、整った容姿。そう。彼は、鏡音レン。
リンは少し驚きを隠せず、目を軽く見開く。
朝、会話した時とは雰囲気ががらりと変わっており。あれは夢だったのではないかと思う反面、あの時感じた違和感はこれだったのではないかと納得する自分も居て。
そんなリンとは対照的に、面白い物を見つけた無邪気な子供のような悪戯っぽく笑みを零すレン。
しかし、別に自分の本音を誰かに聞かれたらマズイ事があるわけではないと理解していたからなのか、自分でも驚くほど頭の中では冷静に、覗き見なんて悪趣味だな。と嘲笑っていた。
しん…と静まり返る廊下。今日は委員会があるので、いつも人で溢れる帰宅時間だというのに妙に静けさを帯びていた。
太陽が雲に隠れたのか、すうっと二人に影が伸びる。彼の顔が影に隠れる瞬間、目を細めた気がした。

「鏡音さん、どうです?俺と付き合ってみませんか?」
「……ごめんなさ、」
「駄目ですよ。これ、意味分かりますよね?」

驚いた。急な展開に着いて行く事が出来ず、戸惑いを隠せない。
彼の突然の告白に冷静に対応した自分を、誰か褒めて欲しい程だ。先程のリンの呟きが聞こえなかった訳ではない筈なのに、その直後に告白だなんて本当に彼は頭が可笑しいのではないかと疑ってしまう。
と、思っていれば。リンの断りを遮り、待ってましたとでも言うように取りだすのは携帯電話で。カチカチと手練れた動きで操作し、画面をこちらへと向ける。
それは、ムービーで。しかもそこに映っているのは正しく鏡音リン。
あ、れ。
頭の中が一瞬静止した。何故なら、そこに映っている自分は先程告白されている姿で。
しかもご丁寧に声までも鮮明に撮られている。そう、先程の呟きさえも。
これは正真正銘の脅しだということに、漸く理解することができた。
容姿、勉強、性格、運動神経、全てが完璧なパーフェクトな王子様は、性格を偽りの壁で包んでいたのか。人間に完璧はない、という言葉を証明する良い例だと思う。
それにこの告白は本気ではないと直ぐに理解できる。彼はきっと面白いゲームの駒を見つけた程度にしか感じていないのだろう。
リンは、はぁ。と深く溜め息を吐けば、冷めきった瞳を彼に向けた。

「…盗撮は犯罪って知ってましたよね?」
「知ってるよ。…で、答えは?」
「……あなたは勘違いしてますね、」

そう、まるで自分が優勢だと、自分の言葉一つで思い通りになるのだと。そう思っているような眼をして、本当に気持ち悪い。
今の状況を全て理解しきれていない頭の緩さが、全ての計画を崩す要因になるだなんて微塵にも思っていないのであろう。
リンは、くすり。と見下すように、携帯電話ををとりだした。そして彼と同じようにカチカチと軽く操作すれば、レンにそっと画面を見せる。
すると先程までの余裕の笑みは何処へやら。小さく眉間に皺を寄せ、笑みを消す。
形勢逆転。その言葉はこういう時に使うのであろう。未だに画面を凝視するレンに少しの優越感。
そしてそんな彼を嘲笑うように歩み寄り、すっと横切った。

「優勢なのは、あたしなんですよ?」



コツコツと響く上履きの音。
彼に背を向けながら携帯電話の画面を見れば、そこには先程彼がリンを脅している一部始終が録画されていた。
リンは蔑むように鼻で笑えば、何事も無かったように元の画面に戻し静かに携帯電話を閉じる。
そしてタイミング良く委員会の終わったミクとミクオに合流し、そのままいつものように二人に笑みを向けた。

先程の静けさが嘘のように騒がしくなった廊下。そこで鏡音レンがくすりと笑みを零した姿は誰も知らなかった。




嘘吐きは誰でしょう








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