treasure



(海賊 ゾロ誕)



「おっ、なんだゾロか!」
心底驚いたような声を上げたのはウソップだった。その声を受け、怪訝そうに振り返ったゾロの眉間には、不機嫌さを顕著に表すしわが深く刻まれている。それを見たウソップは思わず後ずさりをしたが、ゾロの頬がほんのりと赤く染まっていることに気づき、なんとも言えない気分にさせられた。
なんだとはなんだ、しどろもどろになりながら言葉を紡いだゾロは、麦わら帽子を深く被り直し、ぷいと前へ向き直った。
麦わら帽子被ってメリーに座ってりゃ、誰だってルフィかと思うだろうが。ウソップは肩をすくめる。だが、これ以上触れてくれるなと言わんばかりに背中を丸めてしまっているゾロが気の毒に思えて、ウソップはそれを口に出すことはしなかった。それから、懸命な判断だと一人頷く。
いつもなら、相手がゾロだろうがなんだろうが、ルフィはメリーの上は絶対に譲らない。珍しいこともあるもんだ。そこまで考えて、そういや今日は特別な日だもんなァと、ウソップはからかうように口元を覆う。すると、ゾロに鋭く睨みつけられてしまい、これ以上相手を刺激するのはまずいと慌てて踵を返した。
キッチンへ姿を消したウソップを見送り、ほっと息をついたゾロは、風で飛ばされそうになった麦わら帽子を咄嗟に押さえつける。
目の前に広がるのは大海原。視界の先は一面青く、障害になるものなど何一つなかった。地平線を望めば、海と空の境界すら分からない。それほどまでに海は広大だった。
ゾロは目を細めながら、船首に座ってただ前を見据えていた。メリーの上で昼寝をしたら、どれだけ気持ちがいいのかと、ルフィの背中を眺めながら何度も考えたことがある。実際に試してみて、ルフィの機嫌を損ねたこともあった。だが、いざメリーの上を譲られてみれば、睡魔は全くといっていいほどやって来ず、ゾロは所在なげにぶらぶらと足を揺らす。ブーツのつま先で空を蹴り、キッチンから漂う甘い香りにどうしてかいたたまれない。
そんなとき、大波が船縁にぶつかり、小さな船は大きく傾いだ。不安定なこの場所は、身体のバランスが取りにくい。ゾロが慌ててメリーに掴まれば、見上げるほどに高く飛沫が上がった。それらは太陽の光を反射させて、きらきらと自身を輝かせる。それらが海へ姿を消した頃、自身を呼ぶルフィの声が聞こえてきた。
「ゾーロー!」
メリーの首にルフィの腕がぐるぐると巻きつけられた。ゾロは、やってくるであろう衝撃に備え、咄嗟に身構える。やはり、ルフィは勢い任せに飛びついてきた。危ねェだろ、文句を言いながらも、狭いメリーの上にルフィも座れるよう、ゾロはできるだけ前へ身体を詰める。
少しでも身を滑らせれば、そのまま海へ落ちてしまうことは必至だった。幸い、海は小さな波を生み出すばかりで、殆ど凪いでいる。ルフィは上機嫌にゾロの腹に腕を回すと身体を寄せてきた。
「今な、サンジがすっげェケーキ作ってんだぞ!」
「へェ」
「ナミもよ、今夜は特別だからって酒いっぱい用意してんだ」
「そりゃァいい」
ゾロの言葉にぱあっと顔を輝かせたルフィは、他にもウソップが面白いものを作っているだとか、チョッパーとロビンがキッチンを飾りつけていることを、楽しそうに語った。
まるで自分のことのように嬉しげにするルフィは、何度も楽しみだなァと笑顔を零している。ゾロは黙ってそれを聞き、胸の辺りがどうにもむずむずすると、やはり先程と同じいたたまれなさを感じていた。
「どうかしたか?」
「いや……」
あまり乗り気ではないゾロの反応に気がついたのか、ルフィは不安げにゾロを抱く腕に力を込めた。ゾロは楽しみじゃねェのかと、声のトーンを一つ落とす。
ゾロはすぐにでも違うと否定をしたかったが、仲間たちが自分のために働いている姿を見ては感じるこの気持ちに、どうしても名前をつけられないでいた。決して不快なわけではない。寧ろ嬉しい。それは確かだ。だが、手放しに喜べるような単純な気持ちでもなかった。
麦わら帽子がゾロの頭上でまた風に揺れる。いつも、ルフィの頭の上で揺れているそれを、今自分が被っているということも、ゾロには不思議でならなかった。きっと、先程から感じているいたたまれなさはこれが大きい。
飛ばされないうちに麦わら帽子を脱ぐと、手の中のそれを一度覗き込む。頭一つ分の空洞を、ゾロはぼんやりと眺めた。同時に背後のルフィへ身体を預け、ふと息を吐く。

「返すぜ、これ」
ルフィの肩に後頭部を預けると、麦わら帽子を元の場所へ戻す。すっぽりと収まったのを確認して、ゾロは口端を上げた。この方がしっくりとくる。麦わら帽子もきっと、そう感じていることだろう。ゾロは至近距離にあるルフィの顔を見上げながら、ひしひしとそう実感した。
徐々に近づいてくるルフィの唇を待ち侘びて、目を閉じる。一度触れただけで離れていったルフィからは、どこか甘ったるい香りがした。キッチンから匂ってくるものと同じだと、ゾロはゆっくりと瞼を持ち上げる。
麦わら帽子が視界の端へ移ったとき、海よりも幾分澄んだ色をした空が顔を出した。その眩しさに、ゾロは知らず目を細める。
「おれの大事なもん、今日一日ゾロにやるって言っただろ」
「だったら尚更、お前が被っとけ」
「なんでだよ」
納得がいかないルフィは、子どものように頬を膨らませてゾロの顔を覗き込んだ。ゾロは一度ルフィへ視線を向け、預けていた身体を起こす。
また、視界に広がった海は相変わらず静かだった。そんなとき、足元で一匹の魚が跳ね上がるのが見えた。小さく上がる水飛沫を見ていたら、なぜか急に、今までのことに合点がいったような気がした。すんと鼻を鳴らせば、キッチンから漂う甘い香りは一層強くなる。ただ一言、恥ずかしいと、ゾロはそう思った。
「それを被ってるおめェが、おれは好きなんだよ」
メリーに座って何をするでもなく、こうして海の果てを見据えているルフィの背中を、ゾロはよく眺めていた。声をかければ振り向いて、いつものように笑顔を見せてくれるのだろう。分かっているのに、声をかけられずにいることの方が、ゾロには多いように思えた。
そんなとき、どこか遠く感じるルフィの頭上で、麦わら帽子はいつも、潮風に吹かれ揺れている。いつか飛んでいってしまうのではないかという危うさの中、それでもルフィからは決して離れることがないだろうという安心感。不可解な均衡の中で佇むその様は、ゾロの目にはいつだって眩しく映った。
「にししっ、よく分かんねェけど、分かった!」
「おう」
「楽しみだなァ〜肉!」
「本当、そればっかだな。てめェは」
ゾロが呆れて視線をやれば、ルフィは失敬だなと不満そうに唇を尖らせる。そして、今日は特別肉が美味いはずなんだと、よく分からない主張を始めた。
ゾロは苦笑しながら、揺れる波間に差した陰りに気づき顔を上げる。太陽の位置が思った以上に低く、その周りが徐々に色づきはじめていた。
ふわあと大口を開けて欠伸をし、涙の浮かんだ瞼を擦る。結局、今日一日昼寝も満足にできなかった。睡魔などやってはこなかったのだ。だが、ルフィがいるというだけで、安心にも似た心地で、柔らかな眠気に意識が追いやられていく。
「…おれ、ゾロにやれるもんなんもなくってよ。金もねェし」
「あ?」
「それで、おれの宝物わけてやろうと思ったんだ」
だから麦わら帽子返されると、プレゼントなくなっちまう。すっかり忘れていたと、ルフィはゾロの肩口に顔を埋めた。もしかすると、この船首の上も、プレゼントのつもりだったのだろうか。
じわじわと海面を侵食していく橙色はもう、すぐそこまでやってきている。
ウソップの作っているものは元よりよく分からず、キッチンの飾りつけを手伝おうとしたら飾りを壊してしまい、ついつまみ食いをしてサンジと喧嘩になったところをナミに邪魔だと追い出されてしまったのだと、ルフィは珍しく情けない声音で話した。ゾロの首筋に鼻先を埋めて、ちゃんと祝ってやりてェんだとこもった声で続ける。
「だからよ、他に欲しいもんねェか。ゾロ」
ゾロの耳元へ唇を寄せて、囁くようルフィが息を吐いた。面倒なことになったと、ゾロは身体を震わせる。じわじわと顔に熱が集中するのを止める手立てはなく、夕日で隠れてしまうことだけを祈り、わずかに俯いた。いたたまれなさは限界だった。
キッチンからは肉を焼く匂いがする。きっと、ゾロの好物の海獣の肉だ。ルフィが大物を仕留めたのだと、なぜだかウソップが鼻高々に言っていた。
できることなら、どこかへ隠れてしまいたいような心地ながらも、それでもやはり、ゾロの心が浮き立つのは否めずにいる。苦々しい思いで顔をしかめると、海の縁がだんだんと黒を映し始めていた。

「いくらおめェの大事なもんもらっても、おれァお前がいなきゃ意味がねェんだ」
だからもう、十分だ。顔を真っ赤に染めて、それを押し隠すよう、ゾロはまっすぐに地平線へ顔を向けた。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。頭の中は、今にもパンクしてしまいそうなほど熱が上がっている。ゾロはただ、ぐるぐると目を回すことしかできない。
すると、ゾロの腹に回っていたルフィの腕が、突然離れていった。かと思えば、ぐいと腕を引かれ、無理矢理正面を向かされてしまう。船首の脇で踏ん張っていた足はいとも簡単に離れ、バランスを崩したゾロは、ルフィの元へ倒れ込んだ。
運悪く、波に押された船が、また大きく傾ぐ。それから、ルフィもろとも甲板へ転げ落ちてしまった。ゾロは強かに打ちつけた額の痛みを堪えながら、下敷きにしているルフィの胸元に顔をうずめる。
「大丈夫かァ? ゾロ〜」
「……アホ、海に落ちたらどうすんだ」
「だって、ゾロがあんまりにもかわいいこと言うからよ」
仕方ねェだろ、そう言って上体を起こしたルフィと共に、ゾロも身体を起こす。そのまま正面から抱きついてきたルフィの背中に腕を回すと、不意に唇が触れた。何度もちゅ、ちゅ、と音を立てて唇を吸われる。行為に直結しない、ただ愛おしむような口づけが気恥ずかしい。
その中にどこか物足りなさを感じながら、ゾロは薄く唇を開いた。そのことに気がついたルフィが、口づけを深めようと舌を差し入れたとき、仲間たちが二人を呼ぶ声が聞こえてきた。それは少し離れた場所から聞こえてくる。キッチンからだ。
驚きに肩を跳ねさせたゾロは、ルフィを押し返し、濡れた唇を拭うと慌てて立ち上がった。
太陽はとっくに海に飲み込まれてしまっていた。月が顔を出した途端、冷たくなった潮風など気にならないほど、暗闇の中で光を洩らすキッチンは、どこかゾロを温かい気持ちにさせた。ルフィは一度拗ねたように唇を尖らせたが、今から始まる宴のことを思い出したのか、勢いよくゾロの背中に飛びついてきた。
「うしっ、おめでとうゾロ! 愛してるぞ!」
「…っ、早く行くぞ!」
みんなが待ってるとまた頬を染めて、背中にルフィを貼り付けたままゾロはキッチンへ向かう。匂いだけで美味いと分かる料理を頭に思い浮かべれば、腹の虫が盛大に音を鳴らした。
これから祝われるというとき、一体どういう顔をしたらいいのか、ゾロには分からない。深く眉間にしわを刻んだまま、ドアノブに手をかけた。
「ハッピーバースデー! ゾロ!!」
パン、パン、と何かが弾けたような音が響いてすぐ、紙ふぶきや色とりどりのテープがゾロとルフィの元へ降りかかった。反射的に目を瞑ってから、ゾロはおそるおそる目を眇める。そうして、飛び込んできた光景に目を丸くした。色とりどりに飾りつけられたキッチンに、テーブルに所狭しと並べられた好物ばかりの料理。そして、目の前にはまるで、自分たちが祝われているかのように嬉しそうな笑顔の仲間たちがいる。
ゾロは今にも立ち消えそうな声でおう、と呟くと、ますます顔を赤く染めた。
おめでとうと言われるたび、キッチンを飛び出したい衝動に駆られる。それでもルフィに腕を引かれ、仲間たちとテーブルを囲んだ。どうしてか、なにより好きなはずの酒を前にしても、ゾロはなかなか手をつけることができなかった。


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