そして氷点下は沸騰した



(パラレル レンタルビデオ店で出会う二人)



「サンジくんって恋をしたことがないのね」
先程、呆れたように彼女に言われたことを思い出し、サンジは深々とため息を吐いた。それは白く色づいて宙を舞う。
そのあとに続いたものはやはり別れの言葉だった。
おれは世界で一番女の子が好きだと胸を張って言えるし、今まで付き合ってきた彼女たちのこともちゃんと好きだった。確かに、映画やドラマで見るような相手が好きで好きで仕方ないだとか、胸が張り裂けそうだとか、そんな気持ちを味わったことはない。だが、大半の大学生なんてそんなものだろう。
人の流れに逆らい、背中を丸めながら遊歩道を歩く。幸せそうに歩く男女を横目に煙草に火を点けると、煙を深く吸い込みすぎて思わずむせた。
サンジが暮らすアパートが近づくにつれ、辺りに人は少なくなっていき、それに伴い歩くスピードも遅くなった。伸びた煙草の灰を足元に落としたとき、ポケットの中で震える携帯の存在に気がつく。取り出して、ディスプレイに映る友人からの着信を茫洋と眺めたあと電源を落とした。
何をこんなに落ち込んでいるのかよく分からず、もう一度ため息を吐く。今まで何度も女の子にはフラれて来た。根っからの女好きのせいでひどい罵声を浴びせられたこともあったが、それほど気にしたことはない。
そこまで彼女のことが好きだったのだろうか。考えてみるが、どうもしっくり来ない。
思えば女の子に愛を囁いて相手をその気にさせても、自らが望んで付き合ったことはなかった。彼女がいなくなっても、サンジに言い寄ってくる女性はたくさんいる。
そのときふと、レンタルビデオのチェーン店が目に入った。青と黄のネオンがちかちかと店頭を照らしている。住宅街の中で、それはひどく浮いて見えた。
先週、随分退屈な恋愛映画を彼女と借りたときに入ったばかりの店だ。どうしようもなく恋焦がれ、周りを顧みず好きな少女を振り向かせようと奮闘する主人公を嘲笑い、短くなった煙草をコンクリートの上に落とし靴底で踏みつけた。
たまには一人、映画を見ながら酒を飲むのもいいかもしれない。そう考え、自動ドアをくぐった。
店内は二階立てで、一階はセル、二階がレンタルになっている。いらっしゃいませ、気だるげに告げる店員の声を背に、サンジは重い足取りで階段を上った。
階段を上がってすぐの新作コーナーの前で足を止める。普段デートでしか映画を見ないため、何を見たらいいのかよく分からない。ずらりと並ぶ映画のタイトルをなんとはなしに目で追っていた。
サンジが膨大なDVDの数に途方に暮れていると、店員がDVDを抱え、階段を上ってくるのが視界の端に映った。抱えられたDVDの山は店員の頭まですっぽり隠してしまっており、危なっかしいなと眉を寄せる。これが女の子ならすぐにでも声をかけて手伝ってあげるところだが、残念ながら、相手はがたいのいい男だった。
サンジの隣で足を止めた店員は、空のケースに慣れた手つきでDVDをしまっていく。横目でその店員を見とめた瞬間、隠れていた頭が見えて、緑色の丸い頭にサンジは思わずマリモかよと口走ってしまった。店員は客相手にも物怖じせず、苛立ちを露わに眉根を寄せるとサンジを睨みつけた。さすがにこれは失礼だったと、サンジも苦笑を零す。

「悪ィ…つい似てたからよ」
「お前、それ全くフォローになってねェぞ」
眉間にシワを寄せたまま、呆れたように笑った店員を見て、サンジは目を丸くした。なぜかきゅんと高鳴った胸を服の上から押さえつける。初めて感じる変化にただ戸惑っていると、途端に鼓動が速くなっていくのを感じた。
その間に、店員はDVDを戻すことに意識を戻してしまった。もう少し話してみたいと思い、会話を繋げようとなんとか頭を捻る。しかし、何も言葉が出てこない。女の子と話すときは延々と回るこの舌も、今はなんの役にも立たなかった。
そもそも、男相手にこんなことを思ったのは初めてだ。どうかしてしまったのか。ふられたばかりで、きっと寂しいだけだろう。サンジは無理に自身を納得させる。
ここでの仕事が終わったのか、背を向けて立ち去ろうとした店員を引き止めようとして、気がつけば手を伸ばしていた。力任せに腕を掴むと、バランスを崩してしまった店員の手から雪崩のようにDVDが崩れ落ちる。
「なんなんだよてめェは!」
「ごめん」
床に散乱したDVDを拾うのを手伝いながら、サンジは俯く。店員が大きく舌打ちをしたのを聞き、もしかしたら嫌われてしまったかもしれないと不安が募る。
そんなわけの分からない感情を、頭を振って慌てて打ち消した。どうしてか、先程から女々しいことばかり考えている。そんな自分に嫌悪するが、店員への興味は尽きなかった。
「あーっと、ロロノアさん?」
制服の胸元につけられた名札を盗み見て、拾ったDVDを渡しながら名前を呼んだ。その瞬間、サンジの胸はどきどきと大きな音を立てる。店員が仏頂面でだが、なんだ、と応えてくれたことに心の底から安堵した。しかし、名前を呼んでみたはいいが、その先のことを全く考えていなかった。その場を取り繕うことだけをサンジは必死に考える。
「…な、なんか、面白い映画とかねェ、かな?」
しどろもどろになってしまった言葉に一人焦っていると、店員はDVDを抱え直し立ち上がった。着いて来いと無愛想に言い放たれ、大人しく後を着いていけば、同じところを何度もぐるぐる回った挙げ句、恋愛映画のコーナーに案内された。
新作コーナーから目と鼻の先だというのに、何がしたかったのだろうとサンジは首を傾げる。なんとなくその疑問を口にすることは憚られ、隣にいる店員を見遣った。
「彼女と見るなら、この辺のがいいんじゃねェか」
サンジが目を丸くすると、違ったか? と店員が不思議そうに首を傾げた。そんなあどけない姿に、また胸が高鳴る。
先週見た映画の中、主人公が少女への想いを自覚するシーンがあった。心臓が破裂しそうなほど高鳴り、胸の奥がじくじくと痛むのだと、主人公が大袈裟な身振りで親友に告げていた。
もし恋をしたら、こんな気分になるのだろうか。サンジはそんなことを考える。

「つーか、なんで彼女いるって分かるんだよ」
「ああ。見たことあったから」
店員はDVDのタイトルを一つ一つ確認しているため、サンジの動揺には気づいていないようだった。
彼女とこの店に来たのは二、三回にも満たないはずなのに、そんな客をいちいち覚えているものだろうか。それでも目立つ髪色や眉毛をしている自覚はある。しかし、 それは店員も同じで、一度見たら忘れるはずがないと妙な自信があった。
「あー…実はさっきフラれちまってよ」
「へェ、そりゃ悪かったな」
頬を掻きながらいや、とサンジが小さく呟いて、隙間なく並べられているDVDのジャケットを眺める。店員は謝りはしたものの、全く悪びれた様子は見せなかった。
そのジャケットには、どこも幸せそうに笑う男女が写っている。恋か、サンジが一人ごちると、おすすめと書かれた映画の紹介文に目を走らせた。
フラれたその日に一人ラブストーリーを見るだなんて、虚しいにも程があるだろう。そう思うのに、何か答えを教えてくれそうな気がしている。
店員はまた何本か空のケースにDVDをしまいながら、じゃァあっちはどうだ、とのれんのかかったAVコーナーを指差した。
「てめェはどんだけ即物的なんだよ!」
腹を抱えて笑い出すサンジに、店員は至極真面目に言っていたらしく、不満そうに唇を尖らせる。その薄い唇に視線が釘づけになり、キスしてしまいたいとぼんやりと思った。そうしてすぐに、いやいやいや! 相手は男だろ! と慌てて否定する。自らの考えにぞっとしながらも、店員のことを気に入っているのは、まぎれもない事実だった。
「おっ、おすすめとかねェの」
「悪ィがこの辺見ねェんだ。他のやつに聞いてくれ」
「あー」
まあそうだろうなァと納得すれば、やっぱり失礼なやつだなと店員は肩をすくめてみせた。その仕草を可愛いと感じたとき、胸が締めつけられるような感覚を味わう。
一番下の段にDVDを戻すため、しゃがみ込んだ店員を無意識に目で追った。制服の襟から覗くうなじに手を伸ばしかけて、サンジは咄嗟に思いとどまる。吸い寄せられそうになるその手をジャケットのポケットに乱暴に突っ込むと、煙草の箱に指先が触れた。混乱した頭を落ち着かせようとして、そのフォルムを意味もなくなぞりながら、サンジは深く息を吐く。
「そんなに好きだったのか」
「あ? なにが」
「何がって、彼女のことだろ」
少し前まであんなに陰欝な気分だったにも関わらず、彼女のことをすっかり忘れていたことにサンジは呆れた。同時に彼女に対し、罪悪感が募る。これではフラれて当然だと、彼女の言葉を今更理解した。
確かに、おれは彼女に恋をしていなかった。きっと、今までの彼女全員。サンジは認めて、自己嫌悪に陥った。そう感じても未だ、恋の定義が分からずにいる。
「あー、そうなんだよ! こっぴどくフラれちまってさ、なんて言うか一人でいたくねェんだ。だからアンタこの後時間ねェ、かな…?」
一気にまくし立てれば、店員はまだ大量に残るDVDを両手に立ち上がり、なんでおれなんだと訝し気にサンジを見据えた。それは当然の反応で、今日初めて喋った客からこんなこと言われても困るだけだろう。そう頭では理解していたが、サンジには一歩も引く気はなかった。もしこれを逃せば、これから先恋をする資格は一生訪れないような、大げさだとは理解しているが、そんな気さえした。
なぜ目の前の男がこんなにも気になるのか。その答えに辿り着くまで、きっとあと少しだ。
「おれ、結構料理上手いんだぜ。美味い酒もあるし、おめェのおすすめの映画一本分だけでも一緒にいてくれねェか」
「…美味い酒」
「おう、実家がレストランでよ、ジジイが趣味で酒も造ってんだ」
余裕なんて微塵もないまま、必死で言葉を繋げた。その間も変な汗は出てくるし、きっと今まで生きてきた中で一番格好悪い姿を晒している。そうまでして目の前の男を誘う理由が、徐々に形になって現れはじめた。
店員はしばらく考えるそぶりを見せたあと、別にいいぜと口端を上げてどこか挑発的に笑った。その姿にサンジがほっと息をつくと同時に、羞恥の波が押し寄せてくる。
店員から視線を逸らすと、壁に貼られた映画のポスターに目が止まった。もうすぐDVDがリリースされる映画のものだ。
――気がついたら、落ちている。
大々的に押し出されたキャッチコピーが目に飛び込むと、それは不思議なほどすんなりサンジの胸に馴染んでいき、みるみる内に顔を赤く染めた。


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