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(海賊 シャボンディ諸島〜再会)



警鐘が鳴る。鼓動が全身に伝わり、あまりのうっとうしさに顔をしかめた。
目の前に立ちはだかる巨大な男の手を、サンジは睨みつける。掌には、人間にあるはずもない肉球が変わらずに存在していた。忘れるはずもない。
撃ち抜かれた左肩を押さえながら、混乱する頭を必死で働かせた。無様なほど膝が震え、立ち上がろうとして失敗する。
ゾロが消えた。あれほど後悔したあとだというのに、また目の前でゾロを失った。
サンジは背後からウソップを狙う、七武海と同じ姿をした不気味な存在に気づき、声を張り上げた。己の不甲斐なさに、頭に血が上るのが分かる。
そのとき、くまが己の姿を模した奇妙な何かさえ消してみせたことで、やっとこの場にいた全員が事態を把握した。
あいつの手に触れられれば、この場から消されてしまう。本当にこの世から存在そのものを消されてしまうのか、それとも異次元にでも飛ばされるのか。からくりは謎だが、とにかく逃げなければまずいことは確かだった。
唯一チョッパーだけは、地響きを起こすほどの雄叫びを上げながら無作為に暴れている。どうやってチョッパーを逃がせばいい。
ウソップに肩を借り立ち上がるが、走り出す前にくまが腕を振り上げた。二人を庇おうとくまに立ち向かったブルックが、ふと肉球に触れられる。その瞬間、忽然とブルックの姿が消えた。
サンジは腹の底から湧き上がる怒りに頭を掻き毟り、ウソップの腕を払い退けてくまの前に立ちはだかった。
その怒りは目の前の男に対するものか、自分への苛立ちなのか、考えている暇はない。ルフィやウソップが何か叫ぶ声が聞こえたが、無視をして足を振り上げる。それはいとも簡単に弾き飛ばされ、サンジの身体は瓦礫の山に突っ込んだ。
激痛に意識が遠退いたとき、聞こえてきたウソップの悲鳴に弾けるように顔を上げた。くまは、ウソップの胸に掌を押しつける。
声にならない悪態をつき、サンジは痛む身体も忘れ、一目散に走り出した。
ゾロ、ブルック、ウソップ。目の前で仲間を三人も消されたと言うのに、自分には何一つ出きやしない。
迫る男の掌を最後に、気がつけば視界には澄んだ青が広がっていた。一瞬、ここがオールブルーなのかと思ったほどだ。
もの凄いスピードでどこかに移動していることは分かったが、指先一つ動かない。一体どうなっているのだ。
そのとき二羽のかもめがサンジの脇を掠めていき、驚きに目を見張った。まさか、空を飛んでいるとでもいうのか。

「畜生」
抗うこともできず、為すがまま空を移動した。だが、自分がこうして生きているのならば、他の仲間も無事なはずだった。
まだシャボンディ諸島にいる仲間たちを思う。ナミやロビンは無事逃げ切れただろうか。ルフィが一緒だから問題はないなどと、絶対的な力を前にした今、無責任に言えるはずもない。
一体いつまで宙を移動しなければならないのか。まさか死ぬまで空を飛び続けるんじゃないだろうなと、サンジは身体を動かそうと必死になる。しばらく格闘していたが、結果体力を無駄にするだけだと諦めた。
目を閉じると、瞼の裏側にくまの顔が浮かんだ。
あのクソ剣士は、大丈夫なのか。眉を寄せ、ぎりぎりと歯を噛み締める。ただでさえ、ゾロは限界だった。
なぜゾロをそれほど気にするのか、サンジは自分でも理解できなかった。スリラーバークで、あんなことが起きたあとだ。気になるのも無理はない。そう言い聞かせながらも、胸に僅かなわだかまりを感じた。
この高さから海へ落ちれば、能力者でなくとも死に至るだろう。一 抹の不安を覚えるが、疲労のあまり瞼が重くなっていった。

「うわっ!」
背中から身体が急降下をはじめ、サンジは悲鳴を上げながら襲ってくるであろう衝撃に身構えた。まるで引き寄せられるかのように、風に流されることもなく、地上にまっしぐらに落ちていく。
視界に桃色の花びらをつけた木々が映った。どうやら向かう場所はどこかの島らしい。
未だに身体は動かず、受身を取ることすらできない状態で地面に打ちつけられれば、確実に死ぬ。こんなところで死ぬのはごめんだと、なんとかして抗おうとするが、やはり身体は動かなかった。
もう終わりかと、サンジは力いっぱい瞼を閉じる。その瞬間、脳裏に浮かんだのはゾロの顔で、さすがに動揺を隠せなかった。
すると、地面にあと数メートルというところで一度身体が浮き、そのまま地面に叩きつけられた。強打した後頭部を押さえ、いってェと上体を起こす。
あっけなく身体への呪縛は解けていた。一瞬浮いた身体も、全てがくまの能力なのだと合点がいく。
気がつけば、巨大な肉球の形にへこんだ地面の上にいた。どうやら、殺すつもりでおれたちを飛ばしたわけではないらしい。
こんなところでおちおちしている暇はない。慌てて飛び上がると、きょろきょろと辺りを見渡した。
奇妙な島だった。草も、木も、全てがピンク一色だ。
そのとき、背後から高いヒールが控えめに地面を打ちつける音が聞こえてきた。あなた、大丈夫? 鈴の音のような愛らしい声が鼓膜を震わせ、サンジは胸を高鳴らせると、勢いよく振り返った。
女だけが住む、女ヶ島という伝説の地があるのだと聞いたことがある。しかもそこに住む女は皆、見れば石になってしまうほど美しいのだという。
全てが桃色に包まれた島。間違いない、ここがその女ヶ島だ。
サンジは目をハートにし、身を案じてくれるレディに礼を言おうと大業に腕を広げた。
「もちろん、何も心配は要りません。あなたのような心優しいレディが僕の身を案じてくれるなど、僕のハートはまるで……ぎゃああああ!」
想像していた絶世の美女はどこにもおらず、そこにいたのはとんでもない面相をしたオカマだった。思わず悲鳴を上げたサンジは、全速力でその場から駆け出した。
なぜかそのオカマは、逃げるサンジのことを追いかけてくる。恐怖で石になりそうだ。
待ってえ、背後からはレディとしか思えないか細い声が聞こえてくる。さっきおれが見たものは白昼夢だったに違いないと、サンジは勇気を振り絞り、もう一度背後を振り返った。
そこにいた人間は、内股で両腕をレディのようにしなやかに振るわせて、男としか思えないスピードで猛進してくる。
サンジはもう一度悲鳴を上げ、必死に走り海岸に出た。船を捜すが、視界には波の立つ海しかない。いっそ泳ぐか。そこまで考えたとき、ついにオカマに追いつかれた。
逃げ回っていても埒が明かない。それに、オカマといえど同じ人間だ。突然悲鳴を上げて逃げるなど、さすがに失礼だったと、サンジは明後日の方向へ顔を向けながらオカマに向き直った。
「おっきな音がしたから何かあったんじゃないかって心配したのよお。いきなり走り出すからびっくりしたじゃない」
「お、おお。悪ィ。つい反射的に……」
「それにしてもあなた、男子みたいな格好して! 口調だって乱暴じゃない。ダメよ〜」
「あァ? 当たり前だろ、おれは男だ!」
そこで初めて、サンジは目の前のオカマの顔をまじまじと見た。鼻の下から顎にかけて、うっすらと、それでも激しく存在を主張する青ひげがある。女の格好をするならせめて、髭の処理ぐらいしっかりしろよと顔をしかめた。
そしてふわふわと風になびくスイーツドレスの裾からは、隆々と筋肉のついた足が伸びている。しかも、ご丁寧にすね毛つきだ。大きな唇には真っ赤なルージュがはみ出んばかりに塗りたくられており、食われそうだとサンジは身震いした。
すると、不思議そうに首を傾げているオカマが、だってここにはオカマしかいないはずよと、とんでもない発言をする。
サンジはその言葉を聞いて、今すぐこの島から脱出しようと、浜辺を海に向かって歩き出した。砂浜さえも、忌々しいピンク色だ。脱力のあまり、足元が覚束ない。
するとそのとき、騒ぎを聞きつけたオカマたちがぞろぞろと海岸に顔を出した。その光景に、サンジはやはり悲鳴を上げ、一目散に駆け出したのだった。


結局そのオカマの大群に揃って追いかけられることとなり、夜になるまで気が休まることはなかった。
岩陰に身を隠し、久しぶりに煙草に火を点ける。暗闇の中、赤い光だけが煌々と輝く。
早くシャボンディ諸島に戻らなければ。三日後に、サニー号で落ち合う約束なのだ。だが、ここがシャボンディ諸島からどれほど離れているのか、それさえ分からない。食料も詰まず、闇雲に船を奪って出発しようにも、さすがに情報が足りない。
今分かるのは、カマバッカ王国というふざけた島にいることぐらいだ。
文字通りオカマだらけの国。サンジには地獄以外の何者でもない。
残された仲間たちは無事なのか。皆、逃げ切れていればいいが、あの状況では難しいだろう。しかも、あの場で海軍に捕まるより、こうしてくまに飛ばされたほうが、まだ道は見えた。落ち着いて考えてみれば、くまの行動に次々と疑問が湧く。
一味を捕えたり、殺すことが目的ではないはずだ。現に、ご丁寧に島の中に飛ばされて、サンジはこうして生き延びている。嫌味な話だ。
スリラーバークに現れたときには、明確な殺意があった。どういう風の吹き回しだろう。
フィルターを噛み締め、サンジは息を吐いた。
数日飛ばされている間、動かない身体でできたのは仲間の心配と、物事を考えることだけだった。そのときにも色々なことを考えた。
吸いさしを地面に押しつけて、また煙草を取り出すと火をつける。
結局、何を考えていても、最終的に行き着くのはゾロのことだった。いっそ、とことん考えてやろうじゃねェかとサンジは思った。
とにかく、あの男のことは心の底から気に食わない。それを確信したのは出会ってすぐのことだった。
このおれをバカと呼んでいいのはそれを決めたおれだけだ。そう言ったあと、鷹の目に命を差し出すゾロを見て、心底バカだと思った。だが、簡単だろ! そうみっともなく声を張り上げたサンジはその瞬間、鈍器で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。胸の内で燻っていた何かが、たまらず溢れ出す。
同じ船で日々を過ごすようになってからも、ゾロをバカだと思うことは増えていった。鍛錬をして眠り、サンジの作った飯を食うだけの男だ。
毎度とんでもない傷を作って帰ってくるゾロを見ては、いつも腹が立った。それが何を意味しているのか、考えても考えても答えは出ない。他の仲間が怪我をするたびもちろん心配にはなる。ナミやロビンを傷つけた相手に腹も立つ。
だが、焦燥にも似た気持ちを感じるのは、ゾロに対してだけだった。鷹の目に斬られ、血だらけで一人立ち、目の前で消えた男の姿が脳裏にフラッシュバックする。
視界の先でぽとりと灰が落ちたのが見え、サンジは慌てて煙草を咥えた。
答えはもう、とっくに見えていた。おれは、ゾロを失うことが怖い。
仲間だ。気に食わないし、ことあるごとに喧嘩もするが、嫌いなわけがない。認めてしまえば取り返しのつかないことになるのは分かっているから、サンジは必死で抗った。だが、辿りつく答えは、宙を移動しているときからたった一つだ。





「島に着いて最初に会うのがてめェなんて…! クソついてねェ!」
「相変わらず口の減らねェ野郎だな」
「うるせェ黙ってろ! ああああ、本っ当ありえねェ!」
サンジは頭を抱えると空に向かって悪態をついた。
二年もの期間は、ゾロへの想いを悟るには充分すぎるほどだった。嫌味なほど空は青く澄み、入道雲が柔らかく風に吹かれている。
認めてからが、とてつもなく長かった。幾度もゾロの顔を思い出していれば、あの仏頂面でさえ愛しく感じる。思い出を都合よく美化しているだけだと思っていたが、本人を目の前にしてもその認識は変わらなかった。
ぽんぽんと悪態だけは絶えず出てくる。最初はそんなサンジを相手にせず、ゾロも軽口を返してくるだけだったが、その内、手が出てきた。それに蹴りを返し、二年前と変わらず喧嘩が始まる。二人を止めてくれる仲間もいないため、互いに一歩も引かぬまま、市場の中央で怒鳴りあった。
嫌と言うほど、二年飽くこともなく考え尽くした。癪だが、オカマたちの聞きたくもない体験談を交えながら、男同士の恋愛について聞いたりもした。サンジにとって、それまでに身を切るほどの葛藤があった。
その頃にはもう、知らず結論は出ていたのだろう。ゾロに想いを告げることに決めた。返事は元より期待していない。ただの自己満足でしかないが、この気持ちを知っておいて欲しかった。
また、二年前のようなことが起きたときに、命がけでゾロを救う理由にもなる。そのとき精々、苛立ち悩めばいい。痛み分けだ。
サンジは、告白はゾロへの嫌がらせでしかないと予防線を張りながら、実際はもう限界なだけであると気がついていた。
シャボンディ諸島で再会した暁に、想いを告げようと決めたのだ。生きているという確信はあった。簡単に死ぬようなタマじゃない。
どうせゾロがやってくるのは最後になるだろうと思っていたが、予想に反して一番乗りだ。迷子野郎のせいで慌しい出航になり、そのまま告白の機会もなくなる。そんな期待もあった。
それが、最初に再会した仲間がゾロだなんて、一体なんの因果だろう。生憎と言うべきか、それとも幸運と呼ぶべきか。
サンジがぬおおと奇妙な雄叫びを上げて髪を掻き乱すと、ゾロは驚いたように眉を上げた。それからすぐに、その顔は訝しげな表情に変わる。
ぴたりと互いを飛び交う罵詈雑言が途切れたことで、サンジは立ち尽くし、ぐるぐると頭を巡らせた。
言うなら、今しかない。だが、心の準備ができていなかった。

「そんなにおれと最初に会ったのが嫌なら、ナミかロビンでも探しに行けばいいじゃねェか。記憶ならぶん殴って消してやる」
「んだとォ! そんなんじゃねェ! おれはお前にも会いたかっ…」
ため息混じりに面倒くせェと続けられ、そのあまりの言い草に思わず失言した。
サンジの言葉を受けてゾロは、へェとからかうように口端を上げる。サンジがただ動揺していると、ゾロは押し黙り、奇妙な沈黙が続いた。それを打ち破ろうとして、サンジは煙草に火をつける。ニコチンを肺いっぱいに摂取して深く息を吐いた。
言うなら、今しかない。
「ってんなわけねェだろバーカ! 誰がてめェみたいなクソマリモに会いてェかよ!」
自分がこんなに意地っ張りだったとは思いもよらなかった。レディ相手になら出会ってすぐにでも告白できるというのに、あまりの不甲斐なさにサンジは項垂れる。
なぜこうも素直になれないのだ。たった一言だ。好きという二文字で全てが片づく。せめて正直に会いたかったぐらい言えないものか。
二年、あんなに焦がれていた。会ったらすぐにでも告白してやると意気込んでいたというのに、いざチャンスがやってきても二の足を踏む。こんなんじゃ、ゾロを目の前で二度も失ったときから、何も成長していない。覇気を会得して格段に強くなり、新しいレシピを収得したところで、これでは意味がないのだ。
「おれはお前にも会いたかったけどな」
「はっ…?」
「さすがにてめェの飯が恋しい」
サンジが言葉を失っていると、ゾロは肩を揺らしながら歩き始めてしまった。徐々に遠ざかる背中を呆然と眺め、サンジの顔に熱が集中する。
会いたいと思ってくれていた理由が飯だなんて、サンジにとっては最高の褒め言葉だ。普段、美味いなんて一言も告げられたことのない相手に言われれば、嬉しくないわけがない。
小刻みに身体を震わせながら、サンジは落とした煙草を靴底で踏みつけた。それから、深く息を吸い込む。

「おれもっ、てめェにすっげェ会いたかったよ! 会いたくて会いたくて頭がおかしくなるぐらいにな!」
「お前の頭は元々おかしいだろ」
サンジが声を張り上げたため、市場にいる人々から注目を浴びた。心底呆れたように振り返り、そんなことを言うゾロに、いつもどおり喧嘩をふっかける余裕はない。
あれほど焦がれた本物のレディからも奇異な目を向けられているのに気づくが、サンジは気にも止めず、まっすぐにゾロを見据えた。
ゾロが歩いた分だけ離れた距離を、縮める勇気は、まだない。
「今この場にあの肉球野郎が現れて、またてめェと離れ離れになってもいいように、これだけは言っておく」
「おれはもう、あいつにゃァ負けねェぜ」
「だーっ、例えだバカ! おれは二年、おめェのことばっか考えてたよ……おれのパワーアップした飯も食わせてやりてェし、会って無事を確かめて、抱きしめたかった」
頭の中で何度もシミュレーションしてきた告白とは大違いだが、やっと胸に秘めていた想いを吐露したことで心が軽くなるのを感じた。
一息に言い切ったためか、サンジは肩で息をしながらゾロの反応をじっと伺う。ゾロを好きだと認めた日から、返事は期待していなかった。それは確かだったはずなのに、色好い返事が聞けることをどこかで期待している。
するとゾロは、ふいに両腕を広げてみせた。サンジは目を丸くして、は、と短く息を吐く。
ゾロは広げた腕を一度ん、と強調すると、抱きしめてェんだろと嘯いた。
「なっ…!」
「言わねェつもりなのかと思ってたぜ、鈍感コック」
「クソ、卑怯だぞてめェ」
知ってたんなら早く言えよバカ。予想外の展開に、サンジはぐしゃぐしゃに顔を歪めた。ゾロに駆け寄り、勢い任せにその身体に飛びつく。
サンジとは対照的に、余裕そうなゾロのことがやはり気に食わない。ちくしょう、好きだ。掠れた声で呟くと、周囲から拍手が沸き起こった。いつの間にか二人を取り囲むように見物人ができており、サンジはあまりの事態に、ゾロの肩に顔をうずめたまま動けなくなってしまった。


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