迎え火2



「おいバカマリモ。マッチ返しやがれ」
「…ああ」
わざと踵を鳴らしながら近づいていき、煙草吸えねェだろうがとサンジは悪態をついた。本当は、煙草を吸うときはライターを使う。キッチンにはコンロに火を灯すために必要なマッチの予備もたくさんあった。なんとなく、口からは誤魔化しの言葉が出た。
人一人分の距離を開けてゾロの隣に腰を下ろし、あまりに気のない返答に眉をひそめる。サンジに顔を向けようともしないゾロの足元には、フランキーからもらったであろう小さな木片と、サンジが渡したマッチの箱が置かれていた。ゾロは足元に視線を向けているわけでもなく、ただ地平線を眺めているようだ。
風があろうとも、日差しの強さは変わらない。どちらのものか判別もつかない汗が、甲板を濡らし、木板の色を濃くしている。
すると突然、ゾロが腰に携えた刀に手をかけて、その中の一本を引き抜いた。白塗りのそれは、三本ある刀の中でもよく目立つ。今までどれだけのものを斬ってきたのかは知らないが、数え切れないほどの血を浴びているであろうそれが、サンジにはとても無垢なもののように見えた。
そして、ゾロによく似合うとも思う。ゾロはその刀を木片の少し先に置くと、マッチを手に取った。流れるような仕草でマッチ棒を取り出し、箱の側面に先端を擦る。まるで、それを合図にしたかのように、ぴたりと風が止んだ。
すると、ゾロは足元の木片に火を移した。少しずつ、それでも確かに、赤が木の縁から侵食していく。
「なっ、てめェ何して…!」
「うるせェ」
怒鳴るサンジとは対照的に、ゾロは窘めるよう静かに言葉を紡いだ。かっと、サンジの頬が熱を帯びる。甲板の上で直に火を扱うなど、怒鳴って当然だろう。間違ったことは言っていないはずなのに、なぜかバカなことを言ったような羞恥に駆られる。
サンジは大人しく唇を引き結び、目の前の小さな炎をじっと見据えていた。もし甲板に火が燃え移っても、すぐに踏み消せばいい。海の上、水は際限なく溢れているのだ。きっとどうにでもなる。
サンジの額から汗が滴ったとき、ゾロは強い視線を刀に向けた。サンジがいつも、ぶち抜かれてしまいそうだと思うそれだ。
そして、ゾロは静かに両手を合わせると、ゆっくりと瞼を下ろした。思いのほか長い睫毛が日差しで影を作り、精悍で、どこか儚げな横顔にサンジは思わず見とれてしまう。
儚いなんて言葉、ゾロとは無縁だと思っていた。違和感なくサンジの中に入り込んできたものだったが、それでもやはり、ゾロには似合わない。
ゾロの額を流れる汗の粒を、サンジは無意識に目で追っていた。雫は睫毛によって遮られ、ゾロが瞼を開いた瞬間、それは弾けて消えていく。ゾロは相変わらず、まっすぐな目で、刀を見据えていた。しかし、それが涙のようにも見えたのだ。ゾロにそのままを告げればきっと、さすがラブコックは違ェななどと、嫌味を言われかねない。見てはいけないものを見てしまったような、そんな罪悪感を覚え、咄嗟に視線を逸らす。

「なァ、コック」
いつもより甘みを含んだゾロの声音に知らず肩が跳ねた。ごまかすようにシャツの袖で額の汗を拭ったとき、手に巻かれた真っ白な包帯がサンジの視界に映った。もう、断続的な痛みなどとっくに消えている。指先で力を込めて触れると、ほんの少し痛みが走った。
「死んだ人間は魂になって帰ってくると思うか?」
淡々と告げられた言葉に、サンジは顔を上げる。横目でゾロの表情を盗み見れば、やはりまっすぐに、ただ海を見つめていた。それがひどく痛々しいものに見え、凪いだ海に視線を向ける。
言葉の真意を読みとろうと必死になるが、もがく手は何も掴めなかった。ブルックにも、魂がどうのと聞かれたばかりだ。それが一体、何に繋がるというのか。
「…まァ、ブルック見ちまうと、ないとは言えねェな」
眼前で燃える炎の塊は弱々しく揺れ、あっという間に灰だけを残した。ゾロは刀を手に取るとブーツの底で灰を蹴り、海に落としていく。それを手助けするように、また風が吹いた。燃え尽きた木片は宙へ飛び、青い世界へ身を潜める。
サンジは無言でその光景を眺め、これではまるで、刀の弔いではないかと考えた。そうして、息を呑んだ。
ここに来るまでに、ゾロは三本の刀を失っている。二本は、鷹の目に破れた瞬間、もう一本はごく最近、エニエスロビーでだ。ブルックの仲間の墓前に、供養だと置いてきたことは知っている。
サンジがゾロに出会った当初から、ゾロと共にある唯一の刀が白塗りのそれだった。壊れたという話などは、聞いていない。他に、思いつくことと言えば、たった一つだ。
「誰かの、形見なのか」
図らずも口をついた言葉に後悔するが、隣から向けられる視線をひしひしと感じ、もう後の祭りだと拳を握りしめる。長い前髪のおかげで、ゾロからサンジの表情は見えないはずだ。それだけがせめてもの救いだった。
ゾロは刀を見つめながら、ふと口許に笑みを浮かべた。
「ああ、親友だった」
「すげェ、野郎…だったんだろうな」
なんとか取り繕おうと、カラカラに渇いた喉で絞り出した言葉に頭を抱えたくなった。ゾロの反応が怖いと、サンジは下唇を噛む。
追求しないことが正解だったはずだ。サンジだって、自分の過去を根掘り葉掘り聞かれれば、いい気はしない。
親友の形見。どうしてそれがゾロの元にあるのか、なぜ親友は命を落としたのか、気にならないわけではない。
「くいなは女だぞ」
「えっ……レ、レディ?」
ゾロは気に止めた様子もなく、いつもと変わらない声音で言った。サンジはなんとか唾を飲み込み、視線を彷徨わせる。それでも喉は、まだ膜が張ったように緊張していた。
ゾロが優しく刀の柄に触れるのを見て、ますますサンジの中で後悔の念が募った。干上がる喉は水よりも煙草を欲したが、マッチはゾロの手の中にある。ここでライターを取り出せば、サンジがここにきた意味を、疑問に持たれてしまう。
波が静かに凪いだのをきっかけに、緊張していた肩の力を抜いて息をついた。

「好き、だったのか」
強張った顔を上げると、そこで初めてゾロと目が合った。目を丸くしたゾロは何度か瞬きをして、刀に視線を落とす。そして、どこか困ったように笑った。その中に、サンジの疑問への答えは含まれていた。情けないが、サンジはただ俯くことしかできない。
煙草を取り出そうとポケットに手を入れたとき、コック、と力強く名前を呼ばれた。ぴたりと動きを止めて全神経をゾロに集中させる。何も言わないゾロを訝り、サンジはおそるおそる顔を上げた。絡み合った視線を逸らさぬよう、唇を噛みしめる。するとゾロは、珍しく何か言いあぐねるよう口を開き、きつく眉を寄せた。
「おれが好きなのはてめェだ」
自分の都合のいい幻聴なんじゃないかと本気で思った。驚きや戸惑い、それ以上の歓喜が一緒くたになって、サンジは唇をわななかせる。
それらを言葉にすることはできず、ただ呆然としていると、おもむろにゾロが立ち上がった。握りしめていた刀を帯刀し、ボトムについた灰を掌で払い落としている。
唐突にマッチを投げ返されて、それを受け取る間にゾロは踵を返してしまった。船尾をあとにしようとするゾロを慌てて引き止める。
サンジは立ち上がる瞬間よろけながらも、汗が滲む掌でゾロの腕を掴み、咄嗟に抱き寄せた。こうでもしないと、ゾロは逃げてしまいそうな気がしたのだ。ゾロはこうしてここにいるのに、このまま立ち消えてしまうような、そんな感覚に陥る。いつも堂々としている背中が好きだった。抵抗する気配のないゾロに安堵して、サンジは抱きしめる腕に力を込める。
「言い逃げかよクソマリモ。おれの、返事は、」
「興味ねェ」
「なっ…! 興味持てよこのバカ!」
落ち着き払ったゾロの態度に血が上り、つい怒鳴りつけてしまった。これじゃあまるで直情型のガキだと息をつく。いつだってゾロと喧嘩が始まるのは些細なことだったが、そんなことは棚に上げてサンジは後悔していた。
ゾロがおれのことを好きだと言ったのだ。サンジだってずっと同じ気持ちだった。多分、ゾロよりもずっと前からだ。ゾロの首筋に鼻先を埋めた瞬間、ゾロの肩が跳ねたことに知らず体温が上がる。
「…おれも、ゾロが好きだ」
「興味ねェ、っただろ!」
「てめェは…それで満足なのかよ」
腕の中でゾロの身体が強張るのが分かった。サンジの手が震えていることも、きっとゾロには気づかれている。それだけ近い距離にいるのだということを今更実感し、バカみたいに緊張した。
好き合っているのが分かったのなら、サンジはゾロに触りたいと思う。今まで我慢してきた分、思いきり。それだけでなく、もっと色んな話だってしてみたい。
速まる鼓動を落ち着かせようと息を吸えば、ゾロの匂いを間近に感じ取り、逆効果だと慌てて顔を上げた。
「あの儀式みたいなのは夜じゃダメなのか」
「別に…ダメじゃねェが」
「じゃあもう一度、二人でやろう。今度はきゅうりも使ってさ」
オガラは用意できそうもねェけど。サンジが笑えば、ゾロの耳元のピアスが音を立てて揺れた。
ゾロの行動がどんな意味を持っているのか理解はできないままだが、それもそのとき本人から聞けばいい。
サンジが腕を解くと、ゾロは躊躇なく背後のサンジを振り返った。いつも通り、左腕は三本の刀の上に置かれている。
ゾロはサンジの言動に対してか、不思議そうに首を傾げ、それから諦めたように肩をすくめた。すっかりいつも通りのゾロだと、サンジは笑みを湛える。
やっぱり儚いなんて、ゾロには到底無縁な言葉だ。だが、ただ強いだけの男でもない。その人間臭さも、たまらなく好きなところだった。
二人の間になんとも表現し難い空気が流れ、サンジはおもむろに腕を広げてみせた。きょとんとしているゾロを前に、ん、とその腕を強調する。
その意味合いをやっと理解したのか、ゾロの頬にはさっと熱が差した。みるみるうちにその熱は耳の縁や首筋にまで広がっていき、ゾロは鋭くサンジを睨みつける。
サンジは体勢を崩すことなく、ただじっとしていた。ゾロは観念したのか、おそるおそるサンジに歩み寄ると、サンジの肩に額を預けた。手負いの獣に懐かれたみたいだとサンジの口元は緩みきる。
ゾロの腕はそのまま、刀の柄に置かれたままだ。それもお構いなしに、サンジは正面からゾロのことを抱きしめた。
「それでさ、おれにも共有させてよ。くいなちゃんの思い出」
ゾロは肩に額を押しつけたまま、顔を上げなかった。その耳は、未だ縁まで赤く色づいている。宥めるようにゾロの広い背中を優しく撫でていると、突然、聞こえてきたルフィの声にサンジははたと動きを止めた。
腹減ったァ! ルフィのその言葉にサンジは固まってしまった。一体、あれからどれだけの時間が経過している。オーブンに入れたままのサバランの生地へ思考が追いついた瞬間、サンジは悲鳴を上げた。ゾロは驚いて顔を上げ、サンジの顔を訝しげに見上げている。
慌ててゾロから離れると、その腕を引いてキッチンへ向かった。包帯の巻かれたサンジの手を、ゾロは戸惑いつつも握り返す。そんなことにも浮き立つが、サンジの心はすぐに地を這うほど落ち込んだ。
キッチンに入るまでもなく、焦げ臭いと形容するに相応しい匂いが、ダイニングの扉の前からも漏れてくる。サンジがその場に立ち尽くしていると、やっと頭の追いついたゾロが躊躇なくその扉を開けた。文字通りゾロに背中を押されながらオーブンを確認すれば、サバランはすっかり炭の塊と化していたのだった。


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