恋愛



はつこい」「初恋」の続き
2014年に発行した本の再録です。





 心地好い振動に揺られるたび、足元のビニール袋が音を立てる。手土産というにはいささか多すぎる荷物の中は、ほとんどがゾロの村で採れた野菜だった。村の老人にあれもこれもと渡され、畑仕事も幾分暇になるこの季節に、ゾロはサンジの生まれた地へ足を運ぶことにした。むりやり押し切られたと言った方がいいような気もするが、ゾロも、初めての海に自然と浮き立っている。サンジが暮らす場所は海に囲まれており、見渡す限り青しかないのだと、いつか言っていた。
 車窓から見える景色は、所狭しと建ち並んだビルの間を抜け、落ち着いた住宅街へと移り始めている。車内にはぽつぽつと制服を着た学生がいるぐらいで、満員には程遠い。電車に乗ったことさえ、ゾロにはずいぶん久しぶりのことだった。
 ゾロが生まれ育った場所も、けして都会とは言い難く、乗り換えだとか、そんな小難しいことも必要なかった。あれほど込み入った路線図を見たことも初めてだ。途方に暮れて、それを見上げていたとき、人の良さそうな鼻の長い青年が親切にしてくれたことを、ゾロはふと思い出した。思えば、電車に乗ったのは、くいなの父であり、ゾロの剣道の先生でもあるコウシロウの元へ結婚の挨拶に出向いたときぶりだ。
 車に乗り、バスに乗り、新幹線、電車を乗り継ぎ、やっとここまで辿り着いた。こんな面倒な道程を辿ってまで、サンジに会いに行こうと、結局は自身が決めたのだ。どういう心持でそうしているのか、ゾロにもよく分からなかった。あれから半年が経ったが、サンジに問われた答えは、まだ出ていない。
 さすがに移動するばかりでは、疲労も溜まる。ゾロがうとうとと船を漕ぎはじめたとき、ジャケットのポケットに無造作に突っ込んでいた携帯電話が身を震わせ始めた。今の今まで、その存在すら忘れていた。サンジが遺品整理を終えて村を出てすぐ、携帯の電波が村にも届くようになった。数ある携帯会社の内のたった一社ではあるが、気の若い老人たちは喜び、ゾロも町へ引っ張り出された。家には電話を引いていたため、頻繁にかけて寄越していたサンジにそのことを話せば、とても喜んでいたことを思い出す。メールができるということが嬉しかったようだが、返事を出さないゾロに対し、一度憤慨して電話をしてきたことがあった。携帯の必要性など感じたことのないゾロだったが、意味もなく村の人々が電話をかけて寄越し、サンジに至っては毎日のようにかけてくるので、案外活用はしている。
 携帯を開けば、メールが一通、サンジから届いていた。仕事を早く切り上げてもらえたので、駅まで迎えに行くといった内容だった。ゾロはやはり、返事もせずに携帯を閉じ、ポケットへ放り込んだ。再び窓の外へ視線をやれば、本当にこんなところに海があるのだろうか、そんな疑問を覚えるほど、密集した店や住宅が、ゆっくりと流れていく。
 正直に言えば、ゾロはサンジに会うことに対し、どうにも気が進まないでいた。ガキだガキだと思っていた相手に、あんな醜態を晒し、それ以来、一度も会っていないのだ。頻繁に電話はしているとは言え、実際に顔を合わせるとなると、また違った心境だった。またあのときのような醜態を晒してしまうのではないか。そう考え、ゾロは苦虫を噛み潰したような顔をする。一体どんな顔をして会えばいいのか、まるで分からなかった。らしくねェ、思いながら、ゾロはがしがしと頭を掻いた。
 駅名を告げる緩慢な車掌のアナウンサが流れ、ゾロの気持ちが落ち着かない間にも、電車は徐々にスピードを落としていく。そのときまた、携帯が着信を告げた。南口の改札にいる。そう書かれたサンジのメールに目を通したあと、ゾロは膨大な荷物を両手に、重い腰を上げた。
 改札が見えてくると、すぐにサンジの姿を見つけた。目立つ髪色は、目印になってちょうどいい。自分のことは棚に上げて、ゾロは口端を上げる。サンジもほとんど同時にゾロへ気づき、片手を上げて照れ臭そうに笑みを浮かべた。
「久しぶり」
「おう」
「なんかてめェ、すっげェ大荷物だな」
「じいさんばあさんに持たされた。全部お前への土産だとよ」
 ビニール袋の中を覗き込んだサンジは、まだ土のついた野菜の数々に目を輝かせた。こういうところは、チビナスのまんまだな、と感じる。しかしサンジは、自然とゾロの手から半分ほど荷物を奪うと、行くか、と先を歩き出した。ゾロも大人しく後を着いていく。丸い金色の頭を眺めながら、ゾロはどうにも、居たたまれない心地に眉を寄せた。奇妙に先の巻いた眉毛も、変化したわけではない。生意気な性格も、口の悪さも、出会ったときからまるで変わらなかった。ずいぶん見下ろしていたはずのその頭が、今はゾロの視界にいつだって映るのが、きっと落ち着かないのだ。
 駅を出れば、途端にひやりとした空気に纏われる。海が近いためか、風が強く、すぐに晒されている皮膚の部分が、ちりちりと痛み始めた。ゾロは着替えの入った鞄を肩にかけ、両腕にビニール袋をぶらさげると、両手をポケットへ突っ込んだ。幾分手の冷たさはマシになったが、それでもまだ、寒いことには変わりない。雪でも降りそうだと思案するほど、ゾロの暮らす村よりも、サンジの住む町は冬の装いをしている。
 サンジはポケットからキーを取り出し、駅前に停めてある真っ青な自動車へそれを向けた。ぴぴ、と音が鳴り、鍵が開かれる。サンジは後部座席の扉を開けると、両手に抱えた荷物を丁寧にシートへ置いた。振り向いたサンジに視線で促され、ゾロは大人しく荷物を渡す。次いで助手席の扉を開けたサンジが、腹に手を当てて、大業にゾロへ向かってお辞儀をした。
「どーぞ、マリモ様」
「……マリモは余計だろ。ぐるぐるマユゲ」
「いいからさっさと乗れっ、クソマリモ!」
 クソも余計だ、そう続け、ゾロは助手席へ乗り込んだ。シートべルトを締めている間に、運転席へ回り込んだサンジが、さみィさみィと言いながら、車にキーを差し込む。エンジンをかけたことで、車体はサンジが乗り込んできたときとは違う揺れを感じさせる。すぐに暖房のスイッチが入れられ、まだ吹き出す風が温かくなるのを待たず、車は進み出した。
「おめェ、運転できるんだな」
「あー、夏、帰ってきてからな」
 ゾロがこっち来たら色々連れてってやりたかったし、サンジはサイドミラーへ不自然に視線を向けながら、なぜか口ごもった。その耳は、薄っすらと赤く染まっている。
「チビナス」
「んだよ、チビナスって呼ぶなって言ってんだろうが」
 歯を剥いて、心底嫌そうな表情に変わるサンジから視線を逸らし、ゾロはなんでもねェと続けた。サンジは不思議そうに首を傾げたが、それ以上追求してくることもなく、ハンドルを握っている。すっかり暖房によって暖まった車内は、ゾロには蒸し暑く感じるほどだ。窓の外へ顔を向ければ、反対車線で、自動車が忙しなく舗装された道路を走っている。そして、昼間でも電灯を点けたコンビニが、そこかしこに見えていた。
 全然違うんだな、今更ながら実感した。サンジが生まれ育った町と、ゾロが十数年暮らす村とは、何もかもが別の様相だった。そんなことを考えていたとき、ふと、サンジに名前を呼ばれ、ゾロは隣の男へ顔を向けた。免許を取ったばかりとは思えぬほど、慣れた手つきでハンドルを傾けるサンジは、ちらりとゾロへー瞥をくれる。
「まださ、店始まるまでも時間あんだよ。そっち行ってもいいんだけど、ちょっと遠回りしてもいいか?」
「構わねェが、移動ばっかで少し眠ィ」
「寝てていいぜ。遠かったろ」
 ゾロは座る位置を少しだけ浅くし、シートに後頭部を押しつけ、目を閉じた。サンジの言ったとおり、途方もない道程だった。明朝、日が昇る前に老人の運転で町へ送ってもらったが、気がつけば夕方と言ってもいい頃合いになっている。冬の日は短い。夕日が昇るまでも、そう時間はないはずだった。
 すぐに睡魔に襲われた。暖房がごうごうと鳴る音だけが、ゾロの耳に届く。人工的に作り出される暖かさが、ゾロは苦手だった。だから、あの村へ移り住んだのだ。
 一体どれほどの時間眠っていたのか。サンジに肩を揺さぶられて、目を覚ましたとき、車のモニターに映る時刻を視界に捉えたが、いつ出発したのか、思い出すことはできなかった。ゾロは、まだ眠気の残る瞼を擦り、サンジがいたずらに笑うその顔から、どこかを指し示している指先へ視線を移す。瞬間、フロントガラス越しに、白い波を生み出しながら、どこまでも続く広大な海が見えた。ゾロは知らず目を見張る。サンジは照れたような笑みを浮かべ、海だよ、と呟いてみせた。
「……うみ」
「どうだ、あの村にも負けねェだろ?」
「ははっ、おう。すっげェな」
 思わず笑みを零し、ゾロは眼前に広がる光景に目を疑った。村に流れる川とは、ここへ繋がっているとは言え、全く別のものだ。テレビや写真越しになら、何度だって海は見たことがあった。しかし、想像していたものとはまるで違う。波の打ち寄せる音が、絶え間なく耳へ湛えている。次第に周囲も青に呑まれ始め、まるで今、この車ごと波間を漂っているかのような錯覚に襲われた。
 にかっと笑みを浮かべ、サンジへ顔を向けたそのとき、ぱちりと合った視線を、すかさず逸らされてしまう。ゾロはまた、海を映したときとは違った心地で、目を見張ることになった。
「お前、顔真っ赤だぞ」
「っ、るせェ! 黙って前見てろ!」
「相変わらず可愛くねェなァ」
「てめェにゃ言われたかねェよ、クソマリモ!」
 歯を剥いたサンジが、顔を赤く染めたまま、きつくゾロのことを睨みつけた。眼前の海からは、赤く染まった夕日が顔を出している。これから沈みゆくのだから、その表現は些か適切ではないのかもしれない。真っ青なボンネットが照らされ、赤い光は、二人の姿までをも包み込んだ。そのとき、ゾロ、とどこか熱の孕んだ声で、名前を呼ばれる。その瞬間、ゾロの脳裏には、あの村で最後に過ごしたサンジとの時間が、鮮明に映し出された。かっと、ゾロの頬にも熱が漲る。
「おめェだって、顔赤ェ」
 自然と、サンジと唇を寄せ合った。それは、一度触れるだけで離れていき、ゾロはシートに身を沈め、また眼前の海へと視線を戻した。夕日が水面にも映り込み、海はゆらゆらとその身を揺らしながら、様々な色を見せている。
 あのときだって、サンジのことを拒まなかったのは、自分自身だ。サンジからしてきたり、ゾロからしてみたり、キスだって何度もした。身体中触れられ、考えたこともなかった箇所さえ暴かれ、頭を抱えたくなるような結果にもなった。何もかも受け入れたのは、自分だ。その言葉を何度も反芻させる。もう答えだって、本当はとっくに見えているのだ。それを認めないのは、男同士という背徳感からか、それとも、くいなへの罪悪感なのか。ゾロには、まだ分からない。
「……外出てくる」
「あ、ゾロ、おれも行く」
 シートべルトをつけたままだったことを忘れ、身を起こそうとしたゾロは、拘束されているかのような気分を味わった。とにかく、居心地が悪い。エンジンはかけたまま、サンジはゾロよりも先に、海の空気を一身に浴びた。ゾロも遅れて、舗装されていない丘の上へ降り立つ。眼前に見えた海は、切り立った崖まで歩を進めれば、足元にも広がっている。その広大さに、ゾロはただ、言葉を失っていた。本当に、あの村にだって負けていない。海を知らなかったゾロは、サンジの眸を覗き込むたび、きっと海はこんなふうなのだろうと思っていた。実際に見てみれば、サンジの目とはまるで違う。
 ゾロがおもむろにジャケットを脱ぎ出せば、サンジはぎょっとしたような顔をした。初めて海を見たはずが、なぜだか、懐かしいような、そんな心持が生まれたのだ。真っ青な世界に包まれ、夏でも冷たい水の感触を、どうしてか鮮明に思い出すことができる。不思議だった。本当はずっと、海を知っていたかのような、そんな気さえする。
「え、ちょっ、お前、何してんの?」
「寒中水泳」
「はァ!? アホか! 死ぬから!」
 シャツまで脱ごうとしたゾロの行動に、サンジは目を白黒させ、ゾロの腰に巻きついてまでそれを止めた。そのとき、サンジの携帯が着信を告げ、ゾロを抱きとめたまま、サンジはポケットから携帯を探り始める。サンジに腕を回されている腹の筋肉が、強張っていくのを感じていた。突き刺すような冷風にぶるりと身を震わせる。だから言ったろ、そう言いたげなサンジの視線を受け止め、ゾロは携帯を耳に当てたサンジから、闇に侵食され始めた海へと視線を移した。
「もしもし。あ? わあってる! 戻る! うるせェよ、戻るつってんだろ」
 店に戻れという、催促の電話だろう。乱暴に通話を切ったサンジが、ゾロの身なりを整えるなり、悪ィけど戻んなきゃ、そう言って不安げに眉を下げた。この時期に海入んのはなしな、サンジは白い息を吐きながら、苦笑を零す。海は怖ェんだ。真面目な顔で続けたサンジを無碍にはできず、ゾロは素直にジャケットを羽織った。
「今日は無理だったけどよ、明日からは連休もらったんだぜ。行きてェとこ考えとけよ」
「あー……つってもなァ、もう来ちまったし」
「本当に海のことしか考えてなかったのかよ」
 さすがにこの辺りに街灯はないようで、二人の姿はすっかり闇に呑み込まれていた。サンジの姿も、シルエットでしか分からない。その黒い影から、煙草を吸っているわけでもないのに、白い靄が浮かび上がり、ゾロが呼吸をするたび、同じように真っ白な息が吐き出される。徐々にその靄は近づき、いつしか混ざり合っていった。拒めないのも、拒む気がないのも、やっぱり自分自身なのだ。





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