寝る男 (海賊 ゾロがよく眠る理由) 皮膚を焦がすような太陽の熱さえ厭わず、ゾロは昏々と眠り続けていた。大口を開け、鼾を掻き、甲板へ手足を投げ出しているその様は、男らしいといった形容詞が似合っている。 よく寝る男だ。仲間になった当初、四六時中寝ている男を見ても、そんな感想が湧いてくることはなかった。死にかけるほどの大怪我を、サンジの目前でしたあとだということもあり、回復するのに睡眠は必要不可欠だろう、そう勝手に判断していたためだ。 ゾロは人間とは思えぬ脅威の回復力を見せ、袈裟懸けに縫い痕が残ったままではあるが、傷は完全に塞がったと一月も経たない内に嘯いてみせた。仲間になったばかりのトナカイの船医からも、怪訝な様子でお墨付きをもらっていたが、それからもゾロは構わず眠り続けた。 しかし、意外なことに、朝は誰よりも早く起きてきて、サンジの作った朝食をしっかりと取る。朝飯あと、早速甲板に転がっている姿をよく見かけた。そこからはサンジが蹴り起こさない限り、昼まで起きてくることはない。痺れを切らして何度か注意をしたが、ゾロは全くと言っていいほど聞く耳を持たなかった。そんな態度に腹が立ち、この船ではすっかり恒例となった喧嘩が始まるのが、いつからかお約束になっていた。初めの頃は心配して止めに入ってくれていた仲間たちも、今は我関せず、自らの遊びや作業に没頭している。ルフィに限っては、毎度見世物として楽しみにしているようでもあった。 それが最近になってだが、一つ気がついたことがある。ウイスキーピークにて、敵の思惑通り、まんまとサンジが眠りこけている間、ゾロが一人でに島の人間を打ちのめしていたと知ったのは、ルフィとゾロの口論から知れた。その後、ナミから経緯を聞き、こいつ誰に蹴られねェでも起きるんじゃねェかと、なぜだか胸中のざわめきに顔を顰めたのだった。それ以来、風景の一部だったはずのゾロの寝姿を、気にかけるようになっている。意識してみれば、サンジが男部屋のハンモックへ横になる時間、ゾロの姿を見たことはなかった。不寝番も関係なく、いつの間にか、サンジが目を覚ます時間になると、ハンモックを軋ませて鼾を掻いている。 じゃがいもの皮を無心で剥きながら、窓から見えるゾロの姿をぼうっと眺めていた。そのとき、キッチンの扉から日射しが入り込み、あっちィ〜! と騒ぎ立てながら、ウソップが顔を出した。 とかく、今日は猛暑だった。ウソップの額からは大粒の汗が浮かび、首に引っかけたタオルで顔を拭っている。チョッパーと出会った冬島から、まだそれほど離れてはいないはずだ。しかし、グランドラインはめちゃくちゃな気候で、いくら優秀な航海士がいようとも、予測など不可能に近い。 「サンジィ、飲み物くれ〜」 「勝手に持ってけ。レモネード冷やしてあるぜ」 さすが気が利くぜ! そう言って冷蔵庫の扉を開き、レモネードと冷えたグラスを取り出したウソップへ、サンジはちらと視線を向ける。ベンチに腰をかけ、一息にレモネードを飲み干したウソップは、うめェと笑顔で声を上げた。すっかり肌を見せたじゃがいもを、水を張ったボールへ転がすと、サンジも煙草を咥えて向かいのベンチに腰を落ち着かせる。 「レモンも一晩砂糖で漬けてあるから、甘くて食いやすいだろ?」 「ほー。お前もゾロも、そういうとこ本当すごいよなァ。いくら疲れてても、毎日遅くまで自分の仕事欠かさねーし」 そんなところでふと、この船で二人が年長者だということを思い出すのだ。レモンを齧りながら、ウソップは続けた。当たりめーだ、煙を吹かし、からかうように口端を上げたサンジだったが、不意にウソップの言葉に対して、釈然としない気持ちが浮かび上がった。会話を反芻させたそのとき、ゾロという名が出てきたところで、意識が止まる。 「ゾロ?」 図らずも男の名を口に出せば、なぜかウソップが得意げに頷いてみせた。思えば、ウソップはサンジが眠る時刻になっても、がらくたを弄ることに熱中し、夜更かしをしていることが多い。日々あれほど眠り続けるゾロが、夜に起きて、何をして過ごしているというのか。どうせ、鍛錬か何かだろうと、サンジは単純な結論を導き出した。 ゾロは食う、寝る、の二大欲求で生きており、性欲でさえ、鍛錬をすること、または酒を飲むことによって消化できてしまっているように見える。とても、盛りのついた同い歳の男には見えなかった。そんなところが、サンジと相容れない原因の一つでもあるのだろう。 「ああ、ゾロはさ、みんなが寝静まってる間、ずっと起きてんじゃねェか」 「はァ? あれが?」 今も、大口を開けて眠りこけている男をキッチンの窓から指差し、サンジは素っ頓狂な声を上げる。 「あはは、そうそう。昼間起きないのも無理ねーよな」 再びレモネードを注ぎ入れながら、ウソップは身を乗り出して窓からゾロの姿を捉えた。 トレーニングをしていたり、刀の手入れをしていたり、ただそこへ座っているだけだったりと、ゾロの夜間の過ごし方は、その日によって違うらしい。サンジが全く知らないその姿を、ウソップはよく知っている。なんだかそれが口惜しくもあり、サンジは深々と眉を寄せる。 「そんなん、昼間と大差ねェじゃねェか。夜しっかり寝て、昼間同じことすりゃァいい話だろ」 わけ分かんねェな、素直な感想を告げ、灰皿へ煙草を押しつける。火種を消す間際、一層強くなる煙草の匂いを意識することなく、再び胸ポケットから煙草とライターを取り出した。 「おれもそう思ってさ、一度ゾロに聞いてみたんだよ。ちゃんと夜に寝りゃ、昼間サンジに叩き起こされることもねーだろって」 「心外だな。起こしてやってんだよ」 「ま、まあ、それは置いといてだな! そのときゾロのやつ、なんて言ったと思う?」 火のついた煙草を咥えながら、腕を組む。昼に寝すぎて眠れないだとか、あの様子を見ているとそれもないのだろう。よくよく考えてみれば、見張りが必要な夜の航海の最中、普通にハンモックで眠っているゾロを、交代だと叩き起こしたことがある。ウソップの問いかけの答えは、結局見当もつかなかった。素直に首を傾げれば、目の前のウソップは胸を張り、ゾロの顔真似なのか、眉間に皺を寄せ、にやりと口端を上げた。 「これがおれの仕事だ」 「はァ?」 「いや、だからゾロがよ、夜起きてるのは仕事だって言うわけだよ!」 「なに意味分からねェこと言ってやがんだ、あいつは」 ぽとりと落ちた灰を、テーブルに置いてあった布巾で拭い、落ちずに残ろうとも、危なっかしく煙草の先端で揺れる灰を、サンジは灰皿へと叩き落す。ウソップはそれらを気にとめることなく、どこか嬉しげに笑いながら、再びゾロの顔真似をした。 「敵襲があったらどうする? それにここはグランドライン、突然嵐が来ないとも限らねェ。全員ぐーすか寝てりゃ、それだけ対処が遅れんだろ」 「……だーっ、んだよそれ! 格好つけやがって!」 腹立つ! 心の底から叫び、サンジはテーブルの上に突っ伏した。たまにさらっと、サンジの心を掻き乱すような言葉を放つゾロが、恐ろしくてならなかった。海暮らしの長いサンジだが、ゾロのような考えを持ったことなど、一度もない。ゾロが一人きりで戦い、海を渡り歩いていた頃、サンジはのうのうと過ごしていた現実を突きつけられたように感じ、苛立ちが募る。それは、ゾロ相手にではない。燻り続けていた、自分自身へだ。 「毎日そんな危険が迫るとも思えねェ。現に、今までだって何も起きてねェじゃねェか……」 どうにかして、ゾロの行動を否定する理由が欲しかった。無意識に呟いてから、サンジは頭を掻き毟りたくなる。これでは、己の格好悪いところを晒すばかりだ。 「それがさ、結構な頻度であるらしいんだ」 「なに……?」 「海賊船が通りかかると、必ずってほどちょっかいかけてくるみたいだぜ。うちも海賊船っつっても、小さなキャラベルだし、舐められてんだろうなァ」 「それをマリモが、一人でどうにかしてるって言うのかよ」 サンジは深々とため息を零し、降参だとばかり、両手を上げた。 「見るからにチョロそうな船に、かの海賊狩りがいたときの相手の顔想像すると、すっげェ笑えるよな〜」 全く笑えねェよ、腹を抱えるウソップを見ることもなく、心の内で悪態をつく。仲間が増えたとはいえ、弱小海賊団と呼ばれても仕方ないほど、その人数は少ない。だが、数百もの船員を乗せるガレオン船に出会おうとも、負ける気配など微塵もなかった。仲間全員の質が高いと、サンジは自負している。現にこれまでも、数々の死線を全員で乗り越えてきた。一人で何もかもを背負ってみせるゾロは、そんなサンジの思いを嘲笑っているかのようだ。ムカつく。サンジの心中は、そんな子供騙しな怒りの感情で溢れかえっている。 「よう、大剣豪」 「嫌味ならぶん殴るぞ」 手にした酒瓶と二つのジョッキを掲げ、つまみの乗った皿を差し出すと、ゾロは呆気に取られたような顔をした。昼間、ビビがルフィに誘われ、見事釣ったタコをサーモンと共にカルパッチョにした料理は、ゾロのお眼鏡に叶ったようで、大人しくそれを受け取り、未だ立ち尽くしたままのサンジへ、珍しいなと口端を上げた。早く酒を寄越せと言わんばかりに、ゾロは視線でサンジに座るよう促してみせる。 先程、大欠伸をしながら、ウソップが男部屋へ入っていく姿を見た。普段ならば、サンジはとっくに眠りに落ちているような時刻だが、あんな話を聞いては、おちおち寝てもいられない。よし来たとばかり、酒とつまみを手に目当ての主を探せば、船首のある位置へ背を預け、目を閉じ、ただそこへ佇む男がいた。夏の海域を抜けようとも、未だ夜気は蒸し暑さと息苦しさを含む。昼間と同じように、ゾロはそんな些細なことは諸共せず、ただそこで眠っているように見えた。 すでにコルクの開けてあるビールをジョッキへ傾けたゾロは、サンジの分も注ぎ、早速つまみへと手を伸ばしている。カルパッチョには、ワインが合う。だが、上等な葡萄酒よりも、二束三文のビールを好む男だと、長くもない付き合いのなかで理解していた。並々と注がれたジョッキを手にし、乾杯もせず、サンジは一息に酒を呷った。ごくりと喉が鳴るのと同時、ゾロもジョッキを傾けている。 「どういう風の吹き回しだ」 「別に。飲みてェ気分だったんだよ」 ぷはっ、と気分よく息を吐き出したゾロの上唇には、ビールの泡がヒゲを作っている。それをぺろりと舐めながら、訝しげにサンジを見遣るゾロだったが、邪魔だとか、そんな感情は持っていないようだ。ゾロからの問いを適当に交わし、サンジは煙草に火をつける。ゾロはそれで納得したのか、ただ酒を湯水の如く咽喉へ流し始めた。随分と機嫌が良さそうだ。普段喧嘩ばかりしているサンジの前で、薄らと頬を緩ませて、つまみを口いっぱいに詰め込んでいる。サンジは、しばらくそんなゾロの様子を眺め、一度躊躇するも、構えていたことを悟らせまいとして飄々とした声音に決意を滑らせた。 「なァ、お前さ、寝ないの?」 「あんだって?」 「だから、夜ちゃんと寝りゃァ、わざわざおれに蹴り起こされて腹立てることもねェだろ」 「はァ……ウソップの野郎がなんか言いやがったな」 先程までの機嫌の良さはどこへやら、途端に面倒臭げな空気を纏ったゾロへ、サンジは舌を打つ。たぶん、他の仲間相手ならば、こんな些細なやりとりにいちいち目くじらを立てることもない。しかしゾロは、妙にサンジの気を逆立てるのが上手かった。ゾロも全く同一の感情を抱えているに違いない。普段、大人風を吹かせるこの男も、サンジの前ではすぐに苛立ち、ガキのような悪態をついてくる。同い年の、種類は違えど、夢追う男同士ということが、互いの矜持を駆り立てるのかなんなのか、こいつには負けたくねェという気持ちが、際限なく膨らんでいく。何もかも一人で済ませようとするゾロが、サンジは心底嫌いだった。確かに、嫌いではあるのだが、そんな男へ、一番羨望の眼差しを向けていることも、紛れもない事実だ。 「そんなに夜が不安なら、交代に見張りを立てるとか、なんだって出来るじゃねェか。何のために仲間がいると思ってる。一人でなんでもできるだなんて驕ってんじゃねェぞ。しかもお前、なんかあったら勝手に目ェ覚ますじゃねェか! おれんときはどつくまで起きやしねェのに!」 「ははっ」 「なに……笑ってやがんだ……」 堰を切ったように溢れ出したゾロへの不満は、サンジの感情を一瞬にして蝕んでいった。自分でも、何を言っているのか、よく分かっていなかった。ただひたすらに、勝手に口をついた言葉が、全て本音なことには違いない。そんなとき、ゾロから受けた嘲笑によって、ますます頭に血が上り、隣の男の胸倉を勢いのままに掴んだ。膝立ちになったサンジに、むりやり上向かされているような状態になろうとも、ゾロは笑みを引っ込めようとはしない。何がおかしい、地を這うような声を出したサンジは、煙草を口に咥えていることも忘れ、ぎりりと歯軋りをする。 「それじゃァおめェ、頼ってほしいって言ってるように聞こえるぞ」 「っ……! んな、んなこと言ってんじゃねェよ!」 昼間、太陽が爛々と主張していたのとよく似た熱射が、突如サンジの頬を襲った。思い返してみれば、まさに、駄々っ子のような発言をしていたことを知らされる。最後の言葉なんて、特に顕著なものだった。羞恥を隠すように、サンジはゾロから手を離し、酒瓶を手にする。既に半分ほど量を減らした一升瓶を無理に呷ると、そのまま胡座を掻いた膝の内へ抱え込む。だが、無意識のうちに出た言葉が本音なことには、つい先刻認めた通り、どうしたって変わりない。 「頼ってるから、昼間寝てられるんじゃねェか」 「は……?」 ゾロは、サンジの腕に抱えられた一升瓶を名残惜しげに見遣ったのち、ジョッキの中で僅かに残されていた酒を流し込むと、手懐けられた獣のような欠伸を零した。そこからは、夜海に対する危機感も、サンジ相手への警戒も、何一つ感じられない。 「昼はおめェも、ルフィもまァ、大概起きてんだろ。おれが寝てようが、問題ねェわけだ。だからお前らが寝てる間、おれが起きてるってだけのことだ」 「いやいやちょっと待て、頭が追いつかねェ!」 「お前ことのほかアホなんだな。よう、アホコック」 「だからっ、なんでおめェは! そう腹立つことを…!」 思わず身を起こしたサンジの腕の隙間から、ゾロは酒瓶を奪ってみせる。それから、隙だらけだぜ、そう言ってウソップの顔真似とまったく同じ表情を浮かべた。手持ち無沙汰な心地になり、サンジは空のジョッキを掴み上げると、ゾロの前へぐいと差し出す。唇を突き出し、恨みがましくゾロを睨みつけるが、文句ひとつ言わず、酒を注いでくれることに怒気が削がれた。完全にゾロのペースに乗せられている。普段ならば、サンジの矜持はここでも危機を覚え、口で挑発するなり、足を出すなりして、有耶無耶にしてはほっと胸を撫で下ろすのだろう。だが今は、ゾロの様々な言葉の塊を飲み下すのに必死で、そこまでの余裕は顔を見せていなかった。フィルターを噛み締めたせいで、煙を運ばなくなってしまった煙草を背後の海へ放り投げ、代わりの一本を世話しなく胸元から取り出す。煙草を吸うのはもはや癖のようなものだが、こういうとき、すっと頭を冷やしてくれる存在でもあった。 「昼はおれたちが起きてるから安心して寝てられるって、そう言いてェのかよ」 「だから、そう言ってる」 まさかな、そんな思いで纏まった答えを口にしたサンジへ、ゾロは飄々とした態度で肯定した。その瞬間、サンジ一人が勝手に覚えていたであろう矜持が、音を立てて崩れ落ちていく様を、鼓膜よりももっと脳に近い位置で聞く。 「おれも驚いてんだよ。昼はてめェに蹴られるまで、マジで起きられやしねェ」 「でもお前、身の危険感じりゃ、勝手に目ェ覚ますじゃねェか……」 誰に蹴られねェでも。嫌味ったらしくそんな言葉を口にしかけて、胸の内へ押し込んだ途端、別の感情がせり上がってくる。今更、ゾロが、サンジを、そして仲間を頼っているという事実が、爪先からじわじわと蝕まれるような実感を運んできた。全身が高揚した。仲間なのだと、認識されている。ごく当然のそんなことで、これほどまでに充足感を得るとは、思ってもみなかった。 「てめェがおれを傷つけようと思ってねェからだろ。殺気でも含んでくれりゃ、蹴られる前に起きる」 「うおおおっ、もうやめろ! 限界だ!」 一切のてらいもなく、相も変わらずサンジの心を掻き乱す言葉を送り続けるゾロを、奇声を上げることで制す。サンジがまったく知り得なかった感情を、引っ張り出されてしまう。いつだってそうだ。海に出ることを決めたのは、ルフィの存在があったからだ。それに間違いはない。だが、海へ出たいと、それまで無意識に隠し続けてきた感情を、引っ張り出したのはゾロだった。その頃から、結局は意識してひたすら目で追っていたのだ。この男には負けたくない。そんな矜持の中身を今、眼前へと突きつけられる。案外すんなり、その答えを抱え込んだことに、サンジは自身でも驚いた。薄々、気がついていたのかもしれない。ウソップから聞いた話が、もしゾロのことではなく、他の仲間のことであれば、きっとここまでして相手を問い詰めようとはしなかっただろう。ウイスキーピークでもそうだ。己の危機管理能力の無さを猛省こそすれ、それからずっと、興味もない男の姿を追うなど、普段であれば考えられない。ぼうっと降って湧いた感情を噛み締めていたとき、ふとゾロの顔から笑みが消え失せた。 「おいコック、首突っ込んできたのはてめェだ。手伝えよ」 「なに……」 ゾロへの問いは、最後まで言葉にならなかった。背後から浴びていた月明かりが消え、甲板を覆うよう、巨大な影が突如として現れる。緩慢に立ち上がったゾロへ、理解したサンジも続いた。メリー号へぴたりとつけられたガレオン船は、漆黒の海賊旗を、はたはたと風になびかせている。サンジは深く息を吸い、肺へと取り込んだ煙を、ゆっくりと吐き出していった。数多の黒い影が、頭上で小さな海賊船を侵略する準備に取りかかっている。サンジが指先で吸いさしの煙草を弾いたとき、好戦的な笑みを湛え、ゾロは鯉口を切った。 「どっちが多く倒せるか勝負だな」 「望むところだ。ただ、静かにやれよ」 ルフィが起きてきたら面倒だ。素直じゃないゾロの言葉を明確に読み取り、サンジは声を上げて笑った。仲間の内でただ一人、こうしてゾロの手伝いをするのは、気分がよかった。ルフィでさえ、今、この時は知り得ないのだ。一つの黒い影が、船から飛び降りてきた瞬間、サンジは隣の男の胸倉を掴んだ。怒りに身を任せ、思わず触れたときとは違う。今は、明確な意思を腹に据えていた。すっかり敵に気取られていたのか、ゾロは目を丸くする。驚きのまま薄く開いた唇を掠め取ると、ニメートルはあろう斧を振りかざして、頭上から迫ってきた巨大な男の鳩尾を、的確に蹴り上げた。吹き飛んだ男は、自身の船へしたたかに背をぶつけると、小さな呻きを零し、海へと身を投げる。巨体に耐え切れなかった水面から、高く水飛沫が上がった。それを合図に、次々と敵船から人が降ってきた。 「ちったァおれにも、危機感覚えたほうがいいぜ。大剣豪」 口端を上げ、ゾロから背を向けると、敵襲へ意識を向ける。船に乗り込まれる前に、次々と広大な海へ蹴り出していく。どたばたと歩き回られたら、たまったものではない。誰が目を覚ましてしまうかも分からない。今までの戦闘員としての、男の矜持を台無しにするのも、二人きりの空間に茶々を入れられるのも嫌だった。ゾロはサンジにキスをされようが、動揺すら見せず、声を噛み殺して笑い、迷いなく刀を振りかざしていた。頭上のガレオン船からは、やべェ海賊狩りのゾロだ、ロロノア・ゾロが乗ってやがる! と怯えた声音が降ってくる。前言撤回、ウソップに笑えねェと心中で悪態をついたが、確かに傑作だ。 |