神様が死んだとき





 煙草の灰でも飲み込んだかのような苦味と匂いに、全身を侵されていた。それもそうだろう。二度も黒焦げになって死にかけた。雷に打たれて死ぬなどと、普段ならば運が悪かったと同情される話だが、バカげたことに悪魔の実は、そんな災害までをも力にしてしまう。
 悪魔の実図鑑をガキの頃に読んだことはあったが、当時憧れていた力の数々を、今は欲しいとは思わなかった。イーストブルーでは大層珍しかった能力者を、グランドラインに入ってからは、どの島でも必ず見かけた。そもそも、仲間にも三人の能力者がいる。
 煙草に火をつければ、更に灰の匂いに支配された。瓦礫に背中を預け、探し求めていた金の鐘を、目の前にする。深く煙草の煙を吸い込み、白い靄を吐き出したところで、同じように黒焦げの男が、目の前に姿を現した。
サンジの存在を認めた瞬間、少し驚いたような顔をして、ゾロはその場に立ち尽くす。
「おう、マリモ。生きてやがったか」
「てめェもな」
 サンジは、促すように掌で地面を叩き、すぐにゾロから視線を逸らした。煙草を吸うことにただひたすら、集中しているフリを努める。どうしたものか、さっきから、この男のことばかりを考えていた。
 真っ向から死と向き合ったのは、十年も前のことだった。大嵐の波に攫われたときではない。じわじわと、日ごと飢えに支配され、内臓は縮み、骨と皮だけの身体となり、死へ導かれていく恐怖を、サンジはよく知っている。だが、今回ばかりは、そんな感覚ではなかった。人間、死ぬときは呆気なく逝ってしまうものなのだろうと理解した。隣の男だって例外ではない。自ら地獄へ落ちようとしてみせるゾロは、いつだって一人で、生死をかけた綱渡りをしている。バカだと言い切ってしまうことはできず、サンジはただ、ゾロの行動に呆れ、乱され、こいつは死なせちゃならねェ男だと、いつしか思うようになっていた。ルフィにも、ナミにも、他の仲間にも、同じことは思うが、ゾロに対しては、どこか違った。頭ではなく、もっと奥深いところから、その思考は生まれている。
「お前のヘビースモーカーっぷりは見事だな」
「そりゃァ褒めてんのか、貶してんのか?」
「まァ、どうでもいいけどよ。さっき鼻かんだら真っ黒だったぜ」
 それなのによくもまァ、似たようなもんを吸えるな。ゾロはバカにするでもなく、サンジの隣へ腰を下ろし、鷹揚に続けた。その中でサンジは、予想外のゾロの言葉に、思わず噴き出してしまった。その瞬間、確かに黒い鼻水が垂れ、ゾロに失笑をくらう。いつもなら、すぐに足を出してやるところだが、疲れきっていて、そんな気力さえ湧いてはこなかった。
 たまに悟ったようなことを言い出したり、今みたいなアホに笑ったりと、ゾロはなんとも掴めない物体だった。同じ人種とは到底思えない。サンジは鼻を啜りながら、同じように黒焦げの男を見遣る。ゾロもエネルにやられたというわけだ。いつ死んでもおかしくはなかった。互いに息絶えるならまだしも、残されたときのことを考えれば考えるほど、鳩尾の奥の臓器が、重くのしかかってくるようだ。まさかと認めずにいたが、この男を失いたくない。独占欲にも似た気持ちは、今まで女性相手にも感じたことがないほどの熱を孕んでいる。
 いつしか、失笑から爆笑へと種類を変えたゾロに、サンジの堪忍袋の緒が切れた。膝に置かれていた腕を掴み上げ、いい加減にしろ、と声を潜める。体重をかければ、いとも簡単に、ゾロは背後へ倒れ込んだ。反撃される前に顎を掴み上げ、煤けた唇へ噛みついてやる。焦げた匂いと苦味に、どうしてか興奮が増した。男にこんな感情を持つなどと、理解しきれていなかったサンジだが、もう言い訳のしようもない。それこそ、初めは、雷に打たれたような衝撃を受けたのだ。嫌悪感も戸惑いもなく唇へ吸いつけば、触れ合う身体がぐっと熱くなる。
 そのとき、サンジのうなじに、何か冷たいものが当たった。ぽつ、ぽつ、と断続的だったそれは、次第に雨だと理解できるほど強くなっていく。空の上にいるというのに、雨は降るのかと、思わず顔を上げた。空島にいても、まだその上空に雲が見える。世界は広いなと、そんな漠然とした感想を持った。
「何しやがるクソコック! どけ!」
 次第に強くなっていく雨脚を回避する術もなく、シャツが重みを増していく。ゾロは珍しくタンクトップを着ており、しなやかに伸びる腕の筋肉へ目を奪われた。男だ。押さえつけている身体にも、柔らかな部分はまるでない。紛れもなく、言い訳のしようもないほど、ゾロは男そのものだった。雨に流され、煤けたその肌が、次第に普段の色を取り戻していく。
「全部……雨が洗い流してくれりゃァいいのに」
 都合のいい考えに苦笑し、もう後戻りはできないだろうと、サンジは身を引き締めた。見るからに朴念仁な男相手へ、思いの丈をぶつけたところで、どうにもならないのだろう。だが、言わずにはいられなかった。喧嘩ばかりしていたが、キャンプファイヤーのために二人で組み木を立てたり、料理の手伝いをしてもらったときのことを思い返せば、もっと最初からああしていればよかったのだと、後悔の波が押し寄せてくる。せめて、これからは、ああいう時間が増えればいい。だから結局、雨に流されてしまっては困るのだ。
 煤が落ちきる前に、サンジの身体を押し退けようと抵抗するゾロの腕を掴む。まっすぐにその眸を見据えれば、ぴたりとゾロの抵抗が止んだ。背に注ぐ大きな雨粒が、ありとあらゆる痛みを誘う。だが、さすがにもう、空から雷が落ちてくることはなかった。

(20140621)


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