恋愛4



 いつの間に眠っていたのか、サンジに叩き起こされ、風呂場に突っ込まれるまで、まるで状況を理解できずにいた。シャワーを浴びて、そこで初めて、そういえばサンジの元へ来たのだということを思い出す。昨日出会った、たしぎという女の顔が、共に脳裏に浮かぶ。ゾロはすかさず舌を打つと、がしがしと頭を掻いた。
 土産に持ってきた野菜をふんだんに使ったという朝飯は、昨日の洒落た料理とは違い、食べ慣れた和食だった。ゾロはどこかで、懐かしい気持ちになる。サンジの作った飯はいつだって、舌を巻くほど美味いのだ。村にいる頃にも、たまに洋食を食わせてもらっていたが、言った覚えはなくとも、ゾロは和食が好きだということに気がついているようだった。今まで一度もレパートリーが被っていないことに感心し、湯気を立てるあさりの味噌汁を畷った。贅沢にも、朝から刺身まである。やはり、新鮮な海の幸は、調理されていなくとも、その美味さがよく分かった。
 他のコックたちは、とっくに仕込みを始めているようで、広いダイニングには、ゾロとサンジの二人しかいない。うまいと素直に告げれば、サンジはいつものように、変わらぬ笑顔を浮かべた。ここへ行こう、あそこへ行こうと、よく回る舌でつらつらと語るサンジへ、適当な相槌を打ちながら、また海へ行きたいと、ゾロは素直に申し出る。
「おめェ本当海好きな。ここ出りゃいくらでも見れるけど、どっか他行ったほうがいいか?」
「あァ、すげェ好きだな……何赤くなってんだ、お前」
「う、うっせェな。黙って食え」
 お前こそさっきまでべらべら喋ってたじゃねェか。そうからかえば、テーブルの下で脛を蹴られ、十も下のガキと、本気で喧嘩になった。サンジと過ごす時間は楽しい。それは、こいつがガキの頃から変わらない認識だった。
 レストランを後にすれば、真っ青な世界がそこには広がっている。青がぐちゃぐちゃに溶け合って、空と海の境界すら分からない景色は、ゾロの目には真新しく、濃厚な磯の香りは何度嗅いでも心を浮き立たせた。太陽の光を反射させ、きらきらと水面が輝く様を、昨日は見ることができなかった。また違った感想を抱いたことで、ゾロは途方もない海の果てを実感する。サンジは煙草を吹かせながら、海なぞ見飽きているだろうに、ゾロが満足するまで黙って付き合ってくれた。
 レストランから陸までは、船に乗るか、長い桟橋を渡らなければならない。しかも、今の季節、地上よりも寒さに身を震わせなければならない場所だ。そんな面倒な道程を辿ってまで、このレストランへ訪れる客の気持ちも、よく分かる。
 どうせ見えねェからと、サンジに手を引かれながら、ひたすら桟橋を歩いていった。たまに波が高く上がるたび、ゾロが履くスニーカーへ水がかかる。昨日の雪は幻だったのかと思うほど、見る影もなく姿を消していた。しかし、寒いことには寒い。濡れた爪先が感覚をなくし始め、身を竦ませながら、月極の駐車場まで、大の男二人で手を繋いで向かった。幸いにも、人と出会うことはなかったが、いつ知り合いに出くわすかも分からぬ場所で、サンジは見られても平気なのかと、ゾロは率直な疑問を持つ。

 村の人々への土産を買い込んでしまえば、元より物欲のないゾロは、買い物に興味を失い、そのあとはただ、サンジの後を着いて回った。コインパーキングに停めてある車へ、一度荷物を置きに戻ると、ふたたび街へ繰り出す。活気のある魚屋に目を引かれ、村のやつらに買っていってやれば喜ぶだろうなと思ったが、あの途方もない道程では、生ものを持って帰るには厳しいものがある。町で買ったほうがよほどマシだろう。
 平日だというのに、サンジの住む街は、めまぐるしいほどの人で溢れ返っていた。忙しなく、様々な種類の自動車が走っていくのを尻目に、促されるがまま、初めてゲームセンターへ入った。店内のあまりの騒々しさに、ゾロはたまらず顔をしかめる。あまり好きな場所ではなかったが、入り口からすぐのところにあるUFOキャッチャーへ、ふいに視線をとめた。山のように積み上げられた、チョッパーマンのぬいぐるみを見て、サンジと一緒になって笑う。チョッパーマンは、十年前から現在まで、未だアニメが続く人気作品なのだと、喧騒の中で、サンジが少し声を張り上げた。見れば見るほど、チョッパーに似て見えるのが不思議だった。
「うし、これチョッパーへの土産にしてやろうぜ!」
 UFOキャッチャーへ向かったサンジは、得意なんだと、意気揚々と胸を張った。宣言どおり、ー発でそのぬいぐるみを落としてみせる。サンジの部屋にある毛羽立ったチョッパーマンとは違い、ふかふかとしていて、触り心地がいい。そのときになって、十年もの年月の長さを感じた。取ったぬいぐるみを渡されたはいいが、ゾロの風貌に、可愛らしいぬいぐるみは、あまりにもミスマッチだった。それをゾロも自覚しており、仏頂面でサンジを見遣る。
「おっさんがぬいぐるみ持つのは、さすがにきついもんがあるだろ」
「そうか? 似合ってんぜ」
 明らかに笑みを含んだサンジの声音に片眉を上げ、ゾロはぬいぐるみをサンジへと押しつけた。これを手に帰路へつかなければならないのだと思えば、多少なりとも気が滅入る。
 ゾロも何かやってみろよと言われ、簡単だと言う、これまたチョッパーマンのストラップが、大量に積み上げられた機械へ赴く。操作方法を教えてもらいながら、ボタンを押してアー厶を動かした。開いたアームが商品の中へ侵入すると、チョッパーマンの山が崩れ、ころころと、ーつのストラップが出口へ転がってくる。サンジと共に歓声を上げ、アームが持ち上がったとき、更にもう一つ、ストラップの紐が、そこへ引っかかっていた。 やってみれば、確かに楽しかった。
 ストラップを手にしたサンジは、突然、携帯を出すようゾロを促した。昨日からジャケットのポケットへ入れたままだったそれを、ゾロは素直に手渡す。すると、ゾロから背を向けたサンジが、何やら手を動かし、いたずらな笑みを浮かべて振り返った。その手には、二人分の携帯が握られており、色違いのチョッパーマンが紐で繋がれ、ぶら下がっている。
「……さすがにこれはねェだろ」
「いいじゃねェか。せっかくの戦利品だ。使わねェとな」
「じいさんばあさんに何言われるか分かったもんじゃねェ」
「おれとお揃いだって言やァいいじゃねェか」
 おれもさすがに恥ずかしいぜ、そう言って携帯を返される。マントが靡いているチョッパーマンの姿を眺め、ゾロは諦めてポケットへしまった。
 一歩外へ出れば、サンジがぬいぐるみを抱えて歩く様も、ずいぶんと人目を引いていた。隣を歩いているのが女であれば、まだよかったのだろうが、今は片目のない、人相の悪い男がいる。 好きだと言うサンジの言葉を疑うわけもないが、こいつは男でいいのだろうかと、そんなことをゾロは思案する。
 少し歩くが、うまい飯屋があるというので、そこで昼食を取ることになった。 徐々に住宅街へと出たことで、同じ町だとは思えぬほど、人通りも少なく、閑静な場所を歩いていた。車の通りはやはり多いが、ゾロはどこか落ち着いていくのを感じる。普段、静かな場所で暮らしているせいもあるのだろう。どこか気疲れしていたことに、今更気がついた。
 丘となっているこの場所からは、海が見下ろせる。国道がすぐ脇に敷かれており、車がコンクリートを走る音に消され、潮騒までは聞こえてこない。だが、ゾロはその身を輝かせる波に、何度も目を奪われていた。今までは、別段海に興味など持っていなかった。だが、サンジの眸がきれいだと感じてからは、どうにもそこへ行ってみたくなったのだ。そのとき、なぜか昨夜の、サンジの言葉を思い出した。 そういうことじゃねェだろ。あのときサンジは、そう言っていた。好きならやりたいと思うのが普通だと、ゾロはそう思っているが、サンジの言葉にはきっと、別の意味が含まれている。あと少しで、その答えに辿り着けそうな気がしていた。だが、考えることを放棄して、ただ歩くことだけを意識する。
「あ、チョッパーマン!」
 幼い子どもの声が聞こえたことで、ゾロは海から、その声の方向へと視線を移した。こちらへ向かってくる親子がそこにはおり、ゾロの顔を見とめた母親が、ぎょっとしたような表情をする。そんな母親の感情を察することもなく、サンジの腕中のぬいぐるみを、少女はきらきらと目を輝かせ、見つめていた。
「チョッパーマン好きなんだね」
「うん!」
 サンジの言葉に元気よく頷く少女とは反対に、母親は娘の手を引き、分かりやすい愛想笑いを浮かべながら、足早に去ろうとしている。ゾロはそのすべてを面倒に感じながらも、サンジの手からぬいぐるみを奪うと、しゃがみ込み、少女へ視線を合わせた。
「やるよ、チョッパーマン」
 ぱあっと顔を輝かせ、少女はありがとうと、ゾロとサンジの顔を交互に見ながら、礼を言った。ゾロも笑みを浮かべ、ちゃんと礼を言えるなんて偉いぞ、そう言って少女を褒め、立ち上がった。母親も安堵したような笑みを浮かべ、礼を言っている。その間も、少女は喜びを全身で表し、チョッパーマンを抱えながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。サンジと目が合い、口端を上げると、親子へ挨拶をして、ふたたび足を踏み出した。
 そのとき、段差になっている歩道を踏み外し、少女が車道へと転がり落ちた。驚いている間にも、すぐそこまで、車が迫ってきている。ゾロが動くよりも先に、サンジが車道へ飛び出し、少女を抱え上げた。 遅れて、母親の悲鳴が響く。
「ゾロ!」
 呼ばれると同時、サンジは少女を放り投げた。ゾロは慌てて腕を伸ばすと、少女をなんなく受け止め、すぐさまサンジへ意識を戻す。サンジは、そのまま車道へ転がり、ゾロの狭い視界には、同時に車の存在も映っていた。 耳を劈くようなクラクションの音が、ゾロの五感を麻痺させる。腕を伸ばせば間に合うか、頭ではそう考えているが、ゾロは立ち尽くしたまま、その場から動くことができなかった。視界に広がる景色が、どこか遠くなる。
 サンジの姿が、くいなと重なっていた。あのときの光景が、目の前でフラッシュバックする。トラックがこちらへ迫ってくると気がついたときには、もう遅かった。くいなだけでもと腕を伸ばした瞬間、とてつもない衝撃に全身を呑み込まれた。宙を舞う間、よく聞く走馬灯さえ浮かばず、地面の上で何度か身体が跳ねた頃に、意識を失った。目を覚ましたときには、見知らぬ空間で、どこか足りない視界を意識することもできず、全身を蝕む激痛と高熱に数日魘された。変わり果てたくいなの姿を見たときには、怒りや悲しみといった感情は湧いてこず、ただ何も実感できずにいたのだ。
 血液が逆流しているような感覚に陥り、こめかみがじんじんと痛む。サンジは間一髪のところで、うつ伏せのまま地面を蹴り上げ、歩道へ転がり込んできた。あー、クソビビった。ゾロの足元に転がり、あっけらかんとした態度のサンジを見ても、ゾロの不安の渦は、収まることがなかった。そこでやっと状況を理解したのか、腕の中の少女が、大声で泣き始める。その手には、今でもしっかりと、チョッパーマンが抱えられていた。
 まだ意識を他へやったまま、ゾロはへたり込んでいる母親へ少女を手渡す。しばらく呆然としていた母親だったが、それからすぐに何度も頭を下げ、服を払いながら立ち上がったサンジとしばらく話したあと、まだ泣き止まぬ少女を連れて去っていった。母親も泣いていたことは分かったが、ゾロの麻痺した五感は未だ、働くことを放棄していた。会話なんて、まるで耳には入ってこない。今まで理解できていなかった死への恐怖を、ゾロは全身で感じ、今になって足が竦んでいた。
「ゾロ、大丈夫か?」
 不安げに顔を覗き込んでくるサンジへ、そりゃァこっちの台詞だろ、そう茶化そうと頭では考えているのに、喉が締めつけられたような息苦しさに、声が出なかった。しまいには嗚咽が漏れ、目の前のサンジが、おろおろと焦り出している。
「てめェまでっ、いなく、なんのかと……!」
「お、おれは大丈夫だから! このとおりぴんぴんしてるぜ!」
 おもむろに抱きしめられ、ゾロは腕を垂らしたまま、サンジの首筋へ顔を埋めた。未だ鼓動は収まらず、全身が震える始末だった。大丈夫、大丈夫だから、サンジが何度も囁くのに合わせ、背中を擦ってくれる。触れられている箇所から、次第に熱を取り戻していった。情けねェ、そう感じても、嗚咽はまだ止みそうにない。
 大切な人間を、また同じことで失うのかと、今まで恐怖など感じたことのなかったゾロの胸中には、様々な感情がせめぎあっていた。初めて、死ぬことが怖いと思った。やっとの思いで身体を動かし、縋るようにサンジの背中へ腕を回す。そのとき、ゾロは溢れ返った思いを、吐き出さずにはいられなくなった。
「好きだ……」
「え?」
「好きだ、おれは、おめェが」
 好きだ、好きだと、何度も告げるたび、サンジはうん、とただー言頷いてくれた。それにひどく安心し、ゾロはやっと、落ち着きを取り戻していく。サンジは、ゾロを抱きしめる腕に力を込め、鼻を啜る。顔を上げたゾロは、サンジの顔を見て、たまらず吹きだしてしまった。
「だから、なんでおめェが……泣くんだよ」
「嬉し泣きだっ、クソマリモ!」
 これじゃァ、どっちが慰められてんのか、分かりゃしねェ。今度は、ゾロがサンジの背を擦ってやった。なかなか泣き止まぬサンジの頬を、掌で拭ったそのとき、ふと、薬指に嵌められている指輪に目がとまる。もう、取ってもいいだろうと、そう感じた。くいなもそれを望んでいるはずだと、疑いようもなく確信する。うじうじしているなとか、遅いのよとか、そんなことを言われているに違いない。





 はあはあと、荒い呼吸だけが室内に響き渡り、昨夜サンジが行為を中断した意味を、今更ながら理解していた。主導権は十も下の男に完全に握られ、ゾロは違和感を逃すことへ、ただ必死になった。十分濡らしたのはいいものの、やはり、何かを受け入れるためにあるわけではない器官は、無理を強いられる。ローションを取り出したサンジに、エロガキが、と顔をしかめたゾロだったが、なんとでも、と簡単に流されてしまった。
 サンジの指が上下に動く感覚を一身で感じ、唇を噛み締め、それに耐える。痛くねェか? 不安げなサンジへ、お前こそ大丈夫なのかと、ゾロは息も絶え絶えに返事をした。サンジは幸いにも、多少の擦り傷だけで済み、大事には至らなかった。サンジが指を埋め込んだまま、身を乗り上げてきたために、内襞を擦る角度が変わる。痺れるような刺激に、たまらず声が漏れた。苦痛など、一瞬にして立ち消え、突然襲いくる快楽で、ゾロの頭は真っ白になった。
「見つけた。ゾロ、気持ちいい?」
「あっ、あっ、そこ、ばっかやめ、あァっ」
 中のしこりを重点的に攻められ、声を抑えることもままならない。胸へ舌を這わされ、足を広げさせられて、またしても醜態を晒していることは理解していたが、快楽の波に流され、羞恥が襲う暇もなかった。息を止め、唇を噛み締めていると、サンジがそこへ吸いつき、ついには呼吸までも奪われてしまう。
 指はいつのまにか二本に増やされ、ローションのためだけではない水音が、サンジの一室に加わりつつある。可愛いだとか、好きだとか、サンジはゾロが何かしらの反応を見せるたび、そんな甘言を囁き、幸せそうに笑っていた。
 ゾロの中を掻き回していたものから、やっと解放されたときには、すでに身体はぐったりとしていて、指先一つ動かなかった。首筋にきつく吸いつかれ、鎖骨へ擦れる髭の感触が、下腹を震わせる。普段はくすぐったいと命令を出すであろう脳も、どうやらバカになっているようで、今はそれさえ快楽へと変換されてしまっていた。
「力、抜けよ」
「んんっ……うあ、ァ、」
 両の膝裏へ手を入れられ、足を抱えられると、徐々にサンジのものが中へ割り入ってきた。いってェ、思わず口にすれば、悪ィ、でも余裕ねェ、と熱を孕んだサンジの声が続く。ゾロは、以前こうなったときも、同じ会話をしたことを、思い出していた。あのときの痛みよりは、幾分マシになっているが、どうしてか快楽は増している。
「ゾロ、好き、すっげェ好き」
 唇を吸われ、サンジのものが入り込んできた瞬間から、もう何も考えられなくなっていた。ゆっくりと腰を引かれ、ぎりぎりまで抜かれたところを、またぐっと奥まで突かれ、ゾロは自分のものとは思えぬ嬌声を上げ続ける。次第に早くなる腰の動きに合わせ、べッドのスプリングが軋んだ音を上げた。
 これまで放っておかれた性器を握られ、尿道を指の腹で刺激されれば、無意識に腰が浮き上がり、あっけなく果ててしまった。サンジも遅れて精を放ち、ゾロの上へ倒れ込んだ。飽くことなくキスをされながら、ゾロは力の入らない拳を握り込む。その指には、くいなの死を受け入れることができず、繋がりを保とうとした指輪はなくなっている。これを言ったらまた、サンジは泣くのではないだろうかと危惧していたが、予想に反して、サンジの眸は波風一つ立たず凪いでいた。それから抱きしめられ、キスをして、べッドへ縺れ込んだ。
 目標もなくし、剣道を止めたのは本当のことだった。あの女が嘘だと言ったのも、あながち間違っていなかったのかもしれない。現に、竹刀は捨てられずにいる。ゾロは、剣を握りたいという感覚にただ浸り続け、次第に動くようになった腕を、サンジの背に回した。


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