屋上から恋は始まらない2



「ルフィと何話してたんだ」
屋上を後にすると、移動教室から戻る途中のクラスメイトに遭遇した。結局サボりかとゾロに呆れた顔をされる。それから、少し逡巡したように間を空けて、ルフィのことを問いかけられた。
サンジは思わず動きを止め、気になんの、とつい不機嫌な声が出る。ゾロは不躾に腕を組んだあと、別に、と困惑したような表情をした。
一度認めてしまえば、ゾロの気持ちは端から見ても筒抜けだった。サンジには、当たり前だが、それが面白くない。まだ、ルフィとの仲を応援できるほど達観もしていなかった。それ以前にそんなこと、一生できるはずもない。
「てめェにはまーったく縁のねェ恋のお話だ」
「…な、好きなやつ、いんのか」
「それはどっちに対してだよ」
「お前は年中いるだろうが」
廊下を歩きながら、ゾロの答えに自嘲する。高校に入学してから、一体何人彼女が変わったのか、片手では数え切れない。確かに、ずっと一緒にいたゾロにそんな印象を持たれていたとしても、不思議ではなかった。
身から出た錆だ。おれが好きなのはお前だと告げたら、こいつはどんな顔をするのだろう。ルフィに言われたときの反応と、違うことだけは確かだった。
「おれもルフィも、好きな相手が同じなんだぜ」
見るからに表情に影を落としたゾロを、からかってやるぐらい許されるだろう。普段はあまり表情を変えないくせに、ゾロは心底驚いたように目を丸くしていた。信じられないとでも言いたげだったが、すぐに納得したように、ナミかと頷いている。
ナミは、老若男女誰が見ても魅力的な人だ。そんな女性を前にして、どうして惚れている相手はゾロなのかと、サンジは自分でも理解できていなかった。ゾロよりも先にナミに出会っていれば、運命は変わっていたのかもしれない。
確かに、これではルフィが痺れを切らすのも分かる。二人にくっついて欲しいだなんて微塵も思わないが、見ているこちらがじりじりするほどだ。
否定も肯定もせず教室に入ると、この話は終わりだと言わんばかりにサンジは女子の輪の中に加わっていった。

「アウッ、余所見してんじゃねェぞ。ロロノア!」
七限目はフランキーの授業だった。最後の授業が体育だなんて、だるい以外の何者でもない。
校舎を見上げていたゾロは、罰が悪そうに顔をグラウンドへと顔を戻した。ゾロの視線の先には、窓に顔を向けたまま、机に突っ伏しているルフィがいる。ここからでも、大量の涎を垂らしているのが見えた。粗方、ゾロの姿を眺めていてそのまま眠ってしまったのだろう。
サンジが転がってきたボールを思い切り蹴り飛ばせば、それはいとも簡単にゴールに入った。ゴールネットが限界までボールに押され、後ろに伸びている。
お前が本気出したら誰も取れねーだろ! クラスメイトに怒られ、うっせェなと不機嫌に顔をしかめた。今はそれどころじゃない。
サンジに負けず劣らず運動神経のいいゾロが、珍しくボールを蹴り損ねて、皆に笑われている。そんなにルフィが気になるのかよ、自分がそうさせておいて、サンジは歯がゆい思いをしていた。やっぱり、ルフィと話すべきではなかった。こんなの、耐えられない。



桜の木の下で目を覚ましたゾロは、幼い表情を一変させ、サンジを睨みつけた。あまりの衝撃に睨み返す余裕もなく、サンジはただ動揺していた。胸は甘く、ときめくばかりだ。
そのときゾロが、何か言葉を発した口の動きだけは覚えている。多分、なんだてめェだとか、目障りだとか、そんな可愛くもない言葉だった。
サンジは可愛い女の子との出会いを求めていたのであって、入学早々、こんな男に恋をすることは望んでいなかった。
どうしてそうなったのか今になると思い出せないが、どうせ些細なことだったのだろう。そのままゾロと殴り合いの大喧嘩をし、入学早々三日間の謹慎処分を食らった。謹慎と言っても学校には登校しなければならず、ゾロと同じ部屋で延々と説教をされ、とんでもない量の反省文を書かされた。そのとき、昼飯に油の塊のようなパンを齧るゾロを見かねて、弁当を作ってきてやったのだ。
それから喧嘩はすれど、昼飯を一緒に食べるようになり、行事ごとも全て一緒だった。そんな関係に甘えきっていたのだ。
ゾロが彼女を作ろうとしないことにも安心しきり、ルフィが現れる前は、一生友人として過ごせればいいと本気で思っていた。だが、いざゾロが他人に盗られそうになった途端、こうも胸の内が疼く。盗る、だなんて驕りもいいところだ。
屋上で話したとき、ルフィはゾロに一目惚れをしたと 言っていた。ゾロを知れば知るほど、好きになっていくのもきっと同じなのだ。どうしたものかと、サンジは頭を抱えるしかなかった。
「おい、帰んねェのか。コック」
「っ、あァ、帰る。おめェ部活は…」
「休みだ。なんかお前、ルフィと話してから様子がおかしくねェか」
「んなことねェ」
帰ると言いながら立ち上がろうとしないサンジを、ゾロは怪訝そうな顔で見下ろしていた。一緒に帰ろうと、サンジのことを待っているのだろう。自然とそう思ってくれるところまでは、この関係が築かれているのだと、そう思えばじくじくと心臓が疼く。
はたしてこの関係を崩すことは得策なのか。そんな考えが頭を過ぎる。以前のような関係にはもう、戻れないのかもしれないのだ。卒業しても、サンジとゾロはこの町を出ない。ゾロの前から完全に姿を消すことも、ゾロの存在を消すことも、不可能だった。
「お前先帰ってろ。おれ、用事あるんだった」
「一緒に来てもらわねェと困る」
「はァ? 何が困るってんだよ」
今は一人でいたかった。だが、唐突なゾロの言葉にサンジは目を剥く。今の今まで、ぞんざいな物言いのゾロに、こんな言葉を投げかけられたことはなかった。
一体、何が困ると言うのだ。
確かに、ゾロの部活が休みになることは珍しいが、それも夏には終わる。帰ろうと思えば、いつだって一緒に帰れるのだ。
言いたいことは全て言葉にするゾロが、見るからに口ごもっている。そんな態度に、サンジの中で警鐘が鳴る。このまま一人で帰らせたほうがいい。そう思いながらも、サンジは机の横にかけてあった鞄に知らず手を伸ばしていた。用事はいいのかと言うゾロへ無言を返し、教室を後にする。サンジもゾロも自転車で通学しているが、どちらもそれに乗ろうとはしなかった。

学校は丘の上にある。長い坂道を自転車を押して下りながら、サンジはゾロが言葉を発するまで口をつぐんでいた。
坂を下りてしばらく歩くと、そこに踏み切りがある。ちょうど遮断されたことで、二人は一言も話さぬまま、並んでそこで立ち止まった。
そのときようやく、ゾロが口を開いた。だが、ゾロの声は電車が通過する音に掻き消され、サンジには届かない。サンジはあァ!? と一人、声を張り上げた。
同じ学校の生徒が大勢乗っているであろう、電車が見えなくなり、踏み切りの音だけが二人を包む。
「んだよ、はっきり言えよ。気色悪ィなてめェ」
「うるせェ! おれァただ、恋とかっ、どういう感覚になるんだって聞きたくて…」
ゾロの言葉を合図に、踏み切りが上がる。だが、サンジはその先に進むことができず、ゾロもその場から動こうとはしなかった。
ゾロは、遂に気づいてしまったのだ。サンジが屋上で、ルフィを引き止めるといった行動に出たばかりに。きっと、ルフィへの想いが未だ消化できず、こうしてサンジに助け舟を求めたのだろう。
サンジは声を上げて笑い出す。だからてめェには言いたくなかったんだ! 羞恥のあまり、ゾロは顔を真っ赤にした。
サンジが、からかっていると思っているのだろう。一通り笑ったあと、むっと唇を引き結び、困ったような表情をしているゾロへ視線を向けた。こんな表情を、おれがさせてやりたかった。ルフィが原因だと分かってはいるが、それでもサンジの胸を否応なしにときめかせる。
「気がつけば目で追っちまうとか、そいつのこと考えただけで、心臓が破裂しそうなほどドキドキするとか、」
「お、おお…」
サンジが普段、女のことをそいつなどとと不躾な呼び方をしないことにはさすがのゾロも気づき、訝しげに眉を寄せる。サンジはそんなゾロの反応を気にも止めず、また踏み切りが降りるまで、恋について延々と語っていた。全て、ゾロを好きだと自覚する瞬間のことだ。
まるで、自分の思いを吐露しているかのような錯覚に陥る。当の本人には何も伝わっていない。だが、それでいいと思った。
かんかんかんかん、甲高く鳴る踏み切りの音が、直接サンジの脳に響く。そのとき、迫り来る電車が巻き起こす風が、強く吹いた。砂埃が目に入り、網膜がじんと痺れる。

「全部」
「…おう」
「おれが、ゾロを……好きだって思うときだ」
「あ? なんつったんだてめェ! 聞こえねェ!」
サンジがゾロに思いを告げた瞬間、二人の前を電車が通過した。先ほどとは反対に、今度はゾロが声を張り上げる。不思議そうなゾロの顔を、サンジはただ、まっすぐに見つめていた。
電車が通りすぎてすぐ、ゾロから視線を逸らす。
バカバカしい。こんな告白なんて、かき消されてしまえばいいと思った。だが、本当にサンジが考えていた通りになるとは、もう笑うしかない。
天はサンジの味方をする気など、さらさらないのだ。ルフィだったらきっと、どんなものも味方にしてみせる。初めから、敵うはずがなかった。
ふと笑みを零すと、踏み切りが上がるのを待ち自転車を押した。車輪が回る音と、サンジが砂利を踏みつける音がする。
ゾロは首を傾げながらも、それ以上追求してはこなかった。サンジの想いなど、ゾロの中ではその程度のものなのだ。もう、それでもいい。
「それ、ルフィにも同じこと言ってみな」
「なっ、なんでルフィが出てくるんだよっ…!」
「てめェが仲良いから言ってるだけなんだけど」
何動揺しちゃってんの、お前? と振り向かず先へ進んだ。ただ、声だけはからかいを含ませるように気をつけた。
前輪が線路に引っかかり、少し力を込めて自転車を押す。線路を抜けると、サンジは自転車に跨った。
結局背中を押してしまうだなんて、自分も大概お人好しだ。サンジは追い風を受けながら、自転車を漕ぎ始める。
だが、それもここまでだ。これから先は、ゾロが自分から行動しなければならない。ルフィが痺れを切らすのも時間の問題だが、どうせ上手くいくのだろうと思えた。
そういえば、ルフィがゾロに好きだと告げたら、おれの好きなやつも本人にバレるじゃねェか。サンジは自身の失言を思い出し、やっちまったなァと人事のように眉をしかめた。
ゾロも後ろで、自転車を漕いでいる。からからと車輪が回る音が背後から聞こえてきた。きっと、訳が分からないまま、色々なことを考えているに違いない。
照りつける太陽がひどくサンジの身を焦がせた。夏も間近なこの季節は、日が落ちるまでもまだ時間がある。
雨はまだ、降りそうにない。


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