オレとあいつの距離感


それは、いつもと変わらぬ光景だった。


「ただいま」



帰宅後、我が家の家の扉を開くと、玄関先で下着姿のまま倒れている女がいる。



オレはそれを、まるで屍を越えていく気持ちで踏んづけた。



「こらぁばーらっく、たらいまーのあとは、あとは……」


今日は花の金曜日。
彼氏のいないこの人は、同じく彼氏のいない友人たちと飲み歩く。


家に帰るなり、とりあえず着替えようと服を脱いだのはいいものの、その姿で寝るのがお馴染みとなっている。

なぜそれを繰り返すかって。
答えは簡単だ。



「バーダックさーん」



根っこがあるみたいにべたりとその場に座り込む。
両手をこちらに差し伸べ、酒で潰された可愛くない掠れた声で甘えてくる。

オレはため息を吐き、優しく拾い上げた。

ベッドに座らせ、バンザイしろだの腰を浮かせろだの指示をしながらパジャマを着させる。

そして最後に、強引に掛け布団を被せれば出来上がりだ。

初めは驚いていたものの、今では自らが着替えベッドに入っていると自身を褒め称えている。
オレの苦労を知るはずもないそのお気楽な性格、そろそろ殴りたくもなってきていた。





「姉貴、今日は夕飯いらねえから」

「そう……私は二日酔いでダウンしてるから、楽しんできなさい」



世話が焼けるその女は、実はオレの姉だったりした。
今は姉貴の家で暮らしていて、それをいいことに、ほとんど家事(主に炊事)はオレ任せだ。

安く仕入れた材料は買ってくるくせに、わけのわからねえやつ。
昔っから料理はしなかったもんな。あれじゃ嫁のもらい手も見つかりゃしねえ。


「タクシーに乗るところまでは覚えてるんだけどなぁ。でも自分のことは自分でできる。酔っ払いの私天才!」





フライパン片手に高笑いを続ける姉貴に対し、まだアルコールが抜けてねえなと舌打ちをして家を出るのだった。



* * * * *



“助けてバーダック”


今にも消えてしまいそうな声だった。


不安そうにオレを見つめるギネに、なんて言葉を言っていいのかがわからない。


毎度オレの都合でデートは延期。
数ヶ月振りに、やっとお互いの都合が合い、丸一日のデートを楽しんでいた。
少し遠出して、そのまま一泊もする予定だ。


そんな時に限って……。


「バーダック?」


チラリとギネを見て、少し悩んだ。

今から姉貴のところへ行ったら、間違いなくこの後のデートは中止となる。

それにまたオレの都合で中止するわけにもいかないし、電話越しでもわかる、楽しみにしていた声を裏切るわけにもいかない。

だがいつもと様子がおかしい姉貴。




「行ってあげな。別に今回が中止になったからって、一生デートができなくなるわけでもないしさ。悩んでくれるのは嬉しいけど、それと同じぐらい、大事な用なんだろ?」







抱きしめたり、キスでもすればよかったって、少し冷静になって今更思った。


オレはギネに甘えすぎている。
だからいつ捨てられてもおかしくねえのに、オレは絶対ギネを失いたくないんだ。




「姉貴!」

「バーダック! 助けてムリ死んじゃう!」


家に帰るなり、体を震わせた姉貴が抱きついてきた。
目には涙を溜めている。




「ヤツよ! アイツが出たの!」




この部屋の奥に姉貴を脅かせるヤツが居る。
オレは姉貴の前に立ち、ゆっくりと足を運んだ。

そして……


カサカサカサ―



「いやぁぁあああ!」

「…………」


オレたちの前を横切るナニか。
それは小さく、素早く、黒い物体だった。


「ムリムリムリムリ!!」


「おい姉貴」



オレは力を抜き、構えていた体勢を楽にする。

そして全ての怒りを、ヤツにぶつけるのだった。




「くたばりやがれー!」







* * * * *


「いやー、参った参った。あ、ギネちゃんって好き嫌いある?」

「いえ……特に、お構いなく……」

「いいから姉貴は早く実家に帰れ!」




あのG襲来事件から数日経ち、さすがに反省した姉貴はオレたちに家を開放すると提案した。
もともとは姉貴の家でもあったため、そう簡単にはギネを呼ぶこともとできず。だがついに今日、邪魔されず2人だけの時間を過ごせる日が来たわけだ。


「あ、そうだ! 冷蔵庫に入ってるプリンは食べていいけど、ちゃんと私の分は残しておいてねー。んじゃ行ってきまーす!」





なんてことを数時間前に言っていたなと思い出し、ため息をひとつ。


「バーダックは食べないの?」

「そこまで甘いのは好きじゃねえ」



何が残しておいてね、だ。
プリンはもともと4つあったはずなのに、残っていたのは2つ。オレはまだ食ってないから、普通に考えて姉貴が食べた計算になる。しかし残しておかなければ、色々と面倒になるのが想像できる。ならばたかが1個のプリン、我慢すればいいだけの話し。




「ふぅーん、優しいね。でもほら、あーん」



何に対してかは知らないが、嬉しそうに一口分のプリンを運ぶギネ。


「久々だけど、やっぱ甘えな」





いつもと変わらない部屋には、珍しく、招きたかった客が来ている。

空いた時間を埋めるかのように、会話は気持ちのいいぐらい弾んでいた。





だけど妙に、物静かに感じたんだ。
居たら居たで鬱陶しいが、やはり物足りない。


「お姉さん、無理に一泊する必要なかったかもね」

「どうだか。今頃3杯目の飯でもおかわりしてるだろうよ」




この歳の姉弟の距離感って、保ちづらいんだな。







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