愛をあげる



(海賊 ゾロ誕)



紫煙がなんの抵抗もなく換気扇に吸い込まれていく様を眺め、サンジは腕を組む。
栄養バランスもきちんと考えた上で、すばやく明日のレシピを作り上げていく。先日大きな島に寄ることができたため、幸い食料にも余裕があった。朝食のためのパン生地と、ケーキの下拵えだけでも済ませてしまおうと、調味料の入っている棚を開ける。色とりどりの瓶が並んでいるそのまた奥に、綺麗にラッピングされたプレゼントが隠されている。ここならば、確実に見つからない。他のクルーもそれぞれ船内のどこかに隠してあるはずだ。
アクアリウムバーができてからというもの、キッチンに酒をねだりに来なくなった男のことを思い出し、サンジは深々とため息を吐いた。メリー号に乗っていた頃は、流れで酒を飲み交わすこともあったが、今ではそれもめっきりなくなってしまった。
パン生地を練るための道具をキッチンに並べ、煙草を灰皿に押しつける。ボールの中に材料を入れると丁寧に混ぜ、固形になった生地を手でこねていく。
その間も、冷蔵庫や倉庫にある食材の換算は忘れない。
できるだけ豪華な食卓にしてやりたかった。主役であるゾロは酒があれば満足するだろうし、ただの自己満足でしかないのは分かっていたが、サンジは一人、ある決意をしていた。
壁にかかるカレンダーを見遣り、清酒を使った料理は何かあっただろうかと思案する。その間も、サンジは決して手を止めることはない。
ゾロの故郷の料理をたくさん出してやろうと口端を上げたとき、乱暴に扉が開かれた。冷たい空気が入り込み、顔をしかめながら振り返る。匂いに釣られて起きてきたルフィがいると思いきや、扉の前に立つゾロを一瞥して目を丸くすると、珍しいなと声をかけた。
ケーキの下拵えをする前でよかったと小さく息をつく。ケーキを作っていたからといって、その意味に気づくような男ではないことは分かっている。だが、ゾロをびっくりさせてやるんだ! と意気込んでいるルフィに、執拗に口止めをされていることもあり、一応、念には念を入れておく必要があった。

「なんか飲みもんくれ」
「てめェが酒以外のものを要求してくるとはおっそろしいな…明日は嵐か?」
「うるせェ。そんな気分のときもあんだよ」
ゾロは刀を立てかけると、ダイニングのソファに座った。探るように上目遣いで見られ、息を呑んで俯き加減でサンジは蛇口を捻る。念入りに手を洗ってから、新しい煙草に火を点けた。
サニー号になってからは仲間たちの顔を見ながら料理ができるようになり、それもサンジがこの船を気に入っていることの一つだった。だが、こんなときに顔を隠せないのは厄介だ。
「お前が酒以外のモンを飲んでるとこが想像出来ねェ」
コーヒーや紅茶という柄でもあるまい。少し冷えてきたしココアやミルクセーキは、一人頭の中で色々と案を出してから、そういえばいいものがあったと棚を漁る。
「この前島で珍しい茶葉を見つけたんだ」
封を開け、掌に中身を乗せれば緑色の茶葉が広がり、誰かさんと同じ色だなァと口端を上げてからかう。いつものように唇を尖らせてつっかかってくると思ったが、予想に反して、ゾロはガキみたいにきらきらと目を輝かせていた。サンジは思わず面食らう。それから、これが血に餓えた魔獣と呼ばれていた男かと、声を上げて笑った。
今度こそ、ゾロの眉間には深々とシワが寄せられる。
「お前この茶葉のこと知ってんのか。すげェ珍しいって店主も言ってたぜ」
「知ってるも何も、おれの郷のモンだ。道場を出てすぐ茶畑があって、くいな達とよく摘んでた」
くいなって誰だ、そう問いかけようとして、寸でのところで口をつぐんだ。過去に捕われるような男ではないと思っていた。それなのに、楽しそうに、そしてどこか懐かしむように、思い出を語るゾロはいつもの大人びた雰囲気とは別人だった。
泣く子も黙るような悪人面で口端を上げたり、豪快に笑う顔はよく見るが、こんな風に笑顔を見せるゾロは初めてだ。
そんなゾロをもっと見ていたい。サンジはそんなことを思う。
「…悪ィ。つまんねェな、こんな話」
ゾロの言葉にサンジが何も答えられないでいると、その笑顔はすぐに引っ込んでしまった。
もっとゾロの話を聞いていたいと、素直に言えたならどれだけいいだろう。普段つっかかってばかりの相手に対し、レ ディ相手に囁くような台詞を使うことはさすがに憚られた。でも、 他のクルーにだったら、きっと言えたはずだ。
「あ、飲むだろこれ。紅茶と同じ淹れ方でいいのか?」
「紅茶の淹れ方が分からねェ」
そりゃそうかとサンジは茶葉を袋の中に戻した。手には深い渋味のある香りが残っている。まだはっきりと残る茶葉の香りに、どんな味がするのか興味が湧いた。少し苦みが強そうだ。
伸びた灰をシンクに落とすと、また煙草を咥えて深く息を吸い込む。
「たまにはおめェが淹れてくれよ。やり方なら知ってんだろ」
やかんに水を入れてコンロに火をかける。少ない量だ、すぐに沸騰するだろう。
ゾロは片眉を上げてソファから立ち上がると、文句も言わずキッチンまでやってきた。しばらくして水が沸騰し、コンロの火と換気扇を止め、ゾロに全て任せようとサンジはカウンターに移動する。
ゾロが急須に茶葉を入れたのを見て、煙草を指に挟みながら喉を鳴らした。他のクルーがこの光景を見たらどう思うのか、考えただけで面白くてたまらない。ゾロはそんなサンジを見て顔をしかめたが、何も口にはしなかった。
そうして茶葉を急須に入れてから、一向に湯を注ごうとしないゾロを訝り、サンジは首を傾げる。
「おいゾロ、お湯は入れねェのか?」
「ああ。しばらく待つんだよ」
「へェ。おれァてっきりおめェがボケたのかと…」
「んなわけあるか!」
ゾロが湯を注ぐまでしばらくの間、お互い何も語らず、どこか遠く聞こえる波音に耳を傾けていた。
湯を注ぐゾロの手元にサンジはふと視線を移す。骨張っているその手は、どう見ても男のものだった。可憐なレディのものとはまるで違う。刀を握り、人を殺め、救い、いずれ頂きに上る手だ。

「おい、あとちょっとだから待て」
触れてみたいと切に感じた瞬間、無意識に手を伸ばしていた。ゾロに指摘され、慌てて手を引っ込める。ぐるぐると回る思考を落ち着かせようと深く煙草を吸うが、突然大量にやってきた煙に肺は対応しきれず、むせてしまった。
大丈夫かよと、ゾロによってカウンターに置かれたカップを引き寄せる。その中身を見た瞬間、たまらず吹き出して しまった。
何笑ってやがんだと不満げに眉を寄せながら、ゾロは当たり前のように隣に腰をかけてきた。そのことにサンジは心が浮き立つのを感じる。
「茶の色も緑かよ! お前の郷にはマリモばっかりか!」
「んなわけあるか! だったらてめェのそれも国産かぐるぐる眉毛!」
そんな不毛な言い合いを繰り返したのち、お互いフンとそっぽを向いた。バカバカしいと、もう一度カップの中を覗き込む。
薄い緑色をした液体は、はたして美味いのだろうか。疑問に思うが、茶葉に感じた渋みは嫌いじゃない。一口それを含んでみれば、甘みや苦みが一緒くたに合わさり、しかしそれらが喧嘩することなくサンジの鼻を抜けていった。
「うめェ…」
ゆっくりと舌で味わったのち嚥下する。後味もすっきりしていて悪くない。ゾロはそんなサンジの様子に嬉しそうに笑顔を見せたかと思うと、愛おしむように緑色の水面を見つめていた。きっと、とても大切な思い出なのだろう。
その姿を見て緩む口元をごまかすよう、サンジは一息にカップの中身を飲み干した。それから、そろそろパンが発酵する頃合いだと立ち上がる。
カップを簡単に濯いでから水を切った。ゾロはまだのんびり茶を啜っている。
ケーキの下拵えは明日になってからでも間に合うだろう。パン生地をすばやく均等に分けると、それらを手で丸め始める。その手元をじっとゾロに見つめられて、サンジはなんだか、居心地が悪いような、くすぐったいような気分になった。
「気になるか?」
こくんと首を縦に振ったゾロがまるでガキみたいに見え、サンジは笑いながら手招きをする。石鹸で手を洗わせて、ゾロに生地の丸め方を教えていく。
サンジも、そしてきっとゾロも、なんだか妙な高揚感に包まれていた。ゾロがこんなに素直なのも、いつもなら気味が悪いと笑うところだが、からかう余裕さえない。
不器用に、だが真剣に生地を丸めているゾロの姿を横目で捉えながら、サンジは無言でパンを丸めた。
ゾロが丸めたパンは丸とは言い難くいびつな形だが、それさえも愛おしく感じる。これも惚れた弱みというやつだ。こんなとき、レディ相手になら甘く愛を囁けるのに、対象が男になった途端どうすればいいのか分からなくなってしまう。
しかし、ゾロの誕生日に想いを告げると決めたのだ。いつ失ってしまうかも分からない男相手に、ぐずぐずしてはいられない。あんな惨めな思いは、もうしたくなかった。

「やっぱおめェみたいにはいかないもんだな」
これじゃァ他のやつらに食わせらんねェと、べたべたに生地のついた手でゾロは頬を掻いた。あまりにも簡単にパンを丸めているサンジを見て、どういうものかと気になったらしい。
思わず、期待してしまいそうになる。ゾロの丸めたパン生地を二つ手にすると、サンジは温めておいたオーブンの中に入れた。
「確かに、他のクルーには食わせたくねェな」
「悪かったな」
無駄にしちまった。そう言って罰が悪そうなゾロの手を、サンジはふいに取った。ゾロは驚きに目を見張っている。
緊張で汗が滲んだ。べたべたな生地のおかげで、ゾロにはバレずに済んでいるだろう。自分に都合のいいように解釈し、深く息を吸って吐いた。
サンジが意を決すると、ゾロの目を正面からまっすぐに見つめる。
「独り占めしてやりたかったんだ。他の奴らには内緒な」
人差し指を自分の口元に立て、へらりと笑顔を浮かべた。思っていたよりも上手く笑えず、サンジが情けない顔を晒していると、オーブンがパンの焼き上がりを告げた。呆然としているゾロの手を、サンジは後ろ髪を引かれる思いで離す。
焼き立てのパンをオーブンから取り出して紙で包むと、ゾロにそれを手渡した。心なしか、ゾロの頬が赤くなっている気がして胸が高鳴る。
想いを告げてしまえば、今までのように喧嘩もできなくなってしまうかもしれない。そう思うとサンジの足はすくむ。
いびつな形をしたパンをゾロと共に頬張れば、材料や作り方は普段と同じはずなのに、なぜだかいつもより美味しく感じられた。
「美味ェな」
「そりゃァ、てめェの料理だからな」
ゾロがパンを頬張りながら当たり前のように言い、サンジは緩みそうになる頬をごまかしたく眉を寄せた。
こういうところに、いつも翻弄されてしまう。好きだと、すぐにでも口をついてしまいそうになる。
「あのよ、ゾロ」
大きく息を吸う。元より玉砕する覚悟だ。す、と息を吐き出したとき、キッチンの時計が大きく音を鳴らした。昼と夜の十二時に鳴るようになっているそれは、暗に日付が変わったことを告げている。
「誕生日おめでとう。おれに一番に祝わせてくれよ、ゾロ」
「あ? サ、サンキュ」
ぽかんと口を開けたまま、しばらく動かずにいたゾロは、火を噴きそうなほど顔を赤く染めた。予想外の反応に目を丸くして、サンジは動けない。
そうして、まだ一番大切なことを告げてないと、ゾロの口元についたパン屑を指で払ってやる。サンジがそれを言葉にした途端、ゾロは更に顔を赤くして、視線を彷徨わせた。サンジにまで、その熱が移ってしまう。
ゾロから明確な返事は聞けなかったが、これで十分だろう。確かめるようにサンジが指先で唇をなぞる。ゾロは逃げなかった。
ずっと夢に見ていたゾロとのキスは、想像よりも、ずっと甘ったるい。誕生日だってバラしたことルフィにどやされるな、そんなことを考えながら、サンジは抵抗しないゾロを優しく抱きしめた。


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