飴の生る木3 日が暮れる前には必ず帰ってくること! いいわね! 耳にタコができるほど、ナミに口酸っぱく言われたが、辺りはもう薄暗くなりはじめていた。少し前に太陽は雨雲に隠されたが、雨のせいだけではない。徐々に視界が悪くなっていく。そろそろ、日が暮れるのだろう。 ルフィに腕を引かれて島に降り立つ際、なぜだか船縁に仲間たちが一様に並び、笑顔で二人のことを見送られた。その光景を思い出し、ゾロは頭が痛くなるのを感じる。 日が暮れる前に帰ってこられない場合は連絡するようにと、ナミに子電伝虫を渡されていた。だが、突然の豪雨のせいで電波が飛ばないためか、それとも別の理由か、何度かけても繋がることはなかった。ナミやサンジにどうせ迷子になるだとか、自力で帰ってこれるはずがないと散々からかわれた後だったため、ゾロは断じて迷子になったわけではないと、掌の子電伝虫を眺めながら眉をひそめた。 不可抗力だと頭の中で言い訳しながら、耳を塞ぎたくなるほどの水音に耳を傾ける。地面はぬかるむばかりか、まるで小さな池のように水が溜まっていた。まるで滝壷にいるようだと、ゾロは洞窟の中から大量に降り注ぐ雨の粒を眺める。 島で探検と言えど、単なる無人島では真新しいものは何もなく、ただ二人で手を繋いで当てもなく森の中を歩き回った。ルフィが良さげな木の枝を拾ったり、不思議な動物を追いかけたりと、そんなことをして過ごしていた。ゾロはただ、ルフィのやることに徹底的に付き合うことにしたのだ。 見れば、洞窟の入り口にまで雨水が侵入し始めている。幸い、雨が降り出したときには、ちょうどルフィが見つけたこの洞窟の中に入っていた。そのため濡れることはなかったが、これでは雨が止むまで動けそうもない。サニーに戻ろうにも、外に出れば視界を遮る大粒の雨のせいで三十センチ先さえ見ることも困難だ。それに、この雨に打たれ続けるなんて、苦行以外の何者でもない。 ゾロが諦めて子電伝虫を腹巻の中にしまったとき、ルフィの腹の虫が洞窟の中で雨に負けぬほど響き渡った。腹減ったァ、力なく呟きながら、ルフィは地面に突っ伏している。 雨はまだ止みそうにない。もともと薄暗かった洞窟の中は、もうほとんど闇に溶けていた。船を降りるまでの記憶を辿るが、ナミは雨が降るとは言っていなかった。それなら多分、一過性のものだろう。ナミの気候を読む能力は、ゾロも盲信するほどだ。しばらく洞窟で大人しくしていれば、すぐに止むとゾロは踏んだ。しかし、ルフィの腹はどうやら限界に近いらしい。 「まだ止まねェのか〜」 「もうしばらくしたら止むだろ。そしたら腹いっぱい飯食えるぞ」 「今すぐ食いてえー!」 ガキのように地団駄を踏むルフィに、ゾロはどうしたものかと腕を組んだ。洞窟の中には食べられそうなものなど何一つない。外に出れば、すぐにあの滝のような雨に打たれてしまうだろう。何か食料を用意することはさすがに難しい。 豪雨のせいか、風もまるで嵐のように強くなっていた。それに、ただでさえ空気の冷たい洞窟の中は肌寒い。多少声を張り上げなければ会話もままならず、ゾロは面倒だなと口を閉じた。すると、ルフィは地面に突っ伏したまま、じりじりと匍匐前進でゾロの元へ向かった。胡坐を掻いたゾロの足の上に両腕と顔を乗せ、大きく真っ黒な眸でゾロの顔を見上げる。 「なんなら、ゾロを食わしてくれるんでもいいぞ」 ルフィはゾロの首に腕を回すと、前のめりになったゾロに顔を近づけた。鼻先に唇が落とされて、組んでいた腕を地面につくと、ゾロは必死で体勢を保つ。だが、咄嗟のことだったため、地面に広がっていた着流しの裾に手を乗せてしまい、布が滑り上手く力が入らない。 やめろバカ! 声を上げるが、ルフィはますます引き寄せる力を強くした。そのとき、ゾロの指先に何かが触れた。硬く、丸みを帯びたものを布の上から確かめていく。ゾロが首を傾げれば、ルフィも不思議そうに腕の力を弱めた。 ゾロは広がっていた裾を持ち上げ、地面に手を這わせる。だが、先程の物体は見つからない。ついで着流しのポケットに手を突っ込むと、何かが指先に触れた。取り出してみれば、それは暗闇の中でもきらりと輝いたように見え、ゾロは目を眇める。 そのときふと、水音が止んでいることに気がついた。洞窟の外へ顔を向ければ、いつの間にか雨も風も立ち消え、静かな闇が訪れていた。 月明かりに手の中の球体が照らされて、あのときの飴玉なのだと分かった。落ちてきた飴玉の山を頭からかぶったとき、一つだけポケットの中に入り込んだのだろう。 「緑色。もしかしてゾロにくっついてきたのかもな」 「んだよそれ」 呆れて肩をすくめると、雨も止んだし行くぞ、とゾロは一人立ち上がった。それからルフィの前へ手を差し出して、その手を掴んだルフィと洞窟を後にする。 ゾロが手の中の飴玉を持て余していると、洞窟の入り口で、ルフィの腹の虫が不憫に思うほど切ない音を鳴らした。 「これやるからあとちょっと、歩けよ」 ゾロは緑色の飴玉をルフィの口に放り込んだ。ルフィは目を丸くしながらも、口の中で飴玉を一周転がすと、メロン味だな! と満面の笑みを浮かべる。 そのとき、ゾロの腹もたまらずぐうううと大きな音を立てた。ルフィは一瞬眉を上げたが、すぐに歯を見せて、笑みを浮かべる。 「ゾロ、二人で食おう」 ルフィはそう言うとゾロの両肩を掴み、唇に噛みついた。勢いに任せたルフィの行動のせいで、ゾロの背中は強かに洞窟の壁にぶつけられる。むき出しの岩肌がゾロの肌を掠め、思わず声を上げた瞬間に、隙を逃さずルフィの舌が口内へ入り込んできた。ルフィの舌の上を転がった飴玉が、ゾロの口内に侵入する。そのときやっと、二人で食おうと言ったルフィの言葉の意味を、ゾロは理解した。かああと頬に熱がこもるのを感じる。 目的を果たしても、ルフィはキスをやめようとはせず、飴玉は何度も二人の口内を転がり、徐々にその身を小さくさせた。ふと、メロン味だと言ったルフィの言葉を思い出すが、ゾロには飴玉の味など全くもって分からなかった。だが、ルフィと舌を絡ませるたび、とてつもない甘さに脳が痺れている。 飴玉が姿を消しても、ルフィはキスを続けた。何度も舌や唇を丁寧に吸われ、まるで飴玉を舐めるかのような気軽さで舌が口内を巡る。ルフィに追い立てられ、ゾロはんんっ、とくぐもった息を漏らした。 いつの間にか、ゾロの両腕は縋りつくようにルフィの背中に回されている。するとルフィは、突然唇を離し、困ったように眉尻を下げた。 「あーもう! ゾロが可愛いから止まんなくなっちまう! でも戻んなきゃな、みんなが待ってる」 「あ、ああ。そう、だな」 辛抱たまらんといった具合にゾロをぎゅっと抱きしめたルフィの態度に、ゾロは眉を上げて笑った。 そういえばと子電伝虫を取り出して、サニー号へと繋げてみる。今度はあっさりとナミが出た。雨のせいで宴の準備が進んでおらず、仲間たちはまだ世話しなく動き回っているらしい。 日暮れ前に帰れなかったことをからかわれることも、咎められることもしなかった。ゾロがほっと息をついたとき、ナミがあれ? と不思議そうな声を上げた。一体どうしたと、ルフィと共に首を傾げる。 その理由が、二人にもすぐに理解できた。遠くで空の一部が、七色に光り輝いている。ゾロはルフィと目を合わせて笑うと、すぐに帰ると子電伝虫を切った。 またあの島に遭遇するとは運がいい。強い光は水面や空にも映り込み、それはそれは美しいものだった。数日前の光景を思い出し、ゾロは空を見上げる。 ブルックとチョッパーを向かわせてるからそこから動かないでよ! そう告げるナミの言葉は、二人の元には届かなかった。 「今度は飴、独り占めできるんじゃねェか?」 「ししっ、もういらねェよ。すっげェうまいもん、ゾロにもらったからな」 とりあえず、光が映る空の方角へ向かえば、サニー号もあるだろう。そんな短絡的な考えをして、ルフィはゾロの手を取ると、洞窟を出ようと足を踏み出した。だが、ゾロはその場から動こうとはせず、不思議に思ったルフィが振り返る。するとゾロは、どこか罰が悪そうにルフィから顔を背けた。視線を泳がせたあと、何か決意したように、まっすぐにルフィを見つめる。 「誕生日おめでとう。…好きだ、ルフィ」 「ぞろお〜! おれもっ、大好きだぞ! ありがとう!」 突然ルフィに飛びつかれ、ゾロが受け止めきれず地面に倒れ込んだとき、泥に塗れた水しぶきが上がった。洞窟の入り口にも大きな水溜りが多数できており、結局二人して濡れてしまう。アホ、ゾロは悪態をつきながらも、照れたように笑うルフィへ本気で怒ることはできなかった。 初めてゾロから言われたと、嬉しそうに頬を染めるルフィにゾロまで気恥ずかしくなり、同じように顔を赤くする。 ルフィと出会ってからは、振り返る暇もないほど、目まぐるしく毎日が過ぎていった。一人で大剣豪を目指していたゾロにとって、海賊になったことは晴天の霹靂だった。仲間と過ごす楽しさも知り、もっと、強くなりたいと願うようになった。 それ以上に、人を愛することの喜びは、ルフィに出会わなければ一生知らずにいたのかもしれない。ルフィに出会えてよかったと、心の底から、ゾロは思う。 「おれな、ゾロと出会ってからは夢が一つ増えたんだ」 「へェ?」 「海賊王の隣には、大剣豪がいてくれなくちゃ困る」 海賊王と大剣豪だなんて、最高にお似合いだろ? そう言い放ったルフィのどこか得意げな態度に、ゾロは声を上げて笑った。 この世の海を支配する世界最強の海賊の隣には、これまた世界最強の剣士。確かに、最高だった。一通り笑ったあと、ゾロはルフィの目の前に拳を突き出して、にやりと口端を上げた。 「おれは、大剣豪に」 「おれは、海賊王だ!」 ゾロが笑みを引っ込めてルフィの目をまっすぐに見つめると、ルフィも同じようにゾロの目を射抜き返し、顔を引き締めた。 二年前、グランドラインへの船出と共に、皆で夢を誓い合った。二年経とうが、野望に対する思いは一ミリたりとて変わっていない。それは仲間全員、同じはずだった。ルフィと共に、改めて野望を誓い合う。この場で乾杯をして酒でも飲みたいところだが、野望を叶えるまではお預けだ。今日は、ルフィの誕生日を祝うための祝杯をする。サニー号へ戻れば、美味い酒と肉の山が出迎えてくれるはずなのだ。 ゾロはもう一度にやりと笑い、ルフィの服の襟を両手で掴んだ。ルフィも抵抗はしない。顔を引き寄せ、唇が触れる寸前、ゾロの視界の端に人魂のようなものが映った、気がした。 「あっ! 見つけましたよチョッパーさん! あれ、もしかしてお邪魔でした? ヨホホッ」 その人魂の正体はブルックの霊魂で、ルフィとゾロは共に目を丸くする。少し遅れて、魂が抜けているため動かない、まるで白骨遺体そのもののブルックを、片手で抱えた人型のチョッパーが木々の隙間から顔を出した。見慣れているからか、キス寸前の二人を前にしてもチョッパーは全く動じない。ゾロは苦笑を零すと、ルフィと顔を見合わせた。 「うし、じゃあ行くか。今日はお前の誕生日だぜ」 みんな早く祝いたくてうずうずしてる。ゾロがそう言えば、ルフィは大きく頷いてゾロの唇に優しくキスをした。 たくさん祝えよ、ゾロ。声を潜めたルフィに耳元で囁かれ、ゾロは思わず顔をしかめる。結局、ナミの言葉通りの展開になってしまいそうだ。どうせまたからかわれるのだろうと気が滅入る。だがまあ、それも悪くない。 ゾロは頷くかわりに、ブルックとチョッパーがいる前でルフィの唇に噛みついた。 |