幸せって具体的にどうのような状態の事を指すのであろうか。 有意義な生活をしている事か、あるいは有り余るお金に囲まれる事か、もしくは不特定多数の人間に愛される事か。 否、幸せだなんて感じ方は人それぞれだ。幸せになるマニュアルだとか定義だとか、そういったものなんて無いのだから。 そう、例え周りから見て不幸だと思われようが、本人達が不幸だと感じないのであれば、それはそれで幸せなのであろう。いや、それ以前に勝手に不幸だと思われる事事態が失礼極まりないと思う。 つまり何が言いたいのかと言うと、誰が何と言おうが僕達は幸せなんだ、という事だ。 薄暗い真夜中の部屋の中。月明かりだけがこの部屋を照らしていた。 ぽたり、ぽたり。天井から落ちる雨漏りが、静寂な夜の室内に音を作り上げる。不規則に落ちるそれは、どこかメロディを奏でているように聞こえなくもない。それを片耳で聴きながらも薄い布団を被り、灰色の天井を眺めた。 ここは街外れにある廃墟のビル。何もないし、誰も居ない。家にあったお金を全て持ってきているので、それを使って生活をしている。なので食べる物を初め、生活には困ってはいない。時々通行人に顔を見られそうになるが、いつも弟が助けてくれていた。 そんな弟は今、街に出ている。自分も一緒について行きたかったのだが、ここで待っていてと念を押され、不満ながら弟の帰りを待っている。 こんな夜中に、何の用事があるのかは分からないが、きっと一人になりたい時間が欲しかったのであろう。リンは小さく溜め息を吐き出し、震える肩を抑えるように自分の身を抱く。 どうして彼はよりによって夜に出て行ったのだろうか。夜は嫌いだった、震える手があの日の夜を思い出してしまうから。 その夜、夢を見た。それはいつもいつも見る、吐き気のする程の悪夢。 それはいつも、とある一家で子供による両親殺害事件が起こった時から始まる。発見された時、それは本当に酷い有り様だったらしい。顔を何度も切り刻み、原型を取り留めて居らず。床や壁、天井まで飛び散った赤い血は、その残虐性を物語っていた。 それは妙にリアルで、何故か彼らを切る時に握った果物ナイフの感触がいつまでも覚えている。生暖かい赤い液体が顔や体を包み込み、その時はなぜか不快に感じなかった。 そう、夢の中であたしは両親を殺めているのだ。 確かに両親の事はあまり好きではない。それでも殺したいなんて思った事は一度もないのだ。 リンは閉じていた瞳を見開いて上半身を起こせば、荒い息遣いに大量の冷や汗。 リンは両手で顔を覆い、その隙間から覗く瞳は大きく見開いて、ゆらゆらと揺らめいている。表では望んで無いのだが、心のどこかでそれを望んでいる自分が居るみたいで、それがとても恐ろしかった。 人を殺めるという事がこんなにも恐ろしく、こんなにも重いものだと理解していても、この夢は何かを暗示しているかのように消える事がない。 怖いよ、恐いよ、助けて。 リンは肩を震わせながらも、無意識に口元は綺麗な弧を描いていた。 そっと目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。 すると突然誰かに包まれたように暖かくなり、その瞬間だんだん落ち着いてきて。 そっと顔を上げれば、それは自分の弟であるレンだった。 いつの間に戻って来たのかは分からないが、それでもそんな事を考える程心に余裕も無くて。リンは彼の胸に体を預け、そっと服を掴んだ。 「……レン、もうどこにも行かないでよ」 ぽろりと零れた涙はシーツを濡らす事なく、ただただ彼の服を濡らしていく。 リンとレンは姉弟だが、愛し合っている。それはそこらの生温い恋愛ごっこではなく、脳内まで溶けてしまいそうな程濃厚な恋愛。それでも姉弟故に両親からは猛反発を受けていた。だから逃げ出した。彼等の批判を毎日毎日、毎日浴びるのが限界だったのだ。 初めは一人で逃げ出したのだが、レンが追いかけてきて。そしてそのまま二人で、自分達以外誰にも見つからず関わらずに生きていこうと決意。 一度だけその事で彼に謝った事があるのだが、彼は困ったような表情で謝らないでとリンを抱き締めた。 そんな彼が愛しくて、愛しくて。 目が覚めれば、朝の日の光が室内を照らしていた。 いつから眠っていたのかは分からないが、泣きながら寝ていたのであろう、目が少し痛い。瞼を擦りながらそっと隣に目を向ければ、すやすやと穏やかな寝息を立てる彼が居て。その事実に、ほっと胸を撫で下ろす。 その寝顔がとても綺麗で、そっとその頬に触れれば暖かくて。彼の顔にそっと顔を近付けて、眠っている事を再度確認すれば、その唇に自分のものをそっと重ねる。そして直ぐに顔を離し、火照る頬を両手で包み込んだ。 リンは誤魔化すように布団から出れば、欠伸をして大きく伸びる。窓から零れる明かりを見て、昨日降っていた雨が止んだのだと理解するのと同時に、重たい瞼を擦った。そして再びそっと彼の方へと顔を向ける。すると、にやにやと笑みを浮かべる彼と目が合って。 いつから起きてたのよ! リンは一気に頬を赤らめ、顔を洗うという理由を使ってその場から急いで逃げ出した。背中から、またしてね!なんて明るい声が聞こえてきたが聞こえないふりをする。 洗面台に立てば、雨漏りで溜まった水で顔を洗う。 ここは廃ビルなので、もちろんガス、水道、電気が通っていない。お風呂は毎日古びた銭湯へ行っているし、ご飯は毎日外食。服もコインランドリーで洗っているので、毎日毎日出費が激しくて、こんな生活がいつまで続けられるのか不安が無くなる日は無かった。 そしてここには鏡と言う鏡が一枚も無い。それでも無くても良いと思っているので、何の問題も無いのだが。 そんな事を思っていれば、突然クラッと目眩がした。リンは咄嗟に洗面台に手を付いてバランスを取り、もう片方の手で自分の目元を抑える。それは数秒すると直ぐに治って。 その目眩は立ち眩みとは違い、何の前触れも無く時々やってくるのだ。別に貧血気味だからというわけでは無い、そんな気がしている。 それでもリンは差ほど気に止めてはいなかった。 リンは軽く左右に首を振り、レンの待つ部屋へと戻っていく。 そして今日もご飯を買う為に財布を持って、レンの手を繋げば彼はリンの唇にキスを落とし。綺麗な笑みを浮かべたまま何も言わず、それでも不満なんて零さず、一緒に外へと足を踏み出した。 外は昨日の雨なんて思い出させない程、青く綺麗な空だった。 リンとレンは手を繋ぎ、街を歩く。今日は何を食べたいとか、あの服可愛いねとか、そんな他愛の無い会話を繰り返し。そんな些細な事に幸せを感じるだなんて、幸せだななんて。 そんな言葉を感じていれば、突然背中から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。リンとレンは同時に振り返り、その時レンの表情が不満そうだったような気がしたが、そのまま声の主に目を向ける。 緑色の綺麗な長髪をツインテールにした、可愛い子。リンに声を掛けた彼女は、学校に通っていた時にいつも一緒に居た親友の初音ミクだった。久しぶりに会ったので嬉しさのあまり、頬が緩んでいく。 それなのに目の前の彼女は何故か全然嬉しそうな表情をしていない。それどころかリンの嬉しそうな顔を見て、だんだんと表情を曇らせていく。 その理由が分からなくて、小さく小首を傾げれば、彼女は意を決したようにリンの目を真っ直ぐ見据えた。 「リンちゃん、自首しよう?」 え、何を言ってるの? 彼女の言っている意味が理解出来なくて、笑顔がだんだん堅くなっていく。何もしていないのに、どうして自首する必要があるのか分からない。弟と恋をする事が、牢に入らなければならない程の重罪なのだろうか。否、そんなわけがない。 それならば、何故? 一つ一つ考えを巡らせてみても、納得いくような答えが見つからない。するとミクは目を伏せて、覚えてないの?と震える声で問いてきて。 それでも身に覚えが無いので助けを求める為に、隣に居るレンに顔を向ければ、一瞬背筋が凍った。彼も小首を傾げているのだが、その瞳は恐ろしい程冷え切っており、わずかだが殺気を漂わせている。 リンは彼から目線を外し、ミクの方へと再び向ければ、彼女の身に覚えの無い事を追求する瞳が何だか怖かった。 思わず一歩後ろへと後退れば、彼女は逃がさないとでも言わんばかりにリンの肩を両手で掴み。 リンちゃん本当に覚えてないの?リンちゃんのお母さんとお父さんは、リンちゃんが……! 彼女の言葉がまともに頭の中に入ってこない。意味も分からない、理解が出来ない。 それでも彼女の言葉をそれ以上聞いてはいけない気がして、リンは震える肩を縮こませてレンの方へと顔を向けた。 「た、助けてレン!」 「……リンちゃん、正気に戻って!」 ここにはリンちゃん以外に誰も居ないよ!? 一瞬息が出来なかった。彼女は何を言っているのだろうか。リンの目線の先には、きちんと自分の弟であり自分が愛した人が居る。 「…嘘だ」 どうして彼女が自分の全てを否定するのか分からない。 彼女は自分の見ているもの信じているもの、そして愛している人さえ否定するのか。 何故、どうして、分からない、分からない、分からない。 「嘘だ嘘だ、嘘だよ!レンはここにいる!」 両手で頭を抱え、必死に首を横に振る。 ミクは心配そうな表情で、リンの肩を持つ手を震わせていて。その優しさは紛れもなく自分の知っているミクで。それでも彼女を自分の全てを否定して。 リンはそっとミクとレンを交互に見比べていれば、レンは困ったように頭を掻いた。 そして、僕はいつもリンの側にいるよ。と微笑み、その笑顔に安心して。やっぱり、彼はここに居るんだ。と、ミクへと向き直れば、肩を掴む彼女の手を思いっきり振り解いた。 「ほら!ミクちゃんは嘘吐きだ、あたしを騙そうとするミクちゃんなんて要らない!」 ミクの手を振り解いた時、彼女の酷く傷付いたような表情に少し胸が痛んだが、今はそんな事に気を止める余裕が全く無くて。 親友の言葉ではなく、自分の愛する人の言葉を信じた。その選択は間違っていない、筈だ。 するとその瞬間、突然襲ってくる目眩。リンは目元を片手で覆い、絡まる足を何とか保たせる。大丈夫?と心配そうな声を上げるミクの声が聞こえるのと同時に、後ろからレンが何か呟いたような気がした。 「リンが要らないモノなら、不要だよね」 そう。居る必要の無い、ただのモノだよ。 確かに彼はそう言った、気がした。え、と言葉が出る前に突然辺りの景色が全てモノクロに変わって。 それと同時に目眩が無くなり、そっと目元から片手を離す。すると目の前に映るのはミクと向き合うレンの姿。 彼女は目を見開いて驚いており、その彼女の視線の先にはレンの握るナイフが光っていた。そのナイフの刃先にはどす黒い血の塊がこびり付いており、それをミクに向けている。 レンの表情は冷たいままだが、口元は綺麗な弧を描いており。彼はそのまま彼女に向けてナイフを振り上げた。 駄目だ、駄目だ。彼女は何も悪くない、殺さないで。 そんな言葉を放とうとしても上手く声が喉を通ってくれない。声を出しているという感覚はあるのだが、声になってなくて。 レンはそのまま思いっ切りナイフを振り下ろした。 駄目えええええええええ! 「どうして、止めてリンちゃん!」 え? 伸ばした手はそのまま宙を掻き混ぜ、レンはそのままナイフに鮮やかな赤を散りばめた。 彼女が最後にレンの事をリンと呼んだ、その理由が分からないまま、どさりと崩れ落ちる。飛び散る鮮血のシャワーをレンは顔から浴びながら、その表情は満足そうに微笑んでいた。 リンはその場に座り込み、揺らぐ瞳に何も映さぬまま呆然と前だけを見つめる。 そんなリンに、彼はそっと微笑み。"これからもリンの邪魔なものは全て消してあげるからね"と愛しそうにリンの頬に触れる。血に濡れた手から頬に血が付いたが、それでもリンはただただ呆然と前を見つめていた。 気が付けば、いつも暮らしている廃ビルに居た。ベッドに座り、呆然と真っ直ぐを眺める。 今のは何だったんだろうか。現実だったのか、夢だったのか。分からない、分からない。 唖然とその場で固まっていると、突然手を包まれて思わず肩を震わせ、その相手に顔を向ける。するとそれは弟であるレンで。 彼は酷く落ち着いた表情のまま、リンの体を優しく抱き締めた。先程までの本物か偽物か分からない、得体の知れない出来事が不安で仕方がなかったのだが、彼の暖かいその温もりは本物で。 リンは何も心配なんてしなくて良いんだよ。 なんて言う彼の言葉に安心して、リンは彼に体を預けてそのままそっと瞼を閉じた。 もしも彼女にまた会えたなら、彼女に聞いてみよう。 "あたし達は幸せですか?" ただ幸せになりたかっただけ -------------------------------------------------- 一心同体なリンレン。 どちらが本当の自分の感情か、ここにはきちんと二人存在しているのか。 そんな話。 |