(パラレル 高校生)



すっかり冷たい風が吹くようになったが、窓から照りつける柔らかな陽光はまだ温かい。昼飯後と退屈な古典の授業が相まってサンジの眠気を誘う。誰もいないグラウンドをぼんやりと眺めながら大きく欠伸をした。
後ろの席で顔を突っ伏しているゾロの姿が窓に映るのが見え、振り向くとその頭をシャーペンでつつく。ゾロの肩は大きく上下に揺れていてしばらくは起きそうもない。つまんねェなァと欠伸を噛み殺し、おれも寝てしまおうとサンジは机に顔を伏せた。

肌寒さに身を震わせて目を覚ました。一度伸びをしてから、誰もいない教室を見渡すと制服の袖で涎を拭う。
寝起きの頭では状況を理解しきれずにいたが、そのとき机の上に置かれていた一枚の紙切れに気がついた。部活が休みになったというウソップからの伝言をなんとなく読み上げる。それから薄暗い窓の外へ視線を移し、打ちつける激しい雨に顔をしかめた。
「なんだよあいつ…起こしゃァいいのに」
「てめェが起きなかったんだとよ」
「わあっ!」
自分以外誰もいないと思っていた教室から、突然聞こえてきたその声にサンジは驚きのあまり悲鳴を上げる。慌てて振り返れば、退屈そうに頬杖をついて窓の外を眺めているゾロがいた。
サンジが机から身を乗り出して教室の時計を確認すると、とっくに授業は終わり、部活の時間になっている。かなり熟睡していたらしい。あまり眠りが深い方でもないのに、これではまるでゾロだと、思わず苦笑を零す。
また後ろを振り返り、部活はないのかとゾロに聞いた。するとゾロは、頬杖をついたまま視線だけをこちらに向けて、休みなのだと気だるげに告げた。雨に左右される部活でもないだろうに、珍しいこともあるものだとサンジはふうんと気のない返事をする。
「帰んねェの?」
「バス、まだ来ねェんだよ」
「そういやお前、どこ住んでんだ」
「シモツキ村」
はァ!? 思わず素っ頓狂な声を上げた。ここからでは、バスと電車を乗り継いでもシモツキ村までは二、三時間はかかるはずだ。どうりで毎日遅刻してくるはずだと、サンジは一人納得する。特待生用の寮にでも入ればいいのに、そう言うとゾロはまた窓の外へ視線を戻し、口を閉ざしてしまった。
気まずい沈黙をごまかすようサンジはゾロの視線の先へ同じように目をやる。見渡せど山しかないこの町を、サンジは案外気に入っていた。
強くなる雨足に思案して勢いよく立ち上がれば、椅子の足が床に擦れて耳障りな音を立てる。椅子にかけてあったリュックを背負うと、床に置かれていたゾロのスポーツバッグを手に取った。サンジがそのまま教室を後にすれば、ゾロが慌てたように立ち上がり、声を張り上げる。
「おい、何してんだてめェ!」
「バス停までも大分距離あんだろ」
送ってやるよと、慌てて追いかけてきたゾロにバッグを返す。ぽかんとしたまま、その場から動こうとしないゾロの腕を引き、廊下を進んだ。
ゾロの口から紡がれる文句を適当にあしらっていると、腕は振り払われてしまったが、観念したのかゾロはそのあと大人しくサンジの後を着いてきた。
まばらに自転車の置かれた学校の駐輪場を抜け、すぐ裏手にある雑木林に足を踏み入れる。朝の天気予報は晴れだったから、お互い傘は持っていなかった。大粒の雨がすぐに全身を濡らす。
ゾロはぬかるんだ地面を歩きながら、一瞬何か言いたげに口を開いたが、結局そのまま口を閉ざした。どうせそれも文句だろうと、そのことにサンジも深く突っ込むことはしなかった。
伸びっぱなしの雑草を掻き分けて、ぽつんと置かれているバイクの元へ向かう。トランクからヘルメッ トを取り出すと、ゾロへ放った。ハンドルにかけてあった愛用のヘルメットには雨水が貯まっており、サンジは顔をしかめながら水を捨てる。すでに髪から何までびしょ濡れだ。今更変わりはしない。
バイクを押して雑木林を抜けると、濡れたヘルメットを被る。早く乗れよとゾロを促せば、ゾロは存外大人しく荷台に跨がった。背後の男の重みを一心に感じながらキーを差し込み、エンジンをかける。
マフラーが乾いた音を立てたのを確認し、ちゃんと捕まってろよと声を張り上げた。おずおずとゾロの腕が腹に回され、これでいいのかとすぐ真後ろで声がする。密着した身体のことを意識した途端、サンジは緊張に身を震わせた。財布と空の弁当ほどしか入っていないリュックを隔てた距離にゾロといながら、アクセルを回す。
近くにコンビニすらないこの町を、慎重に進んでいった。なぜだか代わり映えのない畦道が、いつもより輝いて見える。打ちつける雨がバイクの速度に伴い強くなるが、それすらもサンジには楽しく感じた。
「毎日バイクで来てんのか」
「おー、バレたら停学だけどな」
お前も免許取れば楽だぜ、とマフラーと雨の音で聞こえづらいゾロの声に意識を向けて少しだけ声を張る。バイクの速度を上げたとき ゾロが何か言ったような気がしたが、特に気に止めずどんどん学校から離れていった。

まっすぐ道を進んでいくと、丘の上にある長く急な坂道が見えてくる。サンジの生まれ育った町が、小さな山に挟まれて顔を出した。滑らないよう速度を落とし、ぽつぽつと立ち並ぶ住宅や商店をガードレール越しに見下ろす。毎日ここを下りるときは、まるで自分が映画の主人公にでもなったような気分になるのだった。
ふと、ミラー越しにゾロの表情を盗み見れば、ゾロは目を細めて愛おしげにその光景を眺めていた。クラスメートたちは何もないこの町を退屈だと嘆き、ここから出ていくことを望んでいる。この景色を美しいと思えるのは、きっとおれとゾロしかいないのだと思うと、なんだか鼻が高かった。
いつの間にか雨足は弱まり、山の向こうには晴れ間が見えた。もしかしたら、ただの通り雨だったのかもしれない。濡れて纏わりつく制服が億劫だった。
バス停の前にバイクを止めて小さな屋根をくぐると、印刷の禿げかかった時刻表を確認する。ちゃちなベンチはすっかり古ぼけていて少し埃っぽい。
バスは数十分前に出たばかりで、次に来るのは二時間後だった。今から二時間、ここで待つのが当たり前だとでも言うように、ゾロはベンチに荷物を下ろした。ヘルメットを脱ごうとしたゾロをサンジは慌てて引きとめる。
「どうせ暇だろ。ちょっと道草しねェか」
「別にいいが…この辺なんもねェぞ」
すっかり晴れた青空の下、もう一度ゾロを乗せてバイクを走らせた。濡れた土とコンクリートの匂いが混ざり合って、青臭さが増したような気がする。
雲に隠れていた太陽が顔を出したおかげで、制服や髪が少しずつだが乾き出した。それでも低い位置にある陽光には限界があり、一向に乾きそうにないパンツが気持ち悪いと二人で笑い合う。
人気のない山道をバイクで悠々と登っていく。ゾロは柔らかな日差しのせいで少し眠くなったのか、大きく欠伸をするとサンジの背中に額を押しつけてきた。それだけで速くなる鼓動を落ち着かせようと、必要以上に声が大きくなる。
「ゾロ、寝たら死ぬぞ」
「ん……」
「つーか着いた」
小高い丘にバイクを止めて、まだ濡れている原っぱの上に腰を下ろす。ゾロは眠たげに瞼を擦ったのち、驚いたように眼前に広がる光景を見据えた。そんなゾロの横顔をしばらく見つめてから、サンジも目の前に悠然と広がる山々に視線を戻す。透明な湖畔には様々な色彩が映し出されており、空を見上げればそこには大きな虹が架かっていた。
「なんつーか、この景色見るとさ、悩みとか全部どうでもよくなっちまわねェ?」
おれってちっぽけだなァとか思っちまって、笑いながらサンジが言うと、驚いたように目を丸くしたゾロにまじまじと見つめられた。サンジはぎこちなく視線を逸らす。どうしてか羞恥に駆られ、上手く言えねェけど、と口早に続けた。赤くなる頬を隠すよう膝を立て頬杖をつき、今にも届きそうな虹を目で追った。
「…へェ。てめェにも悩む頭があるんだな」
「うるせっ!」
サンジが見るからに拗ねてそっぽを向けば、ゾロは腹を抱えて笑い出した。普段、無表情が多いゾロが時折見せる笑顔に、悔しいけれどいつも胸が苦しくなる。その顔は卑怯だろうと、なんだかムカついてきて横にいるゾロの足を軽く蹴った。するとすぐに拳が返ってきて、お互いムキになり、そのまま原っぱに縺れ込む。
二人で原っぱを転げ合い、ゾロのマウントポジションを取ると、サンジは勝ったとガッツポーズをする。未だ腕を振り上げてくるゾロに余裕の笑みを浮かべ、サンジは力の入っていないパンチを軽々と受け止め、その手を地面に縫いつけた。
「潔く負けを認めろよ、マリモくん!」
ゾロが大きく舌打ちをして、悔しそうに唇を尖らせた。目が合うと耐え切れず二人で笑い合う。何がおかしいのかも分からないまま、笑いすぎてサンジは途中で噎せるほどだった。 
こんなに大笑いをしたのは随分久しぶりのことだ。ゾロも同じように楽しいと感じてくれているのだろうかと、押さえつけている手首に力を乗せる。

「夕日」
ゾロはぴたりと笑うのをやめ、突然無表情に呟いた。眩しそうに目を細めるその姿が、なんだかとても扇情的に見えてサンジは思わず息を呑んだ。
今になってこの体勢はまずいだろと、鼓動が高鳴りはじめる。まだ十分に乾ききっていない服のせいで、掠めた風に身をすくめた。身体の芯は燃えるように熱かったが、その風は冷たい。
ドキドキと早まる心臓を抑えようにも、サンジはゾロから目を逸らせずにいた。ゾロの腹の上から退くこともできない。
ゾロの瞳の中には夕日が映り込み、わざわざ空を仰がずとも、その美しさはよく分かった。吸い込まれるようにサンジは顔を寄せ、ゾロの指を絡め取る。唇に触れた瞬間、驚きに開かれたゾロの瞳を見ないよう、目を閉じた。
なんの抵抗もしないゾロを怪訝に思いながら、おそるおそる唇を吸うと、その甘さにくらくらする。病みつきになって しまいそうなほど、柔らかいその唇に何度も噛みついて舌を滑り込ませたとき、突然暴れ出したゾロにサンジは殴り飛ばされた。原っぱに転がり、途端口内に広がる血を、唾液と共に地面に吐き出す。
「てめェ…!」
「おれとお前じゃ住む世界が違う」
怒鳴るサンジとは反対に、ゾロは抑揚もなく告げると唇を拭った。サンジは罵倒の言葉を呑み込み、顔をしかめる。
住む世界ってなんだよ、そう怒鳴りつけてしまいたかったが、張られた頬を押さえ、ただゾロを睨みつけた。一瞬だけ泣き出しそうな顔をしたゾロは、目を伏せるとすぐにいつもの無表情に戻ってしまった。その姿を見て何も言葉にできず、サンジは切れた口元を制服の袖で拭う。
その間に夕日は山の中に呑まれ、星が現れ始めたときサンジははっと顔を上げた。携帯を取り出して、慌てて時間を確認したが、微妙だなと舌打ちをする。
「おいゾロ! バス! 急げ!」
ゾロの腕を引いてヘルメットを被せると、サンジは急いでバイクに跨がった。これ以上気まずい空気が流れずに済むと安心すると同時に、このままバスの時間に間に合わなければいいとも思う。
ゾロは何も言わず大人しく来たときと同じように荷台に跨がった。まだ感触の残る唇を、サンジはきつく噛みしめる。
腰に回るゾロの腕の力が強くなった意味は分からないまま、震える手でアクセルを回した。



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