あれは小学校の頃。丁度今頃の季節。
転校してきた男の子に好意を向けられていた事は知っていた。だから彼を虐めた。
彼を一言で言えば、地味。いつも本を読んで物静かなイメージがあり、それに不釣り合いな明るい髪色が自分のものと似ていて、何だか気に食わなかった。
それでも彼を見てると難痒くなり、自然に頬は赤くなるし胸の鼓動が速くなる。あの頃の自分に、この感情の名前なんて分からなくて。
彼からのラブレターを教室で読んで彼の目の前で破り捨てたり、女の子みたいな容姿を馬鹿にして突き飛ばしたりもした。彼は暫くして学校に来なくなり、そのまま卒業を迎えた。
今ではとても後悔している。今更だとは思うし、あの頃の傷付いた心を修復なんて一生出来ないだろうし、もう関わらないでほしいと思われているであろう。それでも、自分の人生を一生捧げても彼に謝りたかった。


冬の冷たい風が頬に触り、未だに続く後悔に目を伏せる。あれから時間だけが過ぎて、今は高校一年生。
今、彼はどこに住んでどんな風に暮らしているのであろうか。あの頃の傷が癒えなくて未だに家を出ることを怖がっているのだろうか、それとも引っ越して別の場所で新しい人生を歩んでいるのだろうか。
どちらにしても、彼の人生を歪ませた自分の罪は消える事はない。もしもあの時自分が彼への感情を理解していれば、もしもあの時一言伝えていれば。少しは未来が変わっていたのがもしれない、そうでないかもしれない。
はぁ、とリンは深い溜め息を零しながら窓の外を眺めた。

今日はクラス内もいつも以上に落ち着きがなく、ざわざわと騒がしい。その様子にどうしたのかと疑問に思う前に、先生が教室の扉を開き、静けさを取り戻した。
そして教卓の前に手を付いた先生の言葉を聞き、落ち着かないクラス内に納得。
今日は転入生がいるらしい。
誰でもそういったイレギュラーを好むし、新しいものとか新鮮味に溢れたものを好む。そわそわと宙に浮いたような教室内に、リンは一人冷めたように頬杖を付いた。
誰が来てもいつもの日常と変わらない。昔のあの子への罪悪感とか、冷めてしまった人間関係とか。たった一時の些細な非日常を楽しんでも、どうせそれは一時の遊戯。一生纏わり付いてくる罪悪感は消える事がないのだから。
そんな風に考えていれば、もう既に転入生の自己紹介を終えたのか、リンの後ろの空いた席に座るように転入生に促す先生の声。
どんな人か一回だけでも顔を見ておこうかなと思い、自分の後ろの席に向かう少年へと目を向けた。
彼は自分と良く似た色の髪をしており、背はそれ程高くはない。容姿は美少年といったところか。良く見れば、クラスの女子の半数は彼にときめいたように目を輝かせている。
突然の転入生は美男子でしたという、ありきたりな少女漫画のような展開に笑ってしまいそうだ。この後、本当に漫画だったらどうなるんだっけ、なんて考えていれば。

「ねぇ、鏡音さん。消しゴム落としてるよ」
「……え?ああ、ありがとう」
「どういたしまして」

リンの席の横を通り過ぎる直前で屈み込み、机の上に消しゴムを戻される。
あまりの漫画のような展開に再度吹き出しそうになりながらも、頭の中ではついていけない自分も居て。それは彼があまりにも格好良い容姿をしていたからか、あまりにもベタな展開だからかは知らないが、急に頬に熱が集まる。
それでも、どこかで会った事のある人だと思った。誰だかは分からなかったが、それ程疑問にも思わなかった。
彼はにこりと笑みを零せば、今日から彼の席になる自分の後ろの席へと腰を下ろす。

後ろに彼が居ると意識しただけで、どきどきと心臓が高鳴るばかり。
こんな感情は枯れてしまったのだとばかり思っていたのだが、それは違ったらしく。彼と仲良くなりたいなと思う反面、過去の過ちに自分が幸せを感じて良いのかと思う自分が居る。
それでも彼の名前だけは知っておきたくて、どこがで会った事があると感じた事なんて忘れて、そっと黒板を見上げた。
そして、黒板に大きく書かれた"鏡音レン"という名前に、目を見開いた。
彼を見た事があるというレベルではない。あの子の名前を忘れた事もなかったし、そう言えば面影もある。それに先程彼は消しゴムを拾う際に"鏡音さん"と言った。名前を知っているということは、やはりこれは憶測ではない。
そう。彼は、鏡音レンは、昔虐めて不登校になってしまった、あの子だ。


背中に突き刺さる視線が痛い。まるで責められているような感覚。今更許してだなんて言わない。それでも彼に謝る権利を、ここで生きる権利を下さい。
授業中全く集中出来ずに、漸く鳴り響くチャイムに耳を傾ける。長々しい授業が終わり、漸く昼休みに入った。
リンはこの空間に居たたまれなくなり、教室から逃げるように出て行く。
行くあてがある訳ではないが、只彼と一緒の空間に居たくなかった。
レンは転入したばかりだが、すぐにクラスに溶け込んだ。よく笑い、よく話す。その姿にほっとするが、この罪悪感は消えてはくれなかった。
彼はあたしの事を覚えているのだろうか、もしかしたら今まで気にし過ぎていたのかもしれない。そんな期待と願望に満ちた言葉を呑み込み、お弁当片手にゆっくりと廊下を歩く。
すると突然自分を呼ぶ声が背中から聞こえてきた。
リンはその声のした方へと振り向けば、言葉が詰まった。

「ちょっと良いかな?」

そこには表情なんてない、所謂無表情で口元を釣り上げるだけの笑顔を貼り付けた鏡音レンの姿があった。
リンは彼に言われるがまま、背中を向ける彼の後をゆっくりと付いて行く。これは報いなのだと自分に言い聞かせながらも、逃げようとも思わなかった。
彼の足が少し早くて思わず早足になる。自分より少し高い彼の背丈。大きな背中を見て、再び罪悪感が押し寄せてきた。
それでも反省する時間も与えてくれないのか、彼は突然立ち止まり、真っ暗な教室の扉を開ける。そこは理科準備室と書かれており、あまり入った事のない教室。レンに促されるまま、そこへと足を踏み入れれば。後ろで彼が鍵を閉める音が聞こえてきた。
もしかして先生や他の生徒達に見つからないようにして、暴行を加えるのだろうか。痛いのは嫌いだが、彼があたしを殴ったり蹴ったりして、この罪悪感を消すことができるのであれば苦ではない。そんな気がする。
レンは明かりも点けずに、そっとリンに近付いた。そしてゆっくりを口を開けた彼を前に、きゅっと目を堅く閉じて歯を食いしばった。

「なぁ、付き合ってくんない?」
「……え?」

あまりの唐突な言葉に耳を疑った。
思いっきり目を開けて彼へと目線を変えれば、あまりの近さに息を呑む。鼻と鼻が付きそうな程近い彼から後退れば、背中にある机が邪魔をする。逃げれない状況に困惑しながらも、彼の言葉に口元を引きつらせる。
何だか今まで罪悪感で押し潰されそうになっていたのが馬鹿らしく感じてくる。確かに非はあからさまにあたしにある。しかし、そんなあたしに付き合えだなんて、まるで今までのあたしの罪悪感を嘲笑っているようで気に食わない。
リンはキッ、と彼を睨み付け、彼の胸を思いっきり突き飛ばす。

「ふざけないで!言いたい事がそれだけなら、あたしは戻るから!」
「……ってーな。ちょっと待ってよ」
「うるさいわね!あたしは用なんてない、」
「黙れよ」

教室の扉に手を掛けた腕を思いっきり掴まれ、そのまま壁に縫い付けられる。
レンの低い声に肩を震わせ、息が詰まった。彼の強い眼差しに視線を彷徨わせていれば、彼の掴む腕に目が止まる。
袖から覗く手首の赤い何本もの線。それは古いもので、それでもくっきりと鮮明に残っている。
まさか彼は自分で手首を切ったのだろうか。そこまで悩ませてしまっていたのだろうか。先程までの怒りなんて消え去り、込み上げてくるのは津波のような罪悪感。
リンは顔を青ざめ、レンに視線を変えれば。彼はそれに気付いたのか、ああ。とでも言うように目を伏せれば、リンの耳元で口角をつり上げた。

「安心しなよ、俺まだあんたの事好きだからさ。だから選択肢をあげるよ」

このままずっと罪悪感で押し潰されんのと、あんたが身体を捧げんのと……どっちがいい?
そう耳元で囁く彼の言葉に肩を震わせながらも、これは報いなのだと頭の中では冷静な自分が居て。
彼の心も体も傷付けてしまったという事実が鋭いナイフのように、胸に突き刺さる。きっと彼の痛みはこんなものじゃなかった筈だ。
リンは揺らぐ瞳で彼の瞳を見て、そっと口を開けた。



癒えない傷は舐め合えばいい




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虐めらレン君がマセレン君に進化したよ。という話。




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