LAST TEEN



(海賊 空島前)


時計島。これから一味が降り立とうとしている陸は、そう呼ばれているらしい。不思議な名だが、理由は簡単。島が円形で、上空から見れば時計に見えるのだという。
勿論、岩で作られた数字は人工のものだろう。ロビンが昔聞いた噂程度の知識だから、本当にそれらがあるのかさえ不明瞭だ。きれいな円形の、孤立した島は珍しく、単純に島人の遊び心だったに違いない。
それぞれに身支度を整える仲間の中から、サンジはとある人物へ視線を向けた。それは麗しい美女でもなく、腹巻に三本の刀を携えた厳つい男だ。
グランドラインへ突入してからも、サンジがこの船に乗ることになってからも、随分時間は経過している。初めからこの一味にいた男だった。そもそも、ルフィの初めての仲間だと、いつか聞いたことがある。そのためか、二人の間に流れる空気は独特だ。
ゾロの手には、先が赤く塗られたこよりが握られている。それは、サンジの買い出しに付き合う荷物係を決めるくじであり、この島でゾロと過ごさなければならない事実を決定づけるものでもあった。
そもそも、サンジはこの男が苦手なのだ。喧嘩ばかりで、まともに話したこともない。ナミに言われ、錨を下ろしに向かうゾロの背中を無意識に睨みつける。
背中の傷は剣士の恥だ。忘れもしない。あの言葉は、サンジの燻っていた心をひどく掻き乱した。

なるほど、陸へ上がるとき、少し離れた場所にある石造は数字の形をしていた。確かに、ここは時計島と呼ばれている場所のようだ。
時計ということから、それに纏わる逸話なんかがあってもいいはずだが、胸を躍らせるものは期待できそうにない。いっそ時間を止められるだとか、過去や未来にタイムスリップでもできればいいのにとウソップが残念そうに言っていた。過去に戻るのはごめんだな、とサンジは煙草に火をつける。未来は、少しだけ興味があった。
ルフィは船番が決まるなり船を飛び出し、ウソップもすぐにそれを追って島へ降りた。船番を引き当てたのはチョッパーだ。サンジとゾロの前には、会話に花を咲かせているナミとロビンがいる。とぼとぼと足取り重く歩を進めるサンジを気に止めるでもなく、ゾロはその間を一人歩いていた。
ナミたちとも、市場へ着くなり早々に別れることとなった。正直、ゾロと二人きりになるのは気が進まない。美女二人のお供ができたのなら、どれだけ幸せだったかとサンジは煙草を取り出す。
火をつけるため立ち止まったサンジに気づき、ゾロも足を止めた。この男を前に、会話が弾むこともない。だが荷物持ちになった際は、こうして律儀にサンジのあとを着いて来るのだ。なんだか不思議な心事だった。そのときふと、ゾロが足元に咲く雑草とも呼べる小さな花に、視線を落としたのがサンジの目に映った。
「なんか、この島に咲いてる花は妙だな」
「妙って…?」
サンジは煙草に火をつけると、同じようにゾロの足元へ視線を移す。小さな花の何が妙なのか理解できず、腰を屈めた。
それはただ、今にも枯れてしまいそうなものだった。もうすぐ生を真っ当するだけの、どこにでもある、ただの植物だ。
サンジが見たままを告げれば、ゾロは親指を立てて、背後を示す。サンジは姿勢を正すと、ゾロのすぐ後ろに軒を連ねる花屋に目を止めた。店先に並ぶ花はどれも色とりどりで美しく、ロビンが喜びそうだと口端を上げる。だが、どの花も皆頭を垂れていて、その美しさが台無しだった。
太陽に向かって咲くのは向日葵だけだったか。そんなはずはないだろうと、サンジも眉を上げる。確かにゾロの言う通り、妙な花々だった。見上げた空には燦燦と太陽が照りつけている。日差しがないというわけでもあるまい。

「自信持って顔上げりゃァいいのにな。折角きれいなんだしよ」
「はっ、面白ェこと言うな。おめェ」
「ラブコックの名は伊達じゃねェんだぜ」
肩をすくめれば、ゾロはますます笑声を大きくした。そういえば、こんな風にサンジに対して笑う姿は初めて見た。仲間になったばかりのロビンへの態度を見て、不躾だの、失礼だのと悪態をついていたサンジだったが、そういえばサンジが仲間になったときは全くもって警戒はされていなかった。
少しぐらい、仲間だと思ってくれているのだろうか。それにしたってロビンへのあの態度は許し難いが、それでも肩の力が抜けていくのが分かった。
掴めない男だった。とにもかくにも、サンジに向けて仲間への情などは感じられないし、認めてもらっているのかも未だ分からない。
そうか、おれはゾロに認めてもらいたいのだと、そのとき思い至った。バカバカしいが、初めの頃は、この男とも仲良くしたいと思っていたのだ。
同い年で悪名を轟かせる海賊狩りのロロノア・ゾロの名は、いたるところで目にしていた。普段耳に入らない客の会話も、海賊狩りの話をしているときだけは、鮮明にサンジの鼓膜を打った。バラティエから闇に包まれた真っ黒い海を見て、一体どんな男なのだろうと想像したこともある。
「お前は、これ見てどう思うわけ」
「別に。勿体ねェとは思うけどよ」
情緒の欠片もあったものじゃない。だがまァ、これがゾロという男なのだろう。
顔を合わせれば喧嘩や張り合いばかりなのは、同い年という意地もある。先に海へ出た男に対する苛立ちさえあった。そんなゾロと、今は同じ船の仲間で、共に旅をしているという事実が、なぜだかおかしくも感じられた。らしくねェと、サンジは歩き出す。
ゾロといると、燻っていたあの頃を思い出すのだ。数年の遅れがもどかしく、力の差が浮き彫りになるたびに腹が立った。もう少し、柔和な態度を取っていれば、この関係も変わっていただろう。いや、それでも根本的に馬が合わないのだ。どうせ、同じ道を辿っていたのかもしれない。
サンジは足元の花に気づき、踏みつけないよう足を上げた。
そういえば、ゾロはいつだってまっすぐに、前だけを見据えているのだと思っていた。それが、こんな小さな路傍の花に気づくこともあるのだ。
なんだか、不可解な気分だった。ゾロに認めてもらいたい、仲良くなりたい、この感情はそんな簡単な言葉で表せるものではない。じゃあなんだ。
その先を知るのが恐ろしいと感じられたが、好奇心には勝てなかった。とにかく今は、もっと、面と向かって、ゾロと話してみたいのだ。
悶々とした葛藤から逃れようと、サンジは買い出しをするわけでもなく、闇雲に歩き続けていた。ゾロは、文句も言わず後を着いてくる。不審に感じてはいるだろうが、そんな素振りは見せず鷹揚に欠伸さえしていた。ただ単に眠いだけなのかもしれないが、サンジはゾロと話すにも思考が追いつかず、口元の煙草を吹かすことしかできない。
そのとき、顔面から思いきり鉄の棒に突き当たり、いってェ! と声を上げて勢いのまま尻餅をついた。

「何やってんだよ、アホコック」
「っせェな」
じんじんと痛む額を掌で覆うと、バカにした態度のゾロに舌を打つ。こんなんだから、腹が立つのだ。
だが、差し伸べられた手によって、怒りは地面に落ちた煙草と共に霧散していった。逡巡し、諦めてその手を取ると、ゾロの掌の熱を顕著に感じた。こんなに、温かい手をしていることも、今初めて知ったのだ。
知らないことだらけだった。だからって会話も見つからないまま、サンジの額を腫らす原因となった鉄の棒を見上げる。色褪せているものの、それは随分と重厚で立派なものだった。しかし、市場の中央に立てられるには邪魔だろう。
そう思っていると、通りかかった町人が島自体が日時計の役割を果たしているのだと教えてくれた。ちょうど、島の中央がここなのだろう。
「なんつーか、享楽に随分力が入ってんだな。自分たちで時間も確認できねェで意味あんのかね」
「空島からなら見えんじゃねェか」
「てめェの口からんなロマンチックな発言が出るとは思ってもみなかったぜ」
アラバスタを出航してから、ログポースは常に上を指している。本当に実在するかも分からない空島へ、船長は行く気満々だ。ここでログを貯めるわけにもいかず、必要なものだけを買い揃えたらすぐに出航する。
まるで神のために作られた島だなと視線を巡らせたとき、小さな酒屋が目に入った。鉄棒を見上げているゾロの顔を覗き込むと、酒買おうぜとサンジは笑顔を浮かべた。出航まで、まだまだ時間はある。
鉄棒から伸びる長い影に沿って、無言でゾロと歩いていた。
ゾロは早速封を切り、酒を水のように体内へ流し込んでいる。ゾロに持たせていたら全て飲まれかねないと、サンジは残りのボトルを奪い取った。
歩くたびにボトルが触れ合う金属音を鼓膜に湛え、気づけば島の終わりまでやってきていた。
高くそびえる石造は、何かの数字を表しているのだろう。懐中時計を取り出すと、ちょうど昼の十二時だった。人工的に作り出された影の中で、石造に背を預けて座り込む。サンジも安い清酒のコルクを開け、一口それを飲んだ。

「空島って、やっぱ可愛い天使とかいるのかなァ。早くお目にかかりてェ」
「お前の頭はそればっかだな。他にねェのか…」
「あー? そりゃ神も美女だったらいいな、とか」
おどけてみせると、ゾロは心底呆れたような視線を投げかけてきた。いつもならこんな些細なことにも突っかかるのだろうが、サンジは煙草の煙を肺に巡らせ、木々の隙間から顔を出す空を見上げた。
少しずつ、影は移動している。投げ出したサンジの右足に、日が照り始めた。
隣から、神ねェ、と胡散臭いものでも語るような声が聞こえてくる。どうせ、自分の目で見たもの以外は信じないとでも言うのだろう。そういう男だ。
なんだ、案外分かってることもあんだなァ。たまらず喉を鳴らせば、なんか今日のお前気味悪ィぞと、ゾロはいつもと変わらず悪態をついた。
無意識に足を出せば、結局は喧嘩になった。ゾロが振り上げた刀を靴底で受け止めて、バカバカしいと肩の力を抜く。ゾロは拍子抜けしたようだったが、それ以上刀を持つ手に力を込めることはなかった。
「……大人になりゃ、何かが変わるんだって思ってたのになァ」
「あァ?」
なんだてめェいきなり、そう続けたゾロは完全に戦意を削がれたようで、刀を鞘にしまった。どかりと音を立てて腰を下ろし、サンジの脇に置かれたボトルに手を伸ばす。コルクを無理矢理歯で引き抜くと、酒を嚥下したゾロの喉仏が揺れる。
「きれいなお姉さんにモテモテで、夢だって、海に出たら叶うもんだって…」
「あー、まァ、そりゃ確かに。漠然とした夢は持ってた」
意外なゾロの返答に目を剥き、次いで口端を上げる。話してみれば、案外なんてことない。こんな話、ゾロ相手にできるとは思ってもみなかった。
サンジのようによく喋るわけではないが、ゾロだって至って普通に話す。それに、サンジにからかわれれば怒るし、ウソップの冗談やルフィのバカにもよく笑っている。
バラティエで作り上げたロロノア・ゾロといえば、噂どおりの極悪人で、血に飢えた魔獣。ただの伝聞や噂でしかないものだ。
同い年なのだ。サンジと変わらない、世界規模で見ればたったの十九歳。色々なことがありすぎて、その年月がとてつもなく長いことのように感じられるが、ゼフから見ればやはりただのガキでしかないのだろう。
酒も煙草も、随分前に覚えた。早く大人になりたかった。そうすれば、漠然と何かが変わると思っていたのだ。
だが、こうして海へ出て、海賊になり、夢を目指している。それはきっと、変わったと言っていいものだ。

「例えば、てめェのその夢ってやつはなんだ」
「強くなること」
「今とたいして変わってねェじゃねェか」
「でも、」
ゾロは不意に目線を上げて、男臭く酒を呷った。
その目が映すものはきっと、目の前の景色ではないのだろうと思えた。それに、今一番目指すべき空島でもない。湿った音を立てて、ゾロの唇からボトルが離れた。それからサンジに顔を向け、ゾロは口許に不敵な笑みを浮かべる。
「今はもっと、世界を見てる」
「…はっ、よく言うよ」
バカだなァ、こいつ。そう思ったことに違いはないが、サンジはなぜか胸を掻き毟られる思いがした。
本当にバカだ。あのときと同じだった。今は、海上に揺られるレストランでうじうじしているわけでもない。同じ土俵に立って、中身は違えど、それぞれの野望を見据えている。
十九になるまで生きてきて、後悔ばかりが先立つような気がした。きっとゾロは、それさえも糧にしてみせるのだ。
根本的に、何もかも違う。いつだって、埋まらないと知らしめられるのはこれだ。まるで対曲線にいるような男を前に、夢を思い起こされ、苛立つのも無理はない。
「あーあ、神は意地が悪ィな」
「全てが神の思し召しとでも思ってんのか、てめェは」
「そう思いたくなるときもあんだろ」
「随分都合のいい神サマだな」
嘲るようなゾロの言葉に、思いきり顔をしかめた。蹴り飛ばしてやりたい思いを押さえ込み、隣にいる男を睨みつけるだけに留める。
こうやって、何もかもここまで来たのは自分の力とでも言い切れてしまうところがむかつくのだ。

「おれたちァ運がいい」
だが、続けられたゾロの言葉に、一瞬思考が追いつかなかった。
喉が渇いた。手近なボトルを引っ掴むと、無理に飲み込む。割りもしない清酒は舌を刺激した。
ゾロの言葉に、ぴりぴりと舌から全身が張り詰める。一挙一動、たった一言で、サンジの頭はいつも掻き回されるのだ。出会ったときから、初めて目を見て話したときから、それは変わらない。
「すげェ船長と、いい仲間に出会えて…?」
「違ェ。生きてて」
ゾロはなんでもないことのように、流れる仕草で空になったボトルを放った。それは乾いた土の上に落ち、日の光に照らされながら、緩慢に転がっていく。障害になる小石もない。
歩いているだけでは気づかなかったが、この場所はどうやら緩い坂になっているらしい。ボトルは重力に逆らわず低い崖から落ち、海へ身を流した。
見当違いな問いかけをしていることは分かっていた。脳裏に浮かぶのは、飢えて死にゆく様だ。確かにあれは、運よく通りかかった船によって命を救われた。
「まァでも、運も実力のうちだぜ。コック」
「…クソっ、やっぱお前むかつく!」
サンジは俯くと、ぐしゃりと髪を掻き乱した。もし、これも神が仕掛けたものだというのなら、一度蹴り飛ばしてやらないことには気が済まない。
普段は情けないサンジの姿にすぐ減らず口を叩いてくるゾロが、今日に限って何も言ってこなかった。卑怯だ。隣の男をこんなにも意識して、心を掻き乱されて、羨望する理由なんて、知らずにいた方が幸せだった。それでも、自分たちがこの歳まで生かされてきた理由が分かった気がした。
なんて、サンジ自身神なんて存在、本当は信じていない。
それでもむかつくことには変わりがない。だから、飲みかけのボトルに手を伸ばそうとしたゾロを制し、一息に飲み干すと空になったボトルを海へ放り投げてやった。
性急に摂取したアルコールのせいか足元がふらつくが、しっかりと両足で地面を踏みしめる。
二十歳。世間では、子どもが大人になる線引きが明確に引かれている。あと一年だ。大海賊時代に生まれ、そこらの大人なんかより色々な経験をしている自負もある。だが、今の二人は大人でも子どもでもなかった。
それでも、もうすぐおれたちは大人になる。


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