Tous les bleus4 歩くたび、ボトルが手の中で触れ合って、ガチャガチャと耳障りな音を立てている。結局、サンジの腕を振り払うことも、どこへ行くのか問いただすことも面倒になり、ゾロは早々に思考を放棄した。そうしてサンジのジャケットが翻るたび、捕まれた腕へ視線を送ってみる。やはり、男に触れられたそこは次第に熱が燻り、ちりちりとした痛みさえ訴えてくる始末だ。見覚えのある町中に戻ってくると、サンジは不機嫌に眉を吊り上げたまま、ようやくゾロを振り返った。 「てめェ宿は」 「……取ってねェ」 質問の意図が掴めないまま更に腕を引かれ、夕刻の活気はどこへやら、人通りのない商店街を歩き続けた。腕を掴むサンジの手には、きつく力がこめられており、少し痛かった。 明らかに怒気を含むその背中を、ゾロは漠然と眺めていた。不可解なその態度にさえ、不思議と苛立つことはない。そもそも、サンジの怒る理由が分からないのだから、どうしようもなかった。昨夜から、わけの分からない行動を繰り返すサンジへ対し、やっと腹が立ってきた頃、小綺麗な宿の中へ足を踏み入れた。サンジがカウンターを素通りしたことで、元々取っていた宿なのだと知る。 「チョッパー探してくるから、絶対動くんじゃねェぞ」 サンジは必死で怒りを静めているようで、搾り出すその声は、小刻みに空気を震わせていた。むりやり部屋に押し込まれ、呆然としていたゾロだったが、部屋を出ていこうとしたサンジの腕を咄嗟に掴む。なぜチョッパーが出てくるのだと、真っ先に脳裏をよぎった疑問を口にすれば、サンジの動揺が、掴んだ腕から顕著に伝わってくる。昨晩と変わらず、冷たい男の肌が己の熱と中和されていく様を色濃く感じ、ゾロは逃げるように手を離した。 「てめェが怪我してるからだろうが!」 「するか! あんな雑魚相手!」 吐き捨てるように続ければ、男は眉を寄せて、胸ポケットから煙草を取り出した。じゃあそれはなんだ。先程より落ち着いた様子で、ゾロのシャツについた血を視線で示す。ゾロは、そのことに面食らう他なかった。おれのじゃねェ。そうとだけ告げれば、サンジは間延びしたため息を吐くと、部屋の扉を閉めた。沈黙が続き、サンジの吸う煙草の煙だけが、苛立ちに揺らめいている。 ゾロが手持ち無沙汰に立ち尽くしていると、壁にかけられた時計が、一度控えめに鐘を鳴らした。左右に揺れる振り子へ意識を向け、時間を確認すれば、ちょうど日付が変わったところだった。嫌でも、サンジの誕生日を意識させられる。 「……おめでとう」 「あァ?」 「誕生日、だろ、てめェ」 サンジは不躾に声を上げたあと、まるきり興味がないような態度を取り、ああ、とだけ呟いた。サイドテーブルに置かれた灰皿へ煙草を押しつけ、気だるげにベッドへ腰をかける。手に持つ二本の酒瓶を渡すべきかゾロは逡巡し、結局はドアノブに手をかけて扉を開けた。そのとき、サンジに名を呼ばれる。ゾロは振り向くと、扉を開け放したまま、その場で立ち尽くした。 「プレゼント」 サンジはにやりと口端を上げ、促すようゾロへ向けて掌を突き出した。図々しい野郎だと口では悪態をつきながら、男の言葉に助けられたのを、ゾロは実感する。きっと、自分からは言い出すことができなかった。静かに扉を閉めれば、部屋にはゾロとサンジの二人だけになる。途端、居心地が悪くなった。狭い簡素な部屋で、男といるのは妙な気分だ。 ゾロはサンジの前まで歩みを進め、無愛想に酒瓶を突き出した。気の利いた言葉など、ゾロの口から紡がれるはずもない。サンジは大きく目を見開いたあと、突然、声を上げて笑い始めた。 「あーあ、そんなこったろうと思った」 酒瓶を受け取らないままベッドへ倒れ込むと、サンジはその反動で乱れた髪を掻き上げた。何が不満なんだと、今にも喧嘩腰で文句を垂れてしまいそうになる。咄嗟に抑え込むと、部屋へ視線を巡らせた。サイドテーブルの引き出しを開ければ、やはり中にはグラスが二つ入っている。 サンジにやるはずだった酒瓶のコルクを抜き、ゾロは店主の指先を脳裏で再生しつつ、見よう見まねでグラスに青い液体を注いだ。グラスの中、半分にも満たない青で内側をまんべんなく濡らしたあと、その上から更に特製のシャンパンを満たす。マドラーはなかったが、新しく注がれる漣によって、すぐにその二つは混ざりあった。それだけで、オールブルーは完成する。 サンジはいつの間にか上体を起こしており、食い入るようにしてゾロの手元を眺めていた。覚束ないゾロの手つきに文句の一つでもつけてくるのかと思いきや、何か眩しいものでも見つめているかのように目を細めている。ゾロは、安堵にも似た心地で息をつく。そのまま、もう一つのグラスにもオールブルーを生み出した。蒼い水面をまじまじと眺める男の視線から逃れようとして、ゾロは不躾にグラスを手渡す。 「こんな綺麗なブルーが出るカクテル見たことねェ。なんて名前だ?」 「……知らねェ」 元々、ゾロの答えには期待していなかったのか、サンジは気のない返事をして小さく笑った。その表情に呆気に取られていると、サンジはベッドの脇へ腰をずらし、空いた隣のスペースを掌で叩く。促されるまま男の隣に腰を下ろせば、スプリングの軋む音が妙に響いた。 サンジが身じろぐたび、ベッドが沈み、また弾力を取り戻すのをゾロは一身で感じている。自分が動くときでさえ意識してしまい、ただ身を硬くさせた。そんな余計な考えを打ち消すよう、ゾロはオールブルーを体内に流し込んだ。水分を吸収しても、いやに咽喉が渇いた。サンジはムードがねェなァ、と笑いながら続いてグラスを傾ける。一口飲んで、驚きに目を見張った。そんなサンジの様子を尻目に、ゾロは俯いてひたすらに反応を待った。サンジは口許からグラスを離し、呆然と、少し嵩の減った海を見据えている。薄く開いたままの唇が、わななく気配がした。 「本当に、おれへの……プレゼント?」 「だからそう言ったじゃねェか」 普段から酒の管理もしている男ならば、ゾロが甘みの強い酒を好んで飲まないことぐらい、知っているはずだ。それからサンジは、へェと頷いたきり、口を閉ざしてしまった。こんなとき、ゾロの脳は、何も気の効いた言語を生み出してはくれない。頭では色々と考えを巡らしていても、脳から唇へ繋ぐ神経が麻痺してしまうのだ。妙な焦燥に駆られるが、サンジが女へ話すときのようにはいかなかった。途切れることなく甘い言葉を紡ぎ続けるサンジに毎度呆れもしたが、ゾロはよく回るその舌にいつも感心している。 「話しただろ、この島の祭りのこと」 途中、言いづらそうに押し黙ったサンジへ向けて、肯定の意味で小さく頷く。今のサンジは、ぺらぺらと動く口とは、まるで無縁だった。考えてみれば、いつだってゾロの前では、その唇が延々と上下することもない。 グラスの底へ残った蒼の水滴を見つめ、ゾロは続くはずの言葉を待った。サンジは部屋を淡く照らし出すランプを見上げると、所在なげにグラスを指で叩き、長い脚を組む。ベッドが沈む感覚に身を委ね、ゾロも同じようにその灯りを見上げた。 サンジがどのような感情を持ってして、この小ぶりな炎を眺めているのか、ゾロには一切分からない。なにかを決意したように、グラスの中の海をサンジが一息に飲み干す瞬間を、揺らぐ眸の水面と共に見据えた。 「おれァ、てめェに憧れてんだ」 ほんの少しの苛立ちを含んで、その言葉は口早に発せられた。ゾロは、理解するのにしばらく時間を要する。酔っ払ってんのか、そう言おうとして、いつもと変わらないサンジの目の膜から視線を逸らし、口をつぐんだ。何も言えずにいると、サンジがサイドテーブルへ腕を伸ばしたことで、ゾロの前にその身体が倒れ込んできた。密着した身体をひどく意識し、気づけば渇望している。 グラスを置いた代わりにサンジが灰皿を手にすると、すぐに身体は離れていったのだが、ゾロはいつまでもその感触を忘れられずにいた。サンジは流れるような仕草で、煙草に火をつけている。 「穢れとか、後悔とか、どう見ても無縁でバカみてェに前だけ見ててよ」 煙草を咥えているせいか、くぐもった声でまくし立てる。次いで、言葉を詰まらせたとき、唇を真一文字に結んで、サンジは俯いてしまった。淡い灯に照らされる金の髪が顔に影を作り、ゾロからサンジの表情は読み取れなくなってしまう。サンジの言葉を何度か反芻させて、それを鼻で笑うと、ありえないと一蹴した。ゾロはただ、振り向かないよう必死で虚勢を張り続けているだけだ。自分の弱さは嫌というほど自覚している。 初めて人を斬ったときのことはよく覚えていた。身体の震えが止まらず、刀を振るうだけで精一杯だったゾロは、相手を殺めた。何も殺すことはなかったと、それは今でも鮮明に感じることだ。 「……でも、あんな顔しやがるから」 「あ?」 殆ど吸わずとも伸びた灰を、サンジは手元の灰皿へ落とす。まだ十分長さの残る煙草を一度深く吸うと、乱暴に火種を消した。一体どんな顔だってんだ、その疑問をゾロがぶつける前に、サンジは片膝をベッドへ乗り上げ、ゾロのことを抱きしめた。肩に額を擦りつけられ、波打つシーツを、ゾロは咄嗟に指先で掴む。 「てめ、酔ってんのか!」 口先だけで身体を引き剥がそうとしないゾロに対し、サンジは喉を鳴らす。想像していたよりも広く筋肉質なサンジの体躯は、性別で判断すれば、紛れもなく男のものだと実感させられる。女のように柔らかくもないそれを、嫌だとは思わなかった。それ以上に触れてみたいのだと、ゾロは手を伸ばしかけて、すぐさま押し留まる。そして、肩口を擽るサンジの吐息に身を捩った。 「さァな。てめェで判断しろよ」 やはり酔っているとは到底思えない声色で、サンジはゆっくりと顔を上げた。ゾロを抱き締める腕には、まったく力が入っていない。いつでも逃げられるぞ、そう言われているようだった。ゾロは身じろぐと、正面からサンジと向き合った。 ふと、互いの性別を思い返してみる。男だと、目の前の相手に対し、実感したばかりだ。だが、どうだ。ゾロだってまぎれもない男である。その考えに至った途端、違和感を覚えた。はたして何がおかしいのか。そこまで考えて、ゾロはハッとする。ゾロを腕中にしまうこの男は、重度の女好きだ。男相手に、こんな行動を取るはずがない。 そのとき、突然顔を寄せられて、ゾロは追いつかぬ思考の中で逃げを打った。サイドテーブルに腕を引っかけ、落ち損ねたグラスが、底を浮かせて一度音を立てる。狭いシングルベッドの上では、背中はすぐ壁に阻まれしまい、ゾロはそれ以上の逃げ場を失った。サンジは懲りもせず、ゾロへ鼻先を寄せ、どこか熱の孕んだ視線を向けた。瞬間、ゾロは呼吸さえ忘れてしまう。 「あのプレゼントに、意味はあんのか」 ひどく掠れた声で問われ、沈思すると何度か瞬きをする。それに見合った答えが頭に浮かんだ瞬間、一気に顔へ熱が集中した。腕は解かれたが、濁りのない海は、すぐ近くにあった。ごまかせまい、そう感じ、ゾロは意を決する。 「てめェの、目の色と、同じだと……」 サンジの目が驚きに見開かれたのと同時、ゾロは言葉に詰まった。あのときの感情に見合う言葉が、どこかへ立ち消えてしまう。何を思ってサンジのプレゼントに酒を選んだのか。そして、サンジは何を思い、ゾロを相手にこんなことをしているのか。たまらず目を伏せれば、サンジの身体はいとも簡単に離れていった。それでも、不自然に近いことには変わりない。ふたたび俯きそうになる顔を、ゾロは意地で上げた。それから、おめェと飲みたいと思ったのだと、素直に口にする。 「これじゃァ……まるで、告白されてるみてェだ! はっ、マリモ相手に!」 声を上げて笑うサンジを睨みつける。こういう反応をするだろうことは、予想できていた。ただ、実際目の当たりにしてみれば、想像以上に腹が立つ。生憎、ゾロの気はそう長くない。煙草に手を伸ばしたサンジの腕を掴むと、むりやり蒼い水面を捕らえた。 「してんだよ、んのアホコック!」 サンジは、ぽかんと口を開けたまま、ゾロの顔を凝視した。蒼い水面を湛えた眸は、ゆらゆらとたゆたい、戸惑いを見せている。そこから目を逸らさぬよう、ゾロは一人必死だった。ここでまた笑い飛ばされようが、軽蔑されようが、いつの間にかどうでもよくなっていた。ここまでくれば、引き返せまい。そのときはそのときだ。 「おま、おれのこと、好き、なの?」 ちゃんと意味分かってんのかよ、震える声でサンジに問いかけられ、ゾロは眉を寄せる。他にどんな意味があるというのだ。そのままを告げれば、その顔はみるみる内に赤く染まった。思いがけない反応に、掌がじわりと汗で滲む。 サンジの目を見据えたまま動けずにいると、割れるのではないかと危惧してしまうほど、大きな音を立てて窓が揺れた。春一番かな、サンジが呟いたとき、わずかに開いていた窓から風が吹き込み、ランプが大きく傾いだ。 そのとき、ランプの灯がぱっと消えてしまった。暗闇に包まれた部屋へ気を取られていると、突如顎を掬われ、口づけられる。一度軽く触れただけで離れていくそれを、ゾロが名残惜しく思っていれば、サンジがベッドに身を乗り上げて、正面からゾロを抱きしめた。二人分の重みによって沈み込み、軋むスプリングへゾロが意識をやったとき、夢みてェだ、と震えるサンジの声をどこか遠くで聞いた。 |