恋愛3



 ゾロは気を引き締め、短い階段を上りきった。途中、風呂の場所を聞いていないことに気がついたが、まァいいかと、サンジの部屋へ向かうことにする。しかし、膨大な部屋数の前で途方に暮れていたそのとき、見上げるほど高いコック帽を被ったゼフに出くわした。サンジが帰ったあと、入れ替わるようにして、ゼフが村へやってきていた。顔見知りの人間に出会えたことで、ゾロはやっと表立った感情を押さえ込むことができる。今回、世話になることの挨拶をし、サンジの部屋へ案内してもらったはいいが、静かな見慣れぬ部屋は落ち着かなかった。とりあえずと、べッドへ腰をかけ、枕元にあったチョッパーマンのぬいぐるみをなんとなく抱え上げる。
 ゾロは、らしくもなく動揺していた。似ている人間は三人いるとよく聞くが、それを目の当たりにしたのは初めてだ。くいなに似ている女を見ただけで、こんなにも心を掻き乱されるとは思ってもみなかった。サンジと再会する前であれば、あからさまに動揺を見せることもなかっただろう。写真の中のくいなを見ても、取り立てて感情が湧いてくることはない。サンジが帰ってからは、今までのように何も感じないわけではなかったが、もうとっくに、立ち直っているのだとばかり思っていた。
 毛羽立ち、薄汚れたぬいぐるみを抱えながら、ゾロはふと、べッドの脇にあるカーテンへ目をとめた。同じ色をした車を思い出し、サンジは青が好きなのかと、そんなどうでもいいことを思った。無地のカーテンを開くと、身を乗り出して、窓の外へ視線をやる。そこには、いかにも柔らかそうな雪が、宙を漂い、海へ身を投げる姿があった。たまらず鍵へ手をかけ、窓を開けきる。途端、凍てつくような風に吹かれて、ゾロはあまりの寒さに身をすくめた。自然、チョッパーを抱える腕の力も強くなった。
 波の音が、両の耳に飛び込んでくる。使い古された擬音を、言葉にするのは簡単だが、とても一言で表せられるものではないと、ゾロは思った。磯の香りと、冬の冷えた空気が、鼻腔にも入り込む。目の前に広がる海の存在は、なぜだかゾロの胸を、たまらぬほど躍らせた。この歳になってしまえば、わくわくだとか、どきどきだとか、そんな感情を覚えることさえ、少なくなってしまうものだ。
 寒さに身を震わせながらも、ゾロは暗い水面と、その中で浮かび上がる白い物体から、目を逸らすことができずにいた。月や星は、厚く濁った雲によって隠されている。そんなときでさえ、くいなの顔とサンジの顔が、交互にゾロの脳裏で点滅していた。
 いつまでそうしていたのか、部屋の扉が開いた瞬間、寒ィ! と叫んだサンジの声に、ゾロははっとして振り返った。目が合ったが、やはり、すかさずサンジの方から逸らされてしまう。それを追いかけることもできずにいれば、ガラス製のテーブルへ置かれていたリモコンを、サンジが手に取った。ピッという機械音に遅れて、風が鳴る音が聞こえ始める。そんなはずはないが、エアコンの音に、せっかくの波の音が、掻き消されてしまうように感じた。
「お前な、風邪引くだろうが」
 眉尻を下げ、サンジはべッドへ片足を乗り上げると、窓を閉めた。スプリングが沈む感覚に、ゾロは意識を向ける。一向にゾロの顔を見ようとはしないまま、サンジは雪なんて珍しいと、口早に続けた。それから、戸惑うように手を伸ばされ、ゾロも拒むことなく、サンジへ身体を預けた。抱きしめられながら、どこかで安堵している。おれはくいなとサンジ、一体どちらが好きなのか。たしぎに出会ったことで、ゾロの心はひどく掻き乱されていた。一つになりかけていた感情が、またもぐちゃぐちゃに崩壊し、窓越しの海へ身を投げる。
 答えなど、目を逸らし続けていただけで、とっくに見えていたはずだ。それが、今になって分からなくなった。サンジは、くいなのことを好きでいていいと言っていた。はたして、それが本心なのかは疑問だが、サンジの優しさに甘えているだけのように感じられて、ゾロは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「やっぱすげェ冷えてんじゃねェか。まだ風呂入ってねェだろ? 今なら誰も使ってないと思うから行って来いよ」
 ロではそう言いながら、サンジはゾロを抱く腕に力を込めた。その声も、不安げに揺れている。大丈夫か? そう聞かれ、そっくりそのまま返してやりたかったが、きっとゾロの態度も不自然なのだろう。いい歳して、十も下の男に気を使わせるのは、さすがにプライドが許せなかった。あの日の夜の出来事も、思い出しただけで、頭を抱えたくなる始末だ。
「あー、大丈夫だ。しかしビビった。悪かったな、店騒がせちまって」
「……んなの、別に」
 サンジは途中でロを噤み、ゾロの肩へ顔をうずめた。おめェの、そういうとこ、嫌いだ。震える声でそう言ったあと、ゾロがこの場にいることを確かめるように、ますますその背をきつく掻き抱いた。いてェよ、そんな文句を垂れながら、ゾロはサンジの頭部を両手で掴み、むりやり顔を上げさせた。そのまま唇へ噛みつけば、サンジの青い眸が、大きく見開かれる。それらを遮断するよう、目を閉じたゾロは、薄く開かれたサンジの唇の隙間へ、舌を滑り込ませた。
 無性にキスがしたくなった。衝動に身を任せ、動かないサンジの舌を掬い取る。んんっ、と息を漏らしたサンジに、端的に言えば、興奮した。力の抜けたサンジの身体に体重をかけると、たいしてゾロと変わらぬサイズの身体を押し倒す。金色の髪が、白いシーツの上に舞ったのを見遣り、ゾロはサンジの上へ乗り上げ、また唇を重ねた。
 腕の中にあったチョッパーマンが、べッドから落下する。ー瞬それに気を取られたが、今度はサンジも、ゾロの動きに合わせ、口づけを深めてきた。舌先を絡め合い、薄いサンジの舌を何度も吸った。兆し始めたものをスラックス越しに揉んだそのとき、サンジがゾロの肩を押し、目を白黒させる。
「えっ、ちょっ、ゾ、ゾロ……?」
 ゾロは何も答えず、べルトのバックルを外すと、サンジの性器を下着から取り出した。男に欲情するだなんて、考えたこともなかった。サンジだって、女への態度を見ていれば、男が好きなわけでもないのだろう。
 村での、あの出来事でさえ、不快感はまるでなかった。考えてみれば、本当にチビナスだった頃のサンジに、キスをされたことは元より、突然でかくなったサンジに押し倒されようとも、気持ち悪いという感情は一切持たなかったのだ。そのとき、気づくべきだったのだろう。
 握った性器を、緩慢に扱き始めれば、ぴくりとサンジの身体が跳ね上がった。やめろ、ロではそう言うものの、サンジは抵抗という抵抗を見せない。あのときの、ゾロと同じだった。本気で嫌だとは、感じていないのだ。寧ろ、触れて欲しいとさえ、渇望していた。
 一切の抵抗もなく、サンジの性器をロに含んだ。奇妙なほど冷静に、こんな味がするのかと、バカげたことを思案している。当たり前だが、いくらサンジの作り出すものであれ、けして美味いものではない。サンジの荒い呼吸が、どこか遠くに聞こえていた。片手で性器を支えながら、裏筋に尖らせた舌を這わす。すると、サンジのものが、更に質量を増したのを、手中で感じ取った。
「あっ、マジでやめっ、」
 じたばたと足を動かしたサンジだったが、それを腕で封じ、ゾロはまた、ぱくりと性器を咥えた。ロを窄め、カリの部分を吸い上げれば、サンジの呼吸はますます荒くなった。抵抗する意思とは裏腹に、性器は素直にも、ぴくりとその身を震わせている。浮かび上がった血管が脈打つ様が、舌の表面から伝わってくるようだった。だが、サンジは苦しげに起き上がり、力づくでゾロの顔を引き剥がした。思わず面食らったゾロは、濡れた口許を腕で拭い、そんなサンジの様子に眉をしかめる。
「一回やってんだ。何も変わらねェだろ」
「アホかてめェ……そういうことじゃねェだろうが!」
「あァ? 何が違うってんだ、チビナス」
 サンジは怒りの形相で、上体を起こしたゾロの胸倉を掴み上げた。それから、ぐしゃりと顔が歪められ、ゾロはぎょっとする。また泣くのかよ、そうからかう空気でもない。
「自棄になってるだけじゃねェか。それに、そうやって誤魔化してんじゃねェよ」
「なんのことだ……」
「おれが、いつまでもチビナスだと思ってりゃ、てめェは気が楽なんだろ」
 言葉の意味が、まるで理解できなかった。サンジはそれ以上、何を言うでもなく、ゾロの胸倉から力なく手を離した。やっぱ、おれには無理だ。無気力に呟かれたものを、ゾロは聞き逃さず、だから一体なんの話だと、追求してみせる。だが、当のサンジは、何も答える気がないようだった。ますます、ゾロの眉根には力が入る。
「おい、マジで嫌いになったのか? サンジ」
「なっ……」
 俯くサンジの顔を覗き込みながら、問うた言葉には、顕著に不安が含まれており、ゾロは自分でも驚いた。目尻を赤く染めたサンジは、やっぱ卑怯だ、そう言ってゾロの背中に腕を回す。好きに決まってんだろ、鼻を啜りながら、そう言ったサンジの背へ、ゾロも腕を回した。卑怯で結構だと、そうとまで思った。
「どうしたら、お前の心を解かせてやれるんだろう」
「あんだって?」
「……なんでもねェ」
 失言だったと言わんばかりに、身体を強張らせたサンジは、もう一度鼻を啜ると、笑みを貼りつけて顔を上げた。今日はもう寝ようぜ、風呂は朝入りゃァいい。抱きつかれたまま体重をかけられ、おりゃ、とベッドの上へむりに倒される。足元でダマになっていた毛布と掛け布団を一緒に手繰り寄せると、ゾロの身体を包み、サンジは制服のスーツを脱いだ。気まずげに、まだ張り詰めたままの性器を部屋着で隠しながら、蛍光灯のスイッチを消す。突然暗闇に包まれた一室で、蠢く黒い影を追い、ゾロは息を吐いた。サンジがべッドへ潜り込んでくるのを待ち、すかさず壁際へ身体を向ける。
「おめェ、きつくねェのか、それ」
「きつくねェわけねェだろ。そういうこと聞くな、クソマリモ」
 拗ねたようなサンジの声が、すぐ近くから聞こえてくる。じゃあ、ヤればいいだろうが。率直にそう感じたが、ゾロはそれをロにはしなかった。確かに、サンジの言ったとおり、自棄になっているのは確かだ。しかし、それ以上に、サンジに触れたいという欲が募った。ゾロの無言から何を感じ取ったのか、サンジは深々とため息を吐き出している。
「ゾロ、何もしねェからよ、抱きしめていい?」
「そりゃ、こっちの台詞だろ」
「なははっ、違いねェ」
 サンジが身じろぎ、背後からぴたりと密着される。頭を上げるよう促され、素直に従えば、べッドとの隙間へ、サンジの腕が滑り込んできた。手、貸して。そう耳元で囁かれたとき、投げ出していた手を取られ、すかさず指を絡め取られる。もう一方のサンジの手は、いつの間にかゾロの腹に回されており、途端こっぱずかしくなったゾロは、むりにでも目を閉じた。
 繋いだ手を、確かめるように撫でるサンジの指先が、指輪に触れたそのとき、一瞬動きを止める。やはり、気にしていないなんてことは、ないのだろう。ゾロは目を開け、そこにあるはずの壁を睨みつけた。
「外すか?」
「……そんなつもりじゃねェよ。少し、冷たかっただけだ」
 サンジの声には動揺が含まれていたが、穏やかなその声音に、嘘だとは思わなかった。くいなを忘れることなんて、きっと、できないのだろう。一生、くいなだけを好きでいるのだと思っていた。
 事実は小説より奇なり。あの家では似合わないワインを傾けながら、鷹の目が機嫌よく言っていたことを思い出す。くいなのときと同じく、何千回も勝負を挑んでは打ち負かされ、鷹の目に師を仰いだときのことだ。我ながら突拍子もないことをしたとは思うが、強くなるにはもう、それしか道がないと思った。
「ゾロが、外したくなったら、外せばいい」
 サンジはそれだけ言うと、ふと身体の力を抜いた。寝たのかと思ったが、ゾロと同じように、意識は他のことにあるのだろう。サンジのこととなると、迷ってばかりだった。いつもまっすぐ、信じる道を突き進んできたゾロは、それを打破する術を持たない。睡魔がやってくる気配はなかったが、互いにそれ以上話すことはなかった。





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