好きになるまでのレシピ



(パラレル コック×リーマン)

仕事でミスをしてしまい、珍しく気落ちしていた。それがかなり大きなプロジェクトだったのもあるが、一向に目的地に着いてくれない自身の足に、ゾロは苛立った。先方は笑って許してくれたが、以前のような信頼を取り戻すのは簡単なことではない。
地図のとおり歩いたのにわけが分からねェ。ウソップにそう言えば、だからお前は方向音痴だって何度も言ってるだろーがと、呆れたようにため息をつかれてしまった。お前気づいてなかったのか? アホだなァ、そうルフィにまで言われてしまえば、さすがに自分が方向音痴なのだと気づかざるを得ない。
確かに、今までもすんなり目的地に辿り着けたことの方が少なかったように思う。なぜ今まで気づかないでいられたのだと、ナミは呆れている。
間延びしたため息を吐いたとき、いつの間にか見知らぬ場所にいることに気づき、ゾロは辺りを見渡した。適当に道を歩き出すが、自宅どころか、ここがどこなのかも分からない。車は通っているが、タクシーは見当たらなかった。
弱った、立ち往生していると、ゾロの腹の虫が音を鳴らした。そういえば、ミスのフォローや処理に終われ、昼から何も食べていない。まずは腹ごしらえが先だと、都合よく目の前に見えたレストランの扉を開いた。
「いらっしゃいませ。レストランバラティエへようこそ」
ウェイターが上品に笑う姿にゾロはぎょっとした。場違いな高い店にでも入ってしまったのかと勘繰るが、店内にぽつりぽつりといる客は皆身軽だ。ほっとして案内されるがままカウンターに座り、すごい髪の色だな、と金髪のウェイターを見遣る。
「ご注文はお決まりでしょうか」
知らずその髪に見惚れていたことに気づき、ゾロは慌てて開いたメニューの一番上を指差した。他のメニューを確認する間もなく、ウェイターにレシピを渡す。手持ち無沙汰な感覚に、氷の浮いた水の入ったグラスを掴んだ。
ウェイターは滑らかに注文を繰り返し一礼すると、厨房の中へ消えて行った。腹が減っていたせいでどんな店なのか確認せず入ってしまったことを、ゾロは少し後悔する。
適度なボリュームで流れるジャズに、居心地が悪いとネクタイを緩めた。こういう店はどうも性に合わない。
なんとはなしにカウンターから見える厨房を眺めていると、一見料理人には見えないガタイのいい男たちが料理をする姿に目を見張る。すると、先程のウェイターが厨房から出てくるのが見え、ゾロは慌てて視線を逸らした。
「お待たせ致しました。ハヤシライスと」
「…酒?」
注文していないはずのワインをグラスに注がれて、思わず顔をしかめる。ウェイターはにっこりと笑い、ロマネコンティでございますと続けた。
よく回りそうな舌だと感心すると同時に、ロマネコンティというワインの名に驚き、ゾロはウェイターの手中にあるワインボトルをまじまじと見つめる。
「注文してねェ」
「ははっ、安心しろ。サービスだからな」
ぐるりと先の巻いた眉を下げて顔を崩したウェイターに、先程まで浮かべていた笑顔は嘘っぱちのものなのだと知った。
随分高い酒なんじゃないのかと訝しみながらも、目の前に置かれたハヤシライスを見て、ゾロはスプーンを手に取る。
洒落た店から想像していたものとは違い、ハヤシライスは随分とシンプルなものだった。
隣に立ったままのウェイターに向けていただきますと告げ、ゾロはハヤシライスを口に運ぶ。そして、すぐに目を丸くした。
「うめェ…」
「当然だろ」
得意げに胸を張ったウェイターに一度視線を遣ってから、ゾロは次々とハヤシライスを口に運ぶ。頬が膨らむほど口にものを詰めるのは癖だ。その頬に、ウェイターの視線を感じる。やはり、居心地が悪い。ゾロはそう思案する。
「おいチビナス! 客には敬語を使いやがれバカが!」
長い髭を三つ編みにしたコックが厨房から顔を出し、見上げるほど高いコック帽でウェイターの頭を小突いた。
口いっぱいに頬張ったハヤシライスを咀嚼しながら、ゾロはその光景をぼんやりと眺めている。
確か、被る帽子が一番高い男がその店のコック長だとどこかで聞いた覚えがある。それにしたって高すぎだろうと思うが、気にせず口の中でとろけるたまごを嚥下する。
「他に客もいねェしいいじゃねェか!」
「廃れてんのか。この店」
満足して空になった皿にスプーンを置くと、店内を見回す。入ったときにはちらほらといた客もいつの間にか帰ってしまっていた。ウェイターは声を上げて笑い出すと、お前が閉店ギリギリに来たんだろうがとおかしそうに言った。
「そりゃ悪かったな」
「全くだ」
肩をすくめたウェイターに対し、髭の長いコック長らしき男は呆れたような視線を向けている。後片付けと仕込みはやっておけよ、ワイン代だ。そう言うと男は厨房に戻っていった。
酒に目のないゾロが、酒の存在を忘れていたことに思い至り、サービスだというワインに口をつけると深い渋味が口の中に広がり、やはり高い酒なのだろうと思わされた。途端に不安になり、ウェイターの顔を見上げる。ハヤシライスの値段さえ確認していない。手持ちの金はそれほどなかったはずだ。
「おめェはさ、」
ウェイターはそこまで言って一度口をつぐみ、空になった皿を下げると、ちょっと待ってろと厨房に戻ってしまった。
一体なんなのだろうとゾロは首を傾げ、残りのワインを飲み干す。変な店に入ってしまったと思うが、いつの間にか流れるジャズも心地よいものに変わっていた。
それに、飯もすこぶる美味い。こんなに美味いハヤシライスは、生まれてこのかた食べたことがなかった。

しばらくするとウェイターがワインボトルとグラスを手に厨房から顔を出した。さっきと違って安物だけど、笑みを浮かべながら空になったグラスにワインを注ぎ、ウェイターは少し付き合ってくれよとゾロの隣に腰をかける。
少し迷ったのち、ゾロはウェイターからボトルを奪うと、カウンターに置かれたグラスにワインを注いだ。それを見るウェイターの視線が、なんだかくすぐったい。
「お前、名前は?」
「…ゾロだ」
「ゾロか。おれはサンジ」
なぜかは分からないが、なんとなく迷った末にゾロは名前だけを告げる。サンジと名乗ったウェイターは、よろしくなと軽くグラスをぶつけてきた。きん、と甲高い音が響く。
「で、さっきなんて言おうとしたんだ」
「ああ…ゾロはさ、絶対美味そうに食うんだろうなって思ったんだ」
照れたように目を伏せて頭を掻くサンジを、ゾロは不思議に思いながらグラスを傾ける。分かんねェかなァと男が眉尻を下げたとき、厨房から頭にねじり鉢巻きを巻いたコックが顔を出した。また頼んでもいないのにいくつかつまみを出してくれ、どれも美味そうだとゾロは浮き立つ。
「気が利くじゃねェか、パティ」
「けっ、その代わり塵一つ残さず掃除しとけよサンジ!」
「おうよ、おやすみクソ野郎共」
帰り支度をして、次々と厨房から顔を出したコックたちにゾロも礼を言う。コックとは思えない風貌の男たちは、口は悪いがいいやつらなのだろう。すでに余すところなく掃除された店内を見て、そう感じた。サンジの表情もそれを物語っている。
厨房の照明が落とされると、店内は少し薄暗くなり、間接照明だけがグラスの中で揺れるワインを照らし出していた。
出されたつまみに手をつけると、サンジはネクタイを緩めて嬉しそうに笑う。
「やっぱいい顔するよなァ、お前」
「あ?」
「コック冥利に尽きるってもんだ」
ワインを傾けながらそう言ったサンジが、ゾロが食べたあのハヤシライスを作った張本人なのだと聞いて、ゾロは心底驚いた。ウェイターをしつつコックもこなすとは、 目的地にも辿り着けない自分とは大違いだ。
互いに当たり障りない会話をしながら、二本目のワインを開けた。店に入ってから一体どれほどの時間が経ったのか、ゾロには分からずにいる。明日も仕事だ。早く帰らなければと思うのに、どうしてか動けずにいた。
テープが終わったのか、流れていたジャズが止まる。途端に訪れた沈黙を合図に、サンジと視線が絡み合い、時が止まったかのような感覚に陥った。なんだか変な気分だと、ゾロは視線を逸らしてワインを呷る。
「あー…変わってるよな、お前」
「どこが?」
「どこがって、ただの客にこんなサービス普通はしねェだろ」
「確かに、普通はしねェなァ」
困ったように無理矢理笑みを浮かべたサンジを見据え、じゃあどうしてだとゾロは口を開く。そのとき、サンジの手が伸びてきて、その掌がゾロの頬を覆った。ゾロが言いかけた言葉は声にならず、霧散していく。
目の前に金髪が迫ってくるのが、ゾロには随分と長く感じられたが、そこから唇が触れるのはあっという間だった。驚きに目を見開くと、今にも消えそうな声で一目惚れだと囁かれた。わけが分からない。ゾロが第一に思ったことは、それだった。

キーボードを打つ手を休め、ため息を吐くと頭を抱える。あのあとどうやって辿り着いたのかは記憶にないが、気がつけば自宅に戻っていた。しかし、金も払わずに逃げて帰ってきたであろうことは分かる。金を払いに行こうにも、迷った末に辿り着いた店だったこともあり、レストランの場所も名前も分からない。奇跡でも起こらない限り、もう一度あの店には辿り着けそうもなかった。
「ゾロ、何よその顔…酷いわよ」
「ほっとけ」
向かいのデスクに座るナミが、パソコン越しに顔を出した。ゾロの顔を見とめた瞬間、あからさまに顔をしかめられる。
「まあどうでもいいけど、ランチ行くわよ」
「あー…おれはいい」
「バカね。アンタに拒否権なんてあると思う?」
「…魔女め」
何か言ったかしら、鬼のような笑みを浮かべたナミに眉を寄せるとゾロは口をつぐむ。何を言ったところで、口で勝てる相手ではないということは身に沁みて分かっていた。賢明ね、と愛らしくウインクをしてみせるナミは、その容姿とは裏腹に全く可愛くなく、ゾロはやはり魔女だと思ったのだった。
ルフィに半分引きずられるようにして歩きながら、ナミやロビンの後を大人しく着いていく。その間も頭に浮かぶのはハヤシライスとサンジのことで、ゾロは呻き声を上げ、髪を掻き乱した。ウソップに心配されながら歩いて数分のところにあるレストランの前で立ち止まる。見覚えのあるその店先に、ゾロは目を瞬かせた。
「ここよ、レストランバラティエ。すっごくおいしいんだって!」
「素敵なレストランね」
「早く飯食おうぜ〜!」
ルフィが待ちきれないとレストランの扉を開いたとき、店内に足を踏み入れることが出来ず、ゾロは一人立ち尽くした。
会社からこんなに近くにあったことも驚きだが、サンジと顔を合わせる勇気が出ずに尻込みする。金は払わなければと思うが、昨日の今日だ。さすがに会いづらい。
「レストランバラティエへようこそ。素敵なレディ……」
そのとき、早く入れよと後ろにいたウソップに背中を押された。心の準備が出来ていないまま、店の中に足を踏み入れる。流暢にしゃべる声の主と目が合うと、気まずさにすぐ視線を逸らした。
「うわっ! ゾ、ゾロ?」
人の顔を見るや否や、ぐるぐると目を回し、逃げようとしたサンジの腕をゾロは咄嗟に掴んでいた。その行動に自分が驚き、ぴたりと動きを止めたサンジの手が震えているのに気づく。そりゃァ、こいつも会いづらいだろう。ゾロの掌にもじわりと汗が滲む。
あれは酔った末に出た狂言と行動だったのか。今のサンジを見ていると、ゾロにはそうは思えなかった。
「おれも好きだ」
気がつけば口をついていた。ゾロが目を丸くしたと同時に、サンジはみるみる内に顔を赤く染める。こんなことを言うつもりはゾロにはさらさらなかった。
それが、ゾロの臓腑を的確に打つ。同時に溜飲を下げる。
周囲からの視線を痛いほど感じ、ゾロは慌ててサンジから手を離した。じわじわとゾロにまで感染する頬の熱を誤魔化したく、必死で同僚たちへの言い訳を考える。
「お、お前のハヤシライス! また、食わせろ」
ゾロの言葉にきょとんと目を見開いたサンジは、突然腹を抱えて笑い出した。賑わう店内の客からも注目を浴び、今すぐここから逃げ出したいとゾロは苦虫を噛み潰したような顔をする。だがそれも、サンジの笑顔を見たらどうでもよくなってしまった。
「あはは。ご注文、承りました」



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