もしも、この世が平等に出来ていると言うならば、それは嘘だと言い切れる。生まれながらにして才能をもつ人や、裕福な家庭に生まれてくる人。そんな人が居れば、当然のように才能の無い人や貧しい人もいる。言い換えれば全体的な平均は取れているのだろうが、やはりそれでは納得なんてできなくて。

 控え目な音を鳴らし、長い長い廊下を歩いていく。手に持ったバケツとモップを揺らせながら、一つ溜め息を零した。
 彼女は鏡音リン、この屋敷のメイドを勤めている。と言っても、まだ働き始めて1ヶ月も経っておらず、覚える事がありすぎて一向に慣れないこの仕事に、出てくるのは溜め息ばかり。何百坪あるのか分からないこの屋敷は、有名IT企業の御曹司が住んでおり、毎日が緊張ものだ。
 その御曹司は鏡音レンという名前で、実は一度も会った事が無く名前だけしか知らなくて、きっとドジばかりして使えないメイドに顔を見るのも嫌なのであろう。根拠なんて無いが、他のメイド達に陰で次のクビ候補は鏡音リンだと噂されているから。
 リンはこれ以上迷惑を掛けないように、急いで廊下を進んでいると、またやってしまった。障害物なんて何もない一本道のど真ん中で、床に躓いて反転していく世界。水の入ったバケツが弧を描くように舞い、倒れ込んだリンの頭に中身こどバケツを被ってしまった。
 豪快な鈍い音が広い廊下に響き渡り、とどめを刺すようにモップの棒の部分が頭に被ったバケツを叩いた。ああ、なんて情けない。何十社もの入社試験に落ちてきた、才能なんて無いリンを雇ってくれた場所なのに、これではまたニートに逆戻りだ。
 確かにメイドとしての教育を一度たりとも受けた事のないリンが、この仕事に就くことが出来ただけでも幸運なのに、こんな仕事が続けれる筈がなかったのだ。リンは深く溜め息を吐き出し、そっと上半身を起こせば再び深い溜め息。
 ──やっぱり、あたしには向いてないのかな。
 零れた溜め息と共に、涙まで溢れてきて。そんな時だった。頭に被ったままのバケツを、二回叩かれたのは。
 リンはバケツを少し上にずらしてそっと振り返れば、そこには自分より背の高い男の子。黄金色の髪の毛は自分と同じ色の筈なのに、自分よりもとても繊細な色をしている。リンは数回瞬きをして小さく小首を傾げれば、何故か目の前の彼は頬を赤く染めて目を逸らした。
 彼を見た瞬間、昔読んだ王子様を連想させる。それ程かっこよくて、無意識の内に彼から目が離せなかった。服装は正装なので執事という訳でないようなので、もしかして来客かな。リンは今度こそ失敗をしないようにと首を横に振り、バケツを顔から取ってそれを床に置いた。
 水浸しの床なんて気にせず、そっとお辞儀をする。どちらへ行かれますか、ご案内します。と笑顔で問いかければ、目の前の彼は数回瞬きを繰り返し、盛大に吹き出して声を上げて笑った。

「ふふっ、君はそんな格好のままで屋敷を案内してくれるのか?」
「え……って、あ!」
「君はドジだね、可愛いよ」
「……よく言われます」

 床と同様に、髪からメイド服にかけて全身びしょ濡れになっている事を、すっかり忘れてしまっていた。恥ずかしさ余って穴があったら入りたい衝動に駆られながらも、くすくすと可笑しそうに笑う彼にいつの間にか心を奪われている自分がいて。
 一体どこの人なのだろうか、せめて名前だけでも知りたい。リンは羞恥に頬を真っ赤に染めながらも、そっと彼を見上げて口を開けば、突然背中から大きな声がした。

「こら! リン、またやらかしたの!?」
「ひゃっ、すっすみません!」
「もう、何度言ったら分かるの……レン様すみません、見苦しいところを見せてしまって」
「え?」

 思わず間の抜けた声を上げてしまった。リンを叱っているのはメイドの中で上司に位置する人で、彼女が頭を下げるのを初めて見たし、何よりも彼を呼ぶ時に言った名前は。
 わなわなと震える指先で彼を差し、口を開けたり閉めたりを繰り返す。すると彼、レンはくすりと笑った。
 ──うああ、どうしよう馴れ馴れしくしちゃった!
 溢れ出る羞恥と後悔の波が勢い良く降り注ぎ、そっと顔を両手で覆い、急いで頭を深く下げた。馴れ馴れしく接してしまったし、目の前でドジを披露してしまい、使えないメイドですと主張したも同然ではないか。もしこれで仕事をクビにされたら、親に仕送りを送る事ができなくなってしまう。生まれた時から貧しい家計で育ってきたリンにとって、この仕事が終わってしまえば家計が炎上するのも同然。
 クビという言葉を言われないように願っていれば、彼はそっとリンの頭を数回撫でた。予想外な彼の行動に思わず顔を上げれば、レンはリンをじっくり見て満足そうに頷く。

「リン、か。」
「え?」
「覚えた。 リン、次は僕の部屋でゆっくりお茶しようね」
 そう言って、彼はリンの右手にそっと口付けた。思わず頬が一気に赤くなり、わなわなと震える口と揺れる瞳。彼はそんなリンにウインクをすると、背中を向けてすんなりとこの場から立ち去って行った。一体なんだったんだろうという疑問を掲げながらも、クビにならなかった事実に安堵の溜め息。
 それにしてもお茶だなんて、まだ見習いのメイドがゆっくりと出来る訳がないのだが、それでも嬉しさが胸の奥から溢れてくる。まだ熱い手の甲をなぞるようにそれでそっと口元を覆い、緩む頬を誤魔化す。
 そんなリンの上司のメイドは、リンの肩を叩いて優しく微笑んだ。

「リン、あなたレン様に気に入られたわね」
「え、え?」




宜しくお願いします、御主人様




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かな様、リクエストありがとうございました!
お金持ちマセイケレン×メイドリンでしたが、マセが迷子になってしまいました←
たぶんリンちゃんと二人きりだったらキスをしてたに違いないですね、レン貴様^^
そしてきっとこれから、レンの猛烈なアタックがリンちゃんに襲ってくる筈です!
とても美味しいリクエストをありがとうございます、メイドリンちゃんを妄想しながら、とても楽しく書けました!
ありがとうございました。




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