Tous les bleus5 芝生甲板にテーブルを出し、サンジの料理を囲み始めたのが夕暮れだった。今ではすっかり夜も更けていたが、宴はますます盛り上がりを見せるばかりで、ゾロは何本目になるか分からない酒瓶のコルクを抜く。そうして、同じようにコーラを開けたフランキーと目が合えば、すかさず瓶をぶつけ合った。 純白の生クリームで覆われたケーキのろうそくには火が灯され、ロビンがカンテラの火を腕を生やして消していく。それを合図に、ブルックがバイオリンを奏で始めれば、続く仲間たちの歌声へ耳を傾ける。 風に揺られ、闇の中危うく浮かび上がるろうそくの火を、気づけばあのときのランプと重ね合わせていた。脳裏に蘇る青臭い記憶を、熱のこもる頬と共に打ち消そうとして、ゾロが視線を逸らした瞬間、不意にサンジと目が合った。闇に包まれた世界の中でも負けることなく、その蒼ははっきりと浮かび上がる。逃げ出そうにも、捕われて動けないのだ。誕生日を祝う短い歌が終わると同時、やっとその眸から解放された。ろうそくの火が吹き消され、仲間たちが口々にサンジを祝う中、ゾロは俯くと一人息をつく。 「酒ばっか飲んでんじゃねェぞ、クソマリモ」 「うるせェ」 大振りに切り分けられたケーキが目の前に置かれ、サンジがゾロの隣へ腰を下ろした。いつの間にかフランキーは、ルフィたちに囲まれ、何やらブルックの音楽に合わせて奇妙な躍りに興じている。サンジとの距離が近づいただけで、いまだに身体が強張ることには気づかぬふりをして、ゾロは手触りのいい芝生へ手をつくと酒を呷った。サンジは煙草を一本摘み、身体中のポケットを探ったのち、再び灯されたカンテラの火を煙草へ移していた。先端に赤が灯り、漆黒の中ではっきりと浮かび上がる。途端強くなるサンジの匂いに、ゾロは無意識に鼻を啜った。 「で、お前からまだ聞いてねェんだけど」 何を、とは聞かなくても分かっていた。サンジはゾロと同じように芝生へ手をつき、上体を反らすと、空に向かって紫煙を燻らせる。わざとらしくサンジの指先がゾロの指に触れた瞬間、思わず手を引いてしまった。これでは、意識しているのがバレバレだ。ごまかすようにテーブル上のフォークを掴む。これみよがしに舌打ちをしてみせたサンジを睨みつけ、ケーキへフォークを突き立てた。酒には到底合いそうもない砂糖の固まりへ、ゾロは勢いに任せて齧りつく。 「うめェだろ」 疑問ではなく、確信を持ってそう告げるサンジへ頷き、想像していたよりも甘くはないそれを二口で食べ切った。まだ半分ほど残っている酒を一息に飲み干すと、ご丁寧に新しい酒瓶を横から差し出される。何もかも、ゾロの行動はお見透しだと言わんばかりのタイミングに顔をしかめつつも、素直に瓶を受け取ればサンジは満足げに笑みを浮かべた。 「ケーキも、てめェが食いやすいようにって」 「サンジィ! ケーキと肉おかわり!」 サンジの言葉は、途中ルフィの声によって遮られてしまった。サンジが何を言おうとしたのか気にはなったが、別段追求もせず、ゾロは酒瓶のコルクを開ける。二年経ってもよく食う船長だ、呆れたように呟くサンジへ向けて、ゾロは諦めろ、と肩をすくめた。サンジはわめき立てるルフィを宥め立ち上がると、すっかり短くなった煙草を空いたコーラ瓶の中へ落とす。じゅ、と火種が水分に触れた音がする。 瓶の中でしばらく燻り続けた煙草は、次第に光を弱め、細く立ちのぼっていた煙も闇の中へ霧散していく。ブルックの奏でる音楽に合わせて、むりやり歌わされているサンジの声に意識を向けながら、ゾロは大きく欠伸をこぼした。 微かに鼻孔をくすぐる煙草の香りに気づき、薄く瞼を開ければ、辺りはいつしか静寂に包まれていた。甲板を見渡すと、夢でも見ていたかのように、宴の痕跡は立ち消えている。まだ覚醒しきらぬ頭でぼんやりと波の音を聞き、緩慢な動作で起き上がると、いつの間にか、上体にかけられていた毛布をゾロは剥いだ。すっかり片づけられた甲板を、欠伸をしながら歩く。男部屋に入れば、やはり主のいないボンクが二つあった。迷わず男のボンクへ毛布を投げ入れると、その足でキッチンへ向かう。 カウンターの上にまで皿が積み上げられているのを見て、思わず手伝うか、とゾロは声をかけていた。この男が自ら、他の仲間からの申し出を断ったのであろうことは、簡単に想像がつく。サンジが首を縦に振ることはないと、初めから分かっていた。だが、聞かずにはいられないほどの量だったのだ。 「いや、いい。先に下行ってろ」 案の定、サンジはゾロの申し出を断ると、つまみはリフトで下ろしてやるよ、と言い放った。その間も積み上げられた皿はみるみるうちに数を減らしていく。その姿に一度目をくれてから、サンジの言葉へ素直に従うことにして、ゾロはアクアリウムバーへと一人降りた。 ワインセラーから適当に酒を抜き取り、帯刀していた刀を周囲に張り巡らされたソファに立てかける。生け簀の中で無数の深海魚が泳ぐ様をなんとはなしに眺めていると、すぐにリフトからつまみが下りてきた。 そうして、空になった酒瓶が二本転がった頃、バーの扉が開き、サンジが顔を出した。その手には何やら酒瓶と、グラスが二つ抱えられている。グラスをテーブルに置かれ、ゾロが視線をやれば、サンジの手中にある酒瓶の正体に気づき、思わずたじろいだ。見覚えのあるそのフォルムに、みるみるうちに顔を赤くする。 「な、てめっ……まだそれ!」 言葉にならない声を上げて、瓶の中、揺れる液体を直視できずにいた。そんなゾロの様子に、サンジは腹を抱えて笑っている。バカにしたような態度へ腹は立つが、ゾロの心は掻き乱され、羞恥に脳が沸騰し、全くもってそれどころではなかった。 蒼い液体の酒は、二年前の失態をありありとゾロに思い出させた。それ以上何も言葉にならず、わななく唇を何度か開閉させる。悪趣味だと、隣へ腰を下ろしたサンジを睨みつけるが、まったく効果は得られなかった。 「でも、これも今日で終わりだな」 サンジはマストのランプへ酒瓶を翳し、眩しげに目を細めてみせた。瓶の底をほんのり色づかせる蒼は、確かにあと二、三杯が限界なのだろう。あのときの店主や、隣で座っていた男の顔を脳裏に思い浮かべようとして、必要ないとゾロは首を振った。 ふと、ラベルについた赤黒い染みの存在に気がつき、あのときの桜の木を思い出す。もう顔も思い出せない相手の血液がきっかけで、鮮明にあの夜の記憶が蘇る。ゾロはそのまま視線を滑らせ、サンジがグラスへ海を注ぐのを無言で眺めていた。するとサンジは、マストの棚から新しい酒を取り出すと、慣れた手つきでナイフを使い、コルクを抜く。そうして、蒼い液体で満たされたグラスへ、シャンパンではなく、その酒を注ぎ足した。 不思議なことに、まったく別の色をした二種の酒は混ざり合うことなく、はっきりと二層に別れていた。サンジは、そんなゾロの思考を読み取ったかのように、コツがいるんだ、と鼻高々に言った。専門用語で言えば、ステアという技法らしい。 「……変な色だな」 素直に感想を告げて頬杖をつくと、アルコールで満たされたグラスを見遣る。小さな海の上、茶色い液体が覆いかぶさるように揺れている。それはお世辞にも、きれいな色だとは言い難かった。サンジはゾロの不躾な発言に気分を害するでもなく、お前にも一応審美眼はあるんだなァ、と喉を鳴らす。 「おれの目の色と一緒だって言ったこと、おめェ覚えてるか?」 サンジがぴたりと笑うのをやめたかと思えば、返事を促すようゾロの名を呼んだ。伸ばされた手が、耳の縁をなぞり、指先で弾かれたピアスが音を鳴らす。サンジの眸に捕らえられてしまえば、そこから目を逸らすことは不可能に近かった。ゾロは観念して息をつくと、覚えてる、と小さく呟く。 オールブルーを見て、男の眸の海と同じだと、そう思ったことに今も変わりはない。そのままサンジの掌がゾロの首筋を伝い、鎖骨を撫でたかと思えば、その手はすんなりと離れていった。サンジに触れられれば途端に熱を持つ肌さえ、忌々しいが未だ変わりない。 サンジはマドラーを手にすると、グラスの中へ慎重に侵入させた。それを、ゆっくりと一周させていく。サンジの手によって創造された海と大地が、破壊され混ざり合う様を、ゾロは息を呑んで見つめていた。青と茶が徐々に溶け合い、一瞬の間に、様々な色へ変化する。 マドラーをグラスから抜けば、水滴が何度か水面を打った。波紋が広がり、混ざり合ったそれは、不思議なことに深い森へと形を変えていた。 「こうすれば、お前の色だ」 サンジの言葉に顔をしかめると、差し出されたグラスを受け取った。そのとき、触れた指先をごまかすようゾロはカクテルを一息に飲み干す。見た目とは裏腹に、きついアルコールは、どこまでも慈愛に満ちている。目を伏せ、グラスを持つ手に力をこめた。てめェの誕生日に人を喜ばせてどうする。その言葉はカクテルと共に呑み込んで、ゾロはどうしようもない苛立ちをサンジにぶつける。鋭く睨みつけようが、当の本人は我関せず、唄うように煙草を吹かしていた。 オールブルーの要となったあの酒は、瓶の中、水滴だけを残し空になった。 「おれは何も用意してねェ」 「いらねェよ。それに、おれはもらいすぎた」 理解できず、ゾロは首を傾げる。今までサンジにやったものと言えば、たった二本の酒瓶だけだ。なんのことだ、そう問いかけようと口を開いたとき、もう開くことのない瞼の上を、サンジの指先がそっと撫ぜていった。まるで慈しむようにして、深い海をその目に湛えながら、一直線に伸びたゾロの傷痕を、指で、目で、辿っていく。その全てが耐え難く、ゾロはたまらず目を逸らした。 「おめェも吹っ切れたみてェだな」 相変わらず氷のように冷たい掌で頬を覆われて、ゾロは眉を上げた。サンジの眸へ視線を戻せば、それはまっすぐに射抜き返される。男の言わんとすることが、今度は理解できた。二年前とは違う。大剣豪を目指すために切り捨ててきたものに、後悔はないと言ったら嘘になる。それでも、もう、振り返ろうとはけして思わなかった。 口の動きだけで肯定してみせれば、サンジに顎を掬われ、唇が触れた。このままなし崩しに流されてしまえば、サンジの誕生日をきちんと祝うことなく、日付が変わってしまうだろう。せめて一言、告げるのが筋というものだ。強引に身体を引き剥がせば、サンジの深海は陰りを見せて、不機嫌をあらわに眉を寄せた。 「……おめでとう、コック」 こんなことなら、仲間たちと一緒にさらっと告げてしまえばよかったのだ。改めて告げることの羞恥から、ゾロは顔を背ける。周囲の水槽で優雅に泳ぐ白目をむいた深海魚を目で追い、ゾロはじわじわと頬に熱が差すのを感じていた。おもいきり顔をしかめることで、なんとかそれをごまかそうとする。だが、今更そんなものが通用する相手ではない。またもらっちまったなァ、そう言って笑うサンジへ視線を戻すと、強く腕を引かれ、抱きしめられた。初めて、こうされたときのことも、よく覚えている。 その拍子、ゾロの肘に当たり、あのときの酒瓶が足元へ落ちて砕け散った。それを惜しいとは微塵も思わず、反対にうろたえてみせたサンジのシャツの襟を両手で掴むと、力任せに引き寄せた。唇に噛みつけば、すぐにキスが返され、舌を絡め合い、呼吸を奪われていく。こういうとき、サンジの手は、けして隙を逃さない。それは、何もかも、自らの力で掴み取ってみせるものだった。すかさず腰に巻いたサッシュへ手をかけられ、ゾロは身じろいだ。そのとき、ブーツの底でオールブルーの破片を踏みつけたが、サンジももう、それを気にかけることはなかった。 |