思い出を解く 少しだけアリーナツアーのガイドボイス絡み ガイドボイスを録音している二人の話です ゾロとサンジは録音用の電伝虫を前に、どうしたものかと途方に暮れていた。今まで旅をしてきた思い出を簡単に話してくれればいいからとナミは言っていたが、だからと言って二人で話すことなど何もない。 最悪の世代と呼ばれ、海軍本部を壊滅させたルフィは、凶悪な海賊と恐れられてはいるが、その実ファンも多い。ルフィに出会った者は特に、その魅力にとりつかれてしまうのだ。サンジやゾロも、例外ではないだろう。そのためか、麦わらの一味のことを知りたがる者は多い。 今まで一味が立ち寄った島々の伝記を書きたいだとかで、ナミが取材の仕事を高額で請け負ってきた。 取材というかなんというか、ゾロとサンジの二人に、島々を案内しろというお達しだ。 サンジは煙草を吹かしながら、隣のゾロに視線を向けた。挨拶の録音だけは簡単に済ませたものの、初めからアホっぷりを露呈させるアホ剣士にひどく苛立っていた。 それに、島を案内しろと言われても、サンジはバラティエにこの一味がやってくるまでの出来事を何一つ知らない。ナミに簡単な原稿を渡されはしたものの、後は適当に喧嘩しといてくれればそれでいいからと麗しい笑顔で言われた。 意識して喧嘩ができるわけもなく、どうしたものかとサンジはホテルに備え付けられていた灰皿に煙草を押しつけた。 「うし、さっさと終わらせるぞ。この辺はてめェが語らなきゃ意味ねェかんな」 「あー、面倒くせェ」 がしがしと頭を掻くゾロを尻目に、サンジは電伝虫のスイッチを入れた。ナミの作った原稿には、ルフィとゾロの出会い、とだけ書かれている。どうやらナミも、この辺りのことは詳しく知らないようだ。 サンジも、これには少し興味があった。二人がどのように出会い、絆を深めていったのか。 ゾロは懐かしそうに口元を緩め、当時のことを話し出した。ウォーターセブンに現れたあの海兵とも、ここで出会ったらしい。一ヶ月間、飲まず食わずで生き延びたら釈放してもらうという条件で、ゾロは海軍基地に磔にされていた。そして、その約束が素直に守られるわけもなく、処刑されそうになったところをルフィが救ったのだという。 その話を聞いて、サンジの胸の内にはなぜか、ちりちりとした奇妙なものが現れはじめた。言葉で表現するには難しい、名もない感情だった。身体のどこかで火がくすぶっているような、決して気分のいいものではない。 これ以上深追いするのはマズイと、サンジは確信めいて眉を寄せた。 「……ルフィのばーか」 「あァ?」 とにかくこの感情を吐き出してしまいたくて呟いた声は、驚くほど拗ねているように聞こえた。不機嫌に声を荒げたゾロに、ナミの適当に喧嘩しておいてという言葉を思い出したが、そんな気分にもなれず、サンジは押し黙る。一体なんなのだ。ゾロもそれ以上何も言わず、上機嫌に話を続けた。 そうこうしている内に、バラティエでの出来事を語る順番が来て、不可解な疑問は頭の隅に追いやる他なかった。 全ての録音を終えた頃には、もう夜もすっかり更けていた。意識せずとも、二人で話していれば結局は喧嘩になってしまう。決して仲が悪いわけではないのだが、初めからどうにも馬が合わない。 電伝虫をテーブルの隅に追いやり、サンジはそこに足を乗せて椅子の背もたれにぞんざいに仰け反ると、煙草に火をつけた。 ゾロは顔をしかめながら、柄が悪ィなと気だるげに立ち上がる。もう行くのかと、サンジが咄嗟に口をつく前に、ゾロは冷蔵庫から酒を取り出してベッドに腰をかけた。 ゾロはまだここにいる気なのだと分かった途端、どこか安堵したサンジは、んん? と一人首を傾げる。 胸をさすりながら、またわけの分からぬ感情に顔をしかめた。 この思いの行きつく先は全て、とんでもないものに繋がっているような気がして、身を震わせる。 サンジがぐるぐると頭を悩ませている間に、ゾロは酒瓶を三本空け、満足したのかベッドに横になって鼾を掻き始めた。確かに、泊まってもいいとは言われたが、サンジはゾロと二人きりになるぐらいなら船で寝ると、ナミやロビンに宣言したあとだった。 ルームサービスも全て相手持ちだから好きにしていいと聞いていたため、夕刻簡単に飯は頼んだが、とても食えたものではなかった。 キッチンはついているが、ベッドは一つしかない。 ゾロも、適当なところで目を覚まして、また酒でも飲み始めるだろう。ナンパにでも出かけるか、船に戻るか。しかし、この方向音痴を置いていけば、また島中捜索する羽目になるのだろう。 サンジがじっとベッドに横たわるゾロを眺めていると、ふとゾロの鼾が止んだ。しんと、静まり返った部屋にはゾロの寝息だけが響くことになる。 黙ってれば整った顔してんのになァ。サンジは無理な体勢で背後のベッドを見遣り、椅子の前足を浮かせた。 それに、あの眉間のしわがなければ、こっちだってもう少しマシな態度を取ってやれるというものだ。だが、それどころか嫌味ばかりで口も悪い。いいところなんて一つもなかった。 ゾロのことが嫌いなのかと考えるが、それはない。嫌いなら一緒の船に乗っているだけで嫌になるだろうし、戦うたびに足を貸したり背中を預けたりなんて絶対にしない。わざと怒らせるようなことを言って反応を楽しんだり、寝ているときにちょっかいを出してみたりと、喧嘩を楽しんでいる節もサンジにはある。 ぼうっとゾロの姿を眺めながら規則正しい寝息を聞き、サンジの頭の中は背後の男に支配されていく。唯一、煙草の匂いだけがどこか浮ついているサンジを現実に引き止めてくれていた。 そのとき、ゾロがサンジのいる方向に寝返りを打った。元々、胸元の大きく開いた服だ。襟が肩を滑り落ち、手ぬぐいが縛りつけられている位置で上衣が留まる。 太く、硬そうな筋肉が露わになり、胸元も大きくはだけ、きれいに割れた腹筋が見えた。その瞬間、サンジの心臓が大きく跳ねあがり、あまりの事態に椅子からひっくり返ってしまった。 頭部を床に打ちつけると同時に、煙草の火種が手の甲をかすり、あっちィっ! と声を上げる。カーペットの上に落ちた煙草を拾い上げ、たんこぶのできた頭部を押さえつつ、火傷した甲に息を吹きかけた。 元々、それほど大きな部屋ではなく、目の前にはベッドでとんでもない姿になっているゾロの顔がある。火傷に息を吹きかけるのも忘れ、見入っていたそのとき、ゾロの目がぱかりと開いた。 ベッドの上のゾロと、床に座り込んでいるサンジの目線はちょうど同じ位置にある。まだ眠たげなゾロは緩慢にまばたきをして、サンジから視線を落とした。 だが、何を捉えたのか驚いたように眉を上げ、すぐに視線をサンジの顔へと戻した。 サンジは疑問を浮かべながら、何か言いたげなゾロから視線を外す。すると、服の上からでも分かるほど、勃起している自身が目に入った。たまらず悲鳴を上げ、あぐらを掻いていた足を慌てて抱える。 「邪魔か?」 「い、いや! こ、これは別に! なんてことねっ…!」 言い切る前に、ゾロはまた目を閉じてしまった。 サンジは必死で自身を宥めようと、仲間と離れ離れになっていた地獄の二年間を思い出す。だが、目の前の男の半裸がちらつくたびに熱は集中した。 まさか、こいつのせいで反応したとでもいうのか。嘘だろと、サンジは力なく呟いた。 ゾロは本当に眠ってしまったのか、目を開けない。 サンジはおさまりのつかないそれを持て余し、ふらふらと立ち上がった。とっくに火の消えた煙草を灰皿に放り投げ、のろのろとトイレへ向かう。 情けない。まさか、ゾロ相手にこんな気持ちを抱くことになろうとは、当たり前だが思ってもみなかった。 二年間、オカマだらけの場所にいたせいで、おかしくなってしまったのか。そうとしか考えられなかった。男に欲情するなんてことは、サンジにとって天と地がひっくり返ろうともありえないことなのだ。それが今、現実で起きている。 どう言い訳をしようか考えながら、念入りに手を洗った。単に溜まっていただけだ。すぐにナンパに出かけようと決意を改める。可愛い女の子を前にすれば、こんな気持ちもすぐに吹き飛ぶだろう。 ベッドルームに戻ると、今度は大の字になって眠っているゾロの姿が目に入った。服の乱れはますますひどくなっている。 なんでこんなえろい格好になってんだバカ! と、もう見慣れたはずの服装にさえ、怒りが湧いた。 タオルケットはゾロの下敷きにされていて取れそうにない。なんとか服を正そうと、顔を背けたまま、サンジははだけた襟を指先で摘んだ。そっと肌に触れないようにして持ち上げると、おそるおそる襟を正していく。 何をこんなに、男相手にどきどきしているのか。こいつの裸なんて、嫌というほど見慣れている。上半身裸で鍛錬をしている姿は毎日と言っていいほど見ているし、サニー号になってからは大お風呂大会と称して、男全員で風呂に入ることも珍しくない。それがなぜこうも、胸を掻き立てられるのか。 この感情を認めてしまう他に道はなさそうだと、サンジは項垂れた。そもそも、トイレにこもっている間に、答えは見えてしまった。 あのときの、ルフィに救われたと嬉しそうに語るゾロに対して表れた感情は、ただの嫉妬だ。最初にゾロと出会っていたのがおれだったらと、そんなことが頭を過ぎっていた。これまでゾロに助けられてばかりだというのに、おれが助けてやりたかったとさえ思う始末だ。 「なァ、おれ、お前のこと好きになっちまったみてェ…」 それはやっと気づいた、の間違いなのかもしれないが。 サンジは眠っているゾロを見下ろし、部屋を出る気も起きずただ茫然としていた。こうして見ていると、本当にこの男を好きだと思ったのかさえよく分からなくなってくる。サンジは認めて言葉に出してみても、未だに信じられないでいた。それはそうだろう。根っからの女好きで、ゾロとは犬猿の仲だと言っても過言ではないのだ。 がしがしと頭を掻き、肌寒そうに丸まってしまったゾロを見下ろす。タオルケットを軽く引っ張ってみるが、大の男の下ではびくともしない。無理矢理引き抜くことは可能だが、それでは元も子もない。 結局サンジはジャケットを脱ぐと、ゾロにかけてやることにした。露わになった肌が、黒で覆われて見えなくなる。これで、感じたくもない胸の高鳴りを意識しないで済むはずだ。 サンジはキッチンへ向かうと冷蔵庫を開け、ろくなものが入っていないことにため息を零した。 それから、倒れたままだった椅子を拾い上げ、またそこに腰を下ろす。煙草に火をつけて、なんとなく電伝虫を手繰り寄せた。ボリュームを絞り、再生ボタンを押してみる。初めからアホなことを言うゾロの声を聞きながら、少しだけ笑った。 すぐに、ゾロがルフィとの出会いを語るところまで辿り着いた。そして、ルフィに対して悪態をつく自身の声を聞いた途端、サンジの顔には熱が集まり、慌てて電伝虫の電源を切る。拗ねていた自覚はあるが、こんな声を出していたとは、のたうち回りたくなるほど恥ずかしい。 相手がゾロでなければ危ないところだった。きっと簡単に、サンジの気持ちを見破られてしまう。 やはり、ゾロのことが好きなのだ。今度こそ、はっきりと自覚した。 サンジはゾロの姿を確認しようと背もたれに腕を乗せ、背後を振り返った。そのとき、寝ぼけている風でもないゾロと視線が絡み合い、驚きに肩を強張らせる。 「おま…いつ起きた」 「今さっき」 「そりゃ今かさっき、どっちだよ」 サンジは苦笑を零し、ジャケットに包まっているゾロから視線を逸らした。寝ているゾロへ向けて、好きになっちまったと口走っていたことを否応なしに思い出し、まさか聞かれてはいないだろうと冷や汗を掻く。 想いを自覚したところで、告白をする気はサンジにはなかった。叶わないと、初めから分かっているからだ。 「起きたんならジャケット返せ。てめェがタオルケット下敷きにだなァ、」 ゾロは不満そうな顔でジャケットの隙間から手を覗かせたかと思えば、まるで抱き込むようにジャケットに腕を回してみせた。サンジは中途半端に手を浮かせたまま思わぬ行動に固まってしまう。ゾロは鼻先をジャケットに埋め、獣のようにくんくんと鼻を鳴らしている。 なぜだか震える足で立ち上がったサンジはベッドの脇へ辿り着くと、気色悪ィことしてんじゃねェ! そう言ってゾロからジャケットを奪い返した。 気色悪いだなんてこれっぽっちも思っていないこと、そしてゾロの行動にも戸惑いを隠せなかった。 「ああ、悪ィ。お前の匂い落ちつくんだ。なんか」 「なんだそりゃァ! ふざけんな!!」 「んなにキレることかよ」 「キレてねェよっ、クソマリモ!」 キレまくってんじゃねェか、面倒くさそうに顔をしかめたゾロは気だるげに身じろいで、身体の下からしわくちゃになったタオルケットを引っ張り出した。そのせいでまた襟が滑り、肩が露わになる。ゾロがすぐにタオルケットを被ってくれたおかげで、サンジは事なきを得た。でも、結局はジャケットだろうがタオルケットだろうがなんだっていいんじゃねェかと唇を尖らせる。 皺になったジャケットを羽織りながら、サンジは次第に落ち着きを取り戻していった。こんな男に恋心を抱くなんざ、間違っているにもほどがある。 「おいマリモ、お前の好きな匂いが目の前にあるんだぜ? ほっといていいのか」 意地の悪い笑みを浮かべながら、サンジはふいに腕を広げてみせる。きっとゾロは寝ぼけていたのだろう。だが、そろそろ意識も覚醒してくる頃だ。恥ずかしい発言を思い出させてやるぐらいの嫌がらせをしても構わないはずだ。 何しろサンジは、それ以上の嫌がらせにも近い感情につきまとわれている。だが、ゾロはいつものように頬を染めて怒鳴り返してくることなく、サンジの手首を掴むと力任せに腕を引いた。サンジはそのままゾロの上に覆いかぶさってしまい、背中に腕を回されたことで、逃れることもできなくなってしまう。これではまるで、ゾロに抱きしめられているようだ。 離せコラ! と必死に抵抗を試みるが、胸に顔を埋められた瞬間、それもできなくなってしまった。サンジの匂いを嗅いでいるゾロに、ああもうちくしょうとサンジは首筋から耳の縁までを赤く染め上げる。 「も、もう…降参…」 「あ? なんか言ったか」 「別に、こっちの話だ…」 やっぱり好きだと、サンジは認めざるを得ず、懲りず下半身に集中する熱に呆れもした。 ゾロは熱心にサンジの匂いを嗅ぎ続け、サンジは高鳴る心臓と高ぶる自身を感じ取られてしまわないだろうかと、ただ身を固くしていた。 ゾロの鼻先が首筋を滑り、ぴくりと身を震わせてしまう。ますますサンジの中で恥ずかしさが募っていく。 ここまで大人しくしてやっているのだ。ちょっとぐらい、襲うのも許されるのではないか。そんな考えが浮かんだが、無理矢理は趣味ではない。それに、好きだと気づいたからには、とことん優しくしてやりたいと思うのがサンジだった。 ただ、触れられているだけでは割に合わない。サンジもここぞとばかりに、ゾロの髪に頬を擦り寄せて鼻先を埋めた。想像よりも柔らかい髪は、太陽の匂いがした。寝汚いゾロを光合成だと常々からかっていたが、あながち間違っていなかったのかもしれない。 喉を鳴らすサンジを不審に思ったのか、ゾロが眉を寄せて何がおかしいと声を潜めた。サンジは、いっそここで想いを告げてしまってもいいのではないかと思考を巡らせる。ゾロとこんな雰囲気になるのはきっと、最初で最後だ。 むすっと不機嫌に唇を尖らせるゾロを見下ろし、やっぱりいつか教えてやるよと、サンジはゾロの額を指先で弾いた。 |