はつこい



(パラレル 9歳サンジと19歳ゾロ)



 クソジジイめ、悪態をつきながら、神社の境内に腰をかけ、ぶらぶらと足を揺らしていた。スーパーやコンビニすらなく、見渡す限り山や田んぼ、そして畑しかないこの田舎に、いい加減うんざりしていた。娯楽と呼べるものは何もなく、サンジと同年代の子どももいない。
 ここから遠く離れた、サンジの暮らすレストランバラティエは、秋になれば、ようやく開店から一年が経つ。今回、初めて迎えるお盆の季節、どれほどの集客が見込めるのか、全く予測がつかない状態であった。しかし、最近になって、海上に浮かぶレストランの存在が、ネットで話題になったのらしい。夏という季節柄、避暑地にもなり、その上物珍しさもある。口コミはあっという間に全国へ広がり、次々と予約の電話が音を立てはじめた。飛び込みの客も多く入るであろうとき、世話を焼かねばならない子どもは、邪魔でしかないということだ。
 サンジはもう一度、クソジジイめ、と忌々しげに吐き捨てると、わざとらしく唇を尖らせる。レストランを手伝うことを申し出たが、受け入れられるはずもなく、ゼフやコックたちに爆笑の後、一蹴されてしまった。しかも、強制的に連れてこられたのが、遊ぶ場所すらない、ドがつくほどの田舎なのだ。さらなる不満を増幅させながら、橙色に染まりはじめた村を見下ろし、山中にある境内から飛び降りる。
 こんな場所で、一週間も過ごさなければならないだなんて、まるで地獄だ。ここへ来ることを条件にして、ゼフに買わせた新品のスニーカーで、所々窪んだコンクリートを蹴り、長く急な階段を下っていく。遠くに一望できた村が近づくにつれて、退屈な現実へと引き戻されていくようだった。耳を塞ぎたくなるほど、喧々たる主張をしていたアブラゼミは、いつの間にやら息を潜めている。その代わり、頼りなげなひぐらしの歌声が、辺りを包みつつあった。
 夕日に侵食されることなく、未だ青々しい畦道を進んでいく。まるで代わり映えのない景色に、サンジの足取りは重くなるばかりだった。ゼフの遠い親戚だというじいさんの元へ預けられることになったのだが、家にはテレビすら置かれていない。一度足を踏み入れたそこは、線香と、煮染めた醤油のような匂いがした。思わず顔をしかめたサンジの尻を、すかさずゼフに蹴りつけられたことを思い起こす。
 サンジは不満の捌け口を探し、結局何もないことに気がつくと、舗装すらされていない地面を軽く蹴り上げた。砂埃が舞い上がる中、夕日がサンジの姿を照らし、目の前に細長い人型の影を作り出す。
 ふと、影の先へ視線を向けたとき、山を背に佇む、一匹のたぬきと目が合った。互いに固まったよう、しばし見つめ合うが、サンジはすぐさま眸を輝かせ、たぬきの元へ駆け寄る。しかし当のたぬきは、ぎょっとして跳ね上がり、一目散に駆け出してしまう。
 この村で出会うものと言えば、畑仕事に精を出す老人か、今まで見たこともない、気味の悪い昆虫の数々だった。そんな中、図鑑や教科書でしか見たことのないたぬきが、目の前にいる。ここへ来て、初めて心が浮き立つ感覚があった。好奇心から追いかけることを決め、サンジも慌てて走り出す。
 足に自信のあるサンジでも、野生のたぬきにはなかなか追いつけず、息だけが上がっていく。数分間走り続けていようと、車が走るどころか、人に出会うこともなかった。それどころか、このあたりは民家すらないようだ。
 はたと、前方から歩いてくる一人の男に気がつき、サンジは徐々にスピードを緩めると足を止めた。肩で息をしながら、額を滴る汗を腕で拭う。たぬきは、男の足元へ回り込むと、怯えたように身を震わせながら、サンジの様子を窺っていた。男は、たいして興味もなさそうにサンジの顔を見遣ったが、すぐに腰を屈めて、たぬきの首根っこを掴んだ。
 この村で出会う人間は、今まで老人ばかりだった。皆、サンジの姿を見かけると、笑顔で声をかけてくるのだ。そんなことさえ煩わしく感じていたというのに、まるでサンジのことを眼中に入れぬ男の態度には、なぜか苛立ちが募る。あれほど怯えていたたぬきも、どうやら男には懐いているらしい。されるがまま、暴れることもしなかった。
 橙色に染まっていた世界は、気づけばすでに、色彩を失い始めている。
「あ、おい! ちょっと待てよ!」
 物言わず、サンジの横を通り過ぎようとした男を、咄嗟に呼び止めた。若い男もいるのなら、少しぐらい暇を潰せるかもしれない。一週間、老人と過ごすよりはマシだろうと思えた。それに、もしかしたら、何一つ手をつけていない夏休みの宿題も、手伝ってくれるかもしれない。鋭い目つきをした男は、けして取っつきやすそうには見えなかったが、動物に好かれる人間に悪いやつはいないと、いつかゼフが言っていた。しかし、男は振り向きもせず、森へと続く茂みの中にたぬきを放すと、そのまま歩みを進めてしまった。サンジは呆然と男の姿を見送り、なんて嫌な野郎だと、ますますむかっ腹を立てる。
 辺りは闇に呑まれ、空には中途半端に欠けた月が、薄ぼんやりと浮かび始めていた。もちろん、街灯などないこの場所は、夜になると左右の判別すらつかなくなってしまう。親戚の家へ戻ろうにも、夢中でたぬきを追いかけていたせいで、帰り道が分からなくなってしまった。木々が葉を擦る森のざわめきが、途端不気味なものへと変わっていき、サンジは次第に心細くなっていく。とにかく、元来た道を戻ろうと踵を返した。



「っ、いてェ!」
 突然、足首に走った痛みに声を上げ、その場へしゃがみ込んだ。あれから随分と歩いたが、暇を潰していた神社にさえ、辿り着けていなかった。そもそも、街灯などないこの場所は、月明かりだけでは心許なく、全く周囲が見えない。どうやら、まだ履き慣れぬスニーカーのせいで、靴擦れができてしまったようだ。この村に来てからというもの、嫌なことばかり起こる。その上、楽しいことなど何一つない。
 すっかり拗ねたサンジは、道の中央へ座り込んだ。どうせ、車も通らないだろう。せっかくの夏休みが、何もかも台無しだった。こんなところへ連れてきたゼフと、先程自分を無視した男への不満で、胸の内が膨らんでいく。何もかも八つ当たりでしかなかったが、サンジはじわりと浮かぶ涙を、手の甲で乱暴に拭った。
「おい、ガキがこんな時間に何してやがる」
 背後から聞こえてきた声に驚き、振り返れば、そこには先程、サンジを無視した若い男が立っていた。月明かりが、男を照らすように雲間から顔を覗かせる。耳元で揺れる三連のピアスが、その光を反射させた。眩しさに思わず目を眇めたが、サンジははっとして、勢いよく立ち上がった。さっきはよくも無視しやがったな! そう文句を言おうと口を開いたが、足の痛みに声を上げて、またしゃがみ込んでしまった。
 男はそんなサンジを見下ろしながら、もしかして怪我してんのか、とぶっきらぼうに言い放つ。しかし、存外優しい男の声音に、サンジは目を見張った。やっぱり、悪いやつじゃないのかもしれない。男の顔をまじまじと見上げるも、闇に紛れ、表情まで窺うことはできなかった。
「しょうがねェガキだな、ほらよ」
「おれはガキじゃねェ!」
 すると、男はサンジの前にしゃがみ込み、乗れよ、と背中を示した。どこかバカにしたような態度は気に食わないが、どうせ一人では歩けやしないと、サンジは素直に男の背へ身体を預けた。仕方ねェから乗ってやる、そうふんぞり返るサンジに、まんまガキじゃねェかと、男は呆れながら立ち上がった。途端、高くなった視界に、心が躍るのを感じる。すると、民家から漏れる明かりが、遠くにぽつぽつと見えた。その灯を見た瞬間、全身に漲っていた緊張が、どっと撓む。後ろから見る男の頭は、自宅の玄関に置かれているマリモに、よく似ていた。
 さっきまでぐずっていたことなどすっかり忘れ、サンジは男に背負われながら、暗闇の中を進んだ。説明しようにも、親戚の家までの道程が分からない上、名前さえ知らない。正直に告げれば、ひとまず男の家へ行くことになった。話してみれば、男はぶっきらぼうながらとても優しく、体温の高い背中は、サンジをどことなく安心させた。知らない人に着いて行ってはいけないと、学校で口酸っぱく言われていたが、この男なら大丈夫だろうと、一切の根拠もないが、確信している。
 機嫌を直したサンジは、この村へやって来ることになった経緯や、自分のことを、ゼフへの不平不満と共に一方的にまくし立てる。やっと話が通じそうな人間に出会えて、とにかく浮かれていた。
「へェ……おめェは、ここが嫌いなのか」
「ああ! だってつまんねェだろ。こんなクソ田舎」
 今まで黙って話を聞いていた男は、心底不思議そうに、そんな疑問を口にした。自ら問いかけた割に、サンジの返答には、まるで興味なさげな相槌を打つ。
「そりゃァもったいねェな」
「え?」
「ほら、着いたぞ。チビナス」
 上手く聞き取れなかった言葉を聞き返そうとしたとき、こじんまりとした民家の前で、男は足を止めた。それから、慌ててチビナスって言うな! と男を怒鳴りつける。そんなサンジを相手にせず、男は鍵のかかっていない引き戸を開けると、玄関へサンジを降ろした。手探りで廊下の電気が点けられて、突然明るくなった視界に思わず目を瞑る。ちょっと待ってろ、男はそう言ってサンジの頭をぐしゃぐしゃに撫でつけてから、奥の部屋へ入っていってしまった。サンジは、ぼさぼさになった頭を両手で押さえ、いつの間にか薄汚れたスニーカーへ視線を落とす。
「おいチビナス、どっちの足だ?」
「だからっ、おれはチビナスじゃなくてサンジだ!」
 救急箱を手に戻ってきた男へ、サンジは声を張り上げる。聞き取れなかった男の言葉が気になったのは一瞬のことで、このときにはもう、すっかり忘れてしまっていた。男は擦り切れたサンジの足首を消毒しながら、肩を揺らしている。バカにすんなと憤慨するサンジを見て、もう堪えきれねェとばかり、男は噴き出した。サンジは呆気に取られ、幾分幼く見える男の笑顔から、目を逸らすことができずにいた。無愛想だと思っていた男は、思っていたよりも、ころころと表情を変える。サンジは落ち着かない思いで、救急箱を手に立ち上がった男を見上げた。
「チビナスって、おめェにぴったりだと思うけどな」
「なっ……! お前だってマリモみてェな頭しやがって! バカにすんなクソマリモ!」
「ったく、口の悪ィガキだな」
 気を良くして、ゼフにチビナスと呼ばれていることを話したのは、失敗だった。廊下を進む男のあとを慌てて追い、サンジは心底後悔した。ゼフに呼ばれるのとは、わけが違う。どうしてか、男にガキ扱いされるのは嫌だった。
 ちゃぶ台と扇風機が置かれただけの殺風景な居間には、やはりテレビなどの娯楽はなさそうだ。毎週楽しみにしているヒーローアニメを、ゼフはきちんと録画してくれているだろうか。不安を覚えたそのとき、すぐ傍らで、豪快な腹の音が聞こえてきた。腹減ったな、ぽつりと呟き、顔をしかめた隣の男を見る。
「なあ、おれが飯つくってやろうか?」
「お前、料理なんてできんのか」
「おう! すっげェうまいんだぜ!」
 へェ、と感心を含む声を上げた男は、すんなりとサンジを台所へ案内してくれた。米は炊けているから、あとは好きに使っていいと言われ、調味料や食材の残りを確認していく。冷蔵庫の半分以上は酒で占領されており、シンク下の収納からも、ごろごろと酒瓶が出てきた。呆れながらも、男は酒が好きだということを頭の隅に留めておく。
 まだ土がついたままの野菜もたくさん、無造作にダンボールへ入れられていた。村に広がる、青々とした畑を思い出し、サンジは腕まくりをする。
「あとはおれがやっとくから、風呂でも入ってこいよ」
 驚いたように目を丸くして、まじまじとサンジの顔を見つめた男は、愉快げに口端を上げた。男が頷いたのを見て、サンジも顔を綻ばせる。他の大人たちは、危ないからとサンジに料理させることを嫌がったが、男はサンジを信用して、すべて任せてくれるようだった。ただ単に、何も考えていないだけかもしれない。目の前の男を見ていると、それが一番有力なように感じられるが、それでもサンジは嬉しくて、鼻歌まじりに米びつを台にしてキッチンに立った。
「あっ、そういえば、アンタの名前聞いてねェ!」
「ああ、ゾロだ」
 飯楽しみにしてるぜ、そう言ってキッチンをあとにした男の名を、頭の中で反芻させる。自分の作った料理を前に、笑うゾロの顔を思い浮かべながら、念入りに洗剤で手を洗う。料理を作る上で大切なことの一つだと、いつかゼフが言っていた。脳内で幾度も噛みしめるだけでは飽き足らず、ゾロ、と男の名を口に出してみれば、どうしてかサンジの胸は高鳴り、躍るのだった。





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