可塑性の熱病



(海賊 サンジの浮気疑惑に動揺するゾロ)



誤解だ。おれが好きなのはお前だけだ。
恋人に浮気を知られた男は、大抵必死な様子で似たような弁解をするのだろう。たまに開き直る男もいるのだろうが、まさかこんな常套句を浴びせられる身になるとは、思ってもみなかった。
そもそも浮気とはなんなのだと、ゾロは島の一角にあるという鍛冶屋に向かって歩きながら考えていた。
別の女に目移りする、愛を囁く、手を繋ぐ、キスをする、抱く。
常日頃、船の上でも女に愛を囁き続けている男を前に、いちいち嫉妬などしていられない。元々そういう男だと、重々承知している。だから、例え路地裏でサンジが女を抱きしめていようと、別になんとも思わなかったのだ。
必死で釈明するサンジに、今更だろと笑って、ゾロは目的の鍛冶屋の場所を聞いた。目を白黒させながらゾロに着いてこようとしたサンジのことを、不満そうに見遣る女に気づいたゾロは、親切心でそれを指摘してやった。折角、相手にしてくれそうな女が傍にいるのだ。おれなんかより女を構ってやった方がいいんじゃねェか。ゾロが思ったままを口にすれば、なぜかサンジは、深々と眉を寄せてどこか傷ついたような顔をしていた。
そもそも浮気をしてたのはてめェだろ。どうして傷つく必要がある。ゾロはぐるぐると色々なことを考えていた。

第一、女を抱きしめるという行為は浮気の内に入るのだろうか。首を捻り考え込むが、結局どっちでもいいかという結論に至った。
サンジの女好きはもはや病気の域だ。いちいち気にかけていたらキリがない。あのあと、あの女を抱こうがゾロには関係のないことだ。
抱く。その考えが頭を過ぎった瞬間、ゾロは平らで障害など何もないはずの地面に躓いて、硬い土の上に顔面から突っ込んでしまった。慌てて上体を起こし、口内に入り込んだ砂利を吐き出した。
転んだ際に打ったのか、胸にじくじくとした痛みを感じる。
ごちゃごちゃと碌でもないことを考えていたせいだ。乱暴に砂にまみれた顔を拭う。周囲に人がいなくてよかったと、ゾロは立ち上がり服の汚れを払っていく。
そういえば、サンジは路地を出てまっすぐ進めば、すぐに鍛冶屋があると言っていた。様々な商店が立ち並ぶ一角にあると聞いていたのに、いつの間にか人の姿はなくなっている。背後を振り返り、商店街なんてどこにもねェぞと首を傾げた。
まあ、歩いてけばあるだろ。ゾロが前へ向き直ったとき、視界には一面の青い海が広がっていた。そこかしこに海賊船やら商船が停泊している。どこか、見覚えのある船着き場だった。すると、見慣れた羊の船首が目に入り、いつの間にかメリー号を停泊させた海岸に戻ってきていたのだと分かった。
あのクソコック、わざと嘘の道順を教えやがったな、腹の底から怒りが湧き上がる。あとで叩っ斬ってやると、ゾロはメリー号に向かって歩き出した。
商店まで引き返すのも面倒だ。今日は外れを引いたルフィが船番をしている。おれも島へ行きたいと散々喚いていたから、早めに用事を済ませてどっちにしろ船番を代わってやるつもりだった。鍛冶屋に急ぎの用があるわけでもない。
「おっ、ゾロ! ずいぶん早ェな!」
「船番代わってやるよ、ルフィ。結構広いぜこの島」
「いいのか! うめェ肉いっぱいあるかな〜」
船首の上でうつ伏せになり、退屈そうに頬杖をかいて両足を不規則に揺らしていたルフィは、見るからに目を輝かせて喜んだ。ゾロも口端を上げ、レストランが立ち並ぶ場所があったと教えてやる。
船首から陸へ飛び降りたルフィは、サンキューゾロ! とそのままゾロに飛びついてきた。腰に足を巻きつけられ、ルフィの腕はゾロの首に回る。全身で感謝を表現するルフィの背中を叩きながら、分かったから早く行けと、ゾロが呆れて苦笑を零した。
そのとき、風も吹いていないのに、辺りにとてつもない砂埃が舞った。思わずルフィと共に目をつむる。
すると、砂埃を巻き上げながら、肩で息をしているサンジが怒りの形相で現れた。ゾロは目を見張り、荒い呼吸を繰り返すサンジを茫然と眺める。かなり急いできたのか、汗を吸った髪は普段より濃い金色をしていた。

「何度言やァ分かんだクソゴム! ゾロから離れやがれ! てめェも何大人しく抱きつかれっ…!」
サンジは見るからにはっとして、慌てたように口をつぐんだ。ルフィに抱きつかれているゾロのことを、サンジは責めようとしたのだ。一体どの口が言うのだとゾロも呆れ返った。それに、ルフィのこういう行動も今に始まったことではない。
サンジも罰が悪そうに視線を落とし、まっすぐ進めば美味い肉屋だと島の先を指差しながら、どこか自信なげに呟いた。
肉屋! と目の形を肉に変えたルフィは、すぐにサンジの示した方向へ走り出してしまった。先程のサンジと同じように砂埃を空高く舞い上げながら、ルフィの背中はすぐに見えなくなる。
目の前のサンジを無視し、ゾロが船に乗り込もうとしたとき、すっかり忘れていた怒りを思い出してあっと声を上げた。サンジはぴくりと肩を震わせて、恐る恐るゾロを見遣る。だが、どうしてかサンジの目には、どこか期待の色が浮かんでいるように見えた。不可解なその反応に、ゾロは眉を上げる。
「そういやてめェ! 鍛冶屋の場所嘘教えやがったな!」
「はァ? ちゃんと教えただろうが!」
「じゃあなんで船に着くんだよ」
「お前なァ! 路地出たらすぐだっつっただろ、どうしたらここに辿り着くんだ!」
サンジはこのクソ方向音痴がと額を押さえて呟いた。それから、ああ、まあ、それはいい、と誤魔化すように続け、この話はこれでおしまいだとでも言いたげに両手を上げた。
納得のいかないゾロだったが、向こうが折れたのならまた話を蒸し返すこともできない。むっと不機嫌を露わに腕を組んだ。
何か言いたげな雰囲気を醸し出しながらも、サンジは俯くばかりで何も切り出してはこない。そんなうじうじとした態度に、ゾロが痺れを切らすのも時間の問題だった。言いたいことがあるのなら、さっさと言えばいい。ゾロは、未だに痛む胸を掌で乱暴に擦り、甲板へ続くロープに足をかけた。
古ぼけた縄が軋む音が響くと同時に、サンジが決心したようにゾロの名を呼んだ。サンジの口から出てくるのは、また釈明の言葉か、それとも別れ話か何かか。ゾロは腕を伸ばして船縁を掴むと、腕の力だけで甲板に上がった。

「てめェはまた適当言ってると思うかもしんねェが、本当に彼女とは何もねェんだ」
「だから、お前が誰と何をしてようが興味ねェし、浮気だとも思わねェよ」
「…お前は違っても、おれが好きなのはお前だからな! ゾロ!」
「あァ? 別にてめェを疑ってるわけじゃねェし、キレてもねェぞ、おれァ」
サンジが何をそんなに必死になっているのか、ゾロには分からなかった。現に、ゾロの言葉に嘘はない。鍛冶屋を探している最中に気がつけば路地裏に入っていて、人気のない場所でサンジが女と抱き合っているところにはちあわせただけのことだ。怒りも悲しみも、ゾロの胸の内に現れることはなかった。
それに、男相手に好きだなどと、遊びだろうがサンジは決して言わないと分かっている。毎日のように紡がれる好きという言葉が、嘘だとは思っていない。だが、相手は根っからの女好きで、男尊女卑男だ。たまにはこんな面白味もない肉体より、柔らかい身体に包まれたくなるときもあるのだろう。
押し黙ったサンジの様子を窺おうと、ゾロは頭を掻きながら振り返った。そして、思わず息を呑んだ。
「な、んでお前が、んな顔してやがる」
「ハッ、どんな…顔だって言うんだよ…」
弱々しく言葉を吐いたサンジの表情は、今にも泣き出してしまいそうなものだった。それも、安堵しただとか、そういう類のものではない。落胆や悲壮だとか、そういう負の感情で満ち溢れていた。
普段のサンジからは想像もつかないその表情は、きっとゾロの前でしか見せないものなのだろう。
ゾロには、サンジがこんな顔をする理由がまるで分からなかった。浮気だと責めたわけでもない。別れるつもりだって、これっぽっちもないのだ。ゾロが何も言えないでいると、サンジは自嘲するように一つ、笑みを零した。
「おれはよ、ルフィでさえお前とくっついてるとムカついて仕方ねェんだ。本当は他のやつに指一本触らせたくねェ。……でも、お前は違うんだな」
「…何が言いてェ」
「そのままの意味だろ。おめェは、おれのこと好きなの、ちゃんと」
初めから、答えなど期待していないとでも言うように、サンジはゾロから背を向けた。煙草に火をつけると、深く息を吸って宙に紫煙を吐き出す。ゾロの返事も待たず、サンジはそのまま歩き出してしまった。全て拒絶するかのようなその態度に、声をかけることもできない。
ゾロは、まるで甲板に足がこべりついたかのように動くこ とができず、ただ呆然としていた。サンジの姿が見えなくなってから、ふと足元に視線を移す。背を向けてから煙草を吸うまでの時間が、サンジの中での猶予だったのだと、そこでやっと思い至った。
好きでもない男を受け入れて、信じられないところまで暴かれ、思い出すだけで顔を覆いたくなるほど情けない姿を晒しているというのに、サンジはゾロの気持ちが分からず、あんな顔をしていたというのか。
今更追いかけて何が変わるとも思えず、ゾロは無理矢理重 たい足を動かした。あんなやつ知らねェ、おれは寝る。心の中で意味のない宣言をしたところで、目の前のマストに気づかず思いきり額を打ちつけた。
「っ、いってェ」
ぶつけた額を押さえると、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。そのまま、膝を抱えて顔を埋める。先程から、胸の痛みは増すばかりだ。
痛みにはめっぽう強い方だと思っていた。だが、転んだときから広がるその痛みは、怪我をしたときとはまるで違った。胸痛を紛らわす方法も、耐え方も、ゾロは知らない。チョッパーに看てもらえば治るだろうか。
普段、どんな大怪我をしても大人しく治療を受けないゾロが、そんなことを考えるほど、その痛みはゾロの胸を苦しめた。





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