可塑性の熱病2 「サンジはアホだなァ。ゾロはすっげェ分かりやすいぞ」 「おめェらみたいになんでも通じ合えりゃそうだろうよ。でも言葉にされなきゃ伝わんねェこともあるんだ」 「ふうん。贅沢だなー、お前」 浮上したゾロの意識の中に、微かに二人分の話し声が飛び込んできた。内容までは聞き取れず、しばらくの間、夢の中の出来事なのだと思い込んでいた。だが、徐々に会話が鮮明に聞こえ始める。当人がルフィとサンジなのだと分かり、ゾロの睡魔は一瞬で辺りに霧散していった。盗み聞きなどするものではないと思いながら、それでも意識は勝手に二人へ向かう。 それから、ルフィとサンジだけが船に戻ってきていることに首を傾げた。ゾロは辺りに視線を巡らせてみるが、他の仲間の姿は見えない。日の高さから見ても、夕刻船に戻るという約束までは、まだ時間があるはずだ。 二人の姿は、キッチンの前にあった。ゾロはというと、一人マストに背を預けている。少し距離があるせいで、声を潜めているサンジの言葉は聞き取りづらい。 「まァゾロもアホだけどな。サンジはもっとアホだ! にししっ」 「聞き捨て悪ィこと言うな! 第一、お前にだけは言われたかねェよ!」 「お前な、もっとゾロのこと見てみろ。サンジのこと考えてるときのあいつ、めちゃくちゃ可愛いんだぞ。ちゅーいりょくさんばん…ざんぱん? さんま? まァいいや」 「かっ、可愛いとか…あんな、クソマリモ…」 ルフィの言葉を聞き、ゾロの頬には一気に熱が集中した。サンジのことを考えているとき、一体どんな状態になっているというのだ。 ことあるごとにゾロのことを可愛いと告げてくるサンジの表情が、ゾロの脳裏に過ぎる。こんなむくつけき男相手に、可愛いも何もないだろう。だが、あんな風にうっとりとした表情で、そんな言葉を吐かれたことは今までに一度だってなかった。女に使うような言葉を告げられても、嬉しいはずがない。 これ以上二人の会話を聞いてはいられず、寝たふりを決め込むか、それともこっそり船を下りるかでゾロは思考を巡らせる。しかし、この位置で動けば、おのずとばれてしまう。 「あっ、ゾロ! やっと起きたか!」 「あっ、ちょっ、おいクソゴム!」 ゾロに腕を伸ばそうとしたルフィの首根っこを、慌てたようにサンジが掴んだ。気持ちのやり場を失い、拗ねたように頬を膨らませているルフィに、ゾロは苦笑を零す。 結局考えている内に見つかってしまったが、ゾロも一つ、サンジに言わなければいけないことができた。サンジに目を向ければ、すぐに視線を逸らされてしまう。 「さっきゾロが元気なかったからよ、近くでうろうろしてたサンジ引っ張ってきたんだ。でももう、必要なさそうだな!」 「おう。ありがとな、ルフィ」 「にしし、気にすんな! そんでよォ、おれ船番だからナミに小遣いもらってねェんだよ」 本題はそれかと、ゾロが呆れてすぐ、サンジがいいからさっさと行けとポケットから金を取り出した。ルフィは律儀にお辞儀をしながら礼を言うと、肉を連呼しながら船を飛び出していった。 ルフィに隠し事など不可能だとは思っていたが、ここまで筒抜けだったとは思ってもみなかった。少しの羞恥を感じながらも、感謝する。確かに、言葉にしなければ伝わらないこともあるのだろう。特にサンジは、信じられないほど恥ずかしいことさえ、全てを言葉にする男だ。だが、変なところで繊細な部分もある。殊に、ゾロにかけてはそれが顕著になるのだ。ゾロだって、サンジのことはよく見ている。 「おい、コック」 「あ、ああ」 「おれはお前が…」 好きだと、たった一言告げようとしただけだ。それなのに、それ以上の言葉が出てこなかった。サンジは驚いたような顔をして、まじまじとゾロの顔を見つめていた。 なんでそこで赤くなんのと、ぽつりと呟かれた疑問の言葉に、ゾロは逃げを打った。自覚していることを言葉にされ、ゾロの中に突然現れた羞恥心は、ますます身を大きくしていく。 とりあえず、少しでもサンジから距離を取ろうと後ずさりした瞬間、後頭部をマストに強く打ちつけた。こういうことが起こるのは、今日だけで何度目だと、さすがに嫌になってくる。サンジのことを考えているときばかり、こうして痛みを伴うのだ。 「……注意力散漫」 「あァ!?」 サンジが納得したように呟いたことで、ルフィの言葉を思い出した。ルフィの言いたかったことはこれかと、ゾロの頬には更に熱が集中する。もうこれ以上、肌は赤く染まらないというところまできているような気がした。熱気にやられたのか、頭までくらくらする。 すると、まるでゾロのものが伝染したかのように、サンジも顔を赤くさせた。ゾロは、大の男が二人して頬を染めている状況にたまらず眉を寄せる。 それから、サンジがじれったそうに目の前の手すりに足をかけると、そのまま甲板に飛び降りてきた。一気に距離を縮められ、ゾロはマストに背を預けたまま、視線を泳がせる。 この状況をどう打破すればいいのか、良い案は何も浮かばない。とにかく今は、サンジから距離を取りたい。 「あのときのレディは言っとくけど、そういう商売の人だから。ゾロを探して路地に入ったら捕まっちまった」 「だ、だから興味ねェって…!」 「それは分かったけど、お前が指摘したレディの顔も、客を取り逃がしたってだけだぜ」 少しずつ、サンジが距離を詰めてくる。どこに逃げ込もうかと、ゾロの頭の中はそれだけでいっぱいになり、サンジの話は全く耳に入ってこない。 明らかにうろたえて見えるであろう、自身の態度に気づいたゾロは、誤魔化すようにサンジを睨みつけた。 靴底で床板を踏みつける音が、ゾロの前でぴたりと止まる。 「別に、やっとけばよかっただろ。てめェもたまには女抱きたく、うおっ!」 「おれはゾロがいいんだよ! てめェじゃなきゃ意味がねェ!」 顔面に容赦なく飛んできた蹴りを、ゾロは咄嗟に避けた。顔のすぐ脇では、サンジの足がマストにめり込んでいる。 殺す気か! ゾロは精一杯怒鳴りつけた。サンジは足をマストから引き抜くと、なァ、と甘えたようにゾロの手を取った。ぱらぱらと、細かくなった木片が甲板に落ちてくる。またウソップに怒られるぞと軽口を叩くこともできず、ゾロはされるがまま立ち尽くしていた。 「いっつも余裕そうな顔してよ、なんにも動じねェくせに、こんなときばっか卑怯だろ」 サンジの掠れた声の中には、さまざまな想いが溢れていた。 ゾロだって、好きというたった二文字が言えないとは思ってもみなかったのだ。サンジも、ゾロに好きだと告げるたびにこんな気持ちを味わっているのだろうか。とてもじゃないが、ゾロには耐えられるものではない。とにかく、恥ずかしさのあまり暴れまわってやりたい気分だ。 余裕なんて、サンジといる間に感じたことなど、一度だってない。 「…なァ。それで、おれのことがなんだって? ゾロくん」 やっぱり来たか、ゾロは顔を背け、むっと唇を引き結ぶ。目の前のサンジは、ひどく楽しそうだ。どうやら不安は拭えたのらしい。それならば、ゾロのやろうとしていたことは達成された。もう、言葉にして告げる必要だってないだろう。 うるせェ離せ、そう腕を振り解こうとしたが、サンジも離すまいと必死だった。息を荒げ、無駄な攻防を繰り広げていると、ふと、ゾロは胸の痛みが消えていることに気がついた。不思議に思い胸に手をやると、サンジもどうした? と首を傾げる。 「ずっとここが痛かったんだが、いつの間にか治ってると思ってよ」 「はァ? んだそれ、いつからだ」 「こけたときどっか打ったのかと思ったが、よくよく考えりゃお前に会ってからだな」 「え、も、もしかして…おれがレディといたとき?」 考え込んでからゾロが頷いた瞬間、サンジに腕を引かれ背中を掻き抱かれた。突然のできごとに抵抗もできずにいたが、ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめてくるサンジの顔を見たら、まァこのままでもいいかと思えた。 一体、何がそんなにサンジを喜ばせたのか、ゾロには分からないままだが悪い気はしない。もし、おれが好きだと言ったら、コックはどんな顔をするのだろう。想像して、少し笑えた。 だが、いざ言葉にしようとしても、ゾロの喉はそれを拒否するかのように締め上がってしまう。途端、また羞恥に苛まれたゾロは、もう離れろとサンジの肩を押した。 「お前ほんと卑怯! 可愛いっ、大好き!」 「もっ、もう離れろって! そろそろ誰か戻ってくるかもしれねェぞ!」 「じゃァ男部屋。格納庫でもキッチンでもいいけど、ゾロが決めて」 試すような視線を向けてくるサンジを、むっとゾロが睨みつけようとも、へらりと気の抜けた笑みが返ってくるだけだった。何がこんなにサンジを調子に乗らせる結果になったのか、考えてみるが思い当たるものはない。 だが、これだけは分かる。 ゾロがサンジに好きだと告げれば、更に目の前の男を調子づかせるに違いない。それだけはごめんだ。 それでもゾロは、小声で格納庫と呟いた。顔を綻ばせたサンジを見ながら、おれも甘ェなと頭を抱えたくなる。しかし、サンジは抱きしめる腕を緩めるどころか、腰に手を伸ばし、腹巻きからシャツを引っ張り出した。 話が違ェと怒鳴るゾロに、サンジは笑みを引っ込め、困ったように眉尻を下げる。 ごめん、やっぱ我慢できねェ。ここでしたい。熱っぽく耳元で囁かれ、ゾロは諦めてマストに背中を預けた。しかも、近づくサンジの唇を待ち侘びて、結局は瞼を閉じる始末だ。 |