月が真円を描く時、その男は現れる。
それは金色に輝く青年。
凍りつくような眼で見られたら最後。その瞬間から意識を失う。
ここ最近、そんな噂が学校中を走り回った。
「あれ、カカロットくん、こんな所に傷なんてあったっけ?」
珍しく社長出勤(と言う名の遅刻)をしてきたカカロットくんに、私は腕にできたかすり傷を指差した。
この性格のため、本人が気づいてない場合もあり得るし、まいっかで片づけちゃうのがお決まり。のはずだったのに、カカロットくんは「あぁ」の一言。
多少ショックだけど、何より私の目を見ない事にムッときて、つい声を張ってしまった。
「おはようございますカカロットくん」
「………」
「心配してるんですけど」
「この程度の傷、大したことねえさ」
「でもっ」
「鬱陶しいんだよ。空気読めバカ」
「なっ…」
ばつが悪そうに「頭冷やしてくる」と言い残したカカロットくんは、来たばかりの教室を後にする。
どうやらいらない心配だったらしく、追いかけて謝罪の一言を告げたかったが、困った事に私の足は動かないどころか震えていたのだ。
カカロットくんに向けられたあれは、久々に見た冷たい眼だった。
「それで、急遽ベジータに会いに来たのね」
「カカロットくんと王子は仲が良いみたいですし」
「良いわけないだろう!」
お昼休み、無理を言ってブルマさんと王子に相談する事にした私は、数時間前の出来事を2人に話した。
真剣に聞いてくれるブルマさんと、すでにあきているベジータさんは、そっぽを向いて牛乳を飲んでいる。
「確かにカカロットくんは基本ドSのオレ様です。でも、バカと言われたのは初めてで…」
「なんかピリピリしてるみたいだけど、心当たりはあるかしら?」
「…………あの日ですかね?」
「げっ、下品な女だ!」
「冗談ですよ。顔を赤くしないでください」
一応話しを聞いてくれていた王子は、牛乳をズズズと飲み干すとあの噂を語り出した。
満月の夜に現れる青年の話だ。
「先月の満月の日、カカロットの様子はどうだった」
「夏休み中でしたし、会ってません」
「使えん野郎だ」
「まぁまぁ。多分一時的なものだし大丈夫よ。それに、見てて呆れるSMカップルが別れ
るはずないわ」
ウインクするブルマさんは可愛いなぁとか思う反面、周囲にそう見られていた事に肩を落とした。
断じて私はMじゃない!
「とりあえず様子見ですね。お楽しみを邪魔してすみませんでした王子。後は存分にいちゃいちゃしてください」
「だれがするか!」
貴重な意見を聞き、それなりに前向きになれた。時間が経てば元通り。でもその時間って、いつまでだろ。
「日が落ちるの早くなったなぁ」
少しのつもりがこんな時間。
学校を出た時は既に満月が明るく、恐るべし女子トークだ。
「っとと!」
近道のつもりで歩いた裏通り。しかし来なきゃよかったと後悔するのは、つまづいた正体を知った時。
「気絶してる…」
倒れているのは、二十歳前後の男性。見た目的にはチンピラで、どうやらこの先の、立ち入り禁止のビルでやり合っているのだろう。
「………よし帰るか」
拳の音ならまだしも、鉄パイプとかエンジン音とか、世の中知らなくていいものがそこから聞こえてくるのだ。はいさようなら、と回れ右をして、
「悪いな嬢ちゃん」
「ちょっ!!」
背後に居たチンピラに捕まりましたとさ。
でもまさかこれが、満月の日に現れる、金色の青年の噂だったなんて。要するに私は、知らぬ間に首を突っ込んだみたいです。
「これ以上オレ達に近づいてみろ!この女の命はねえぞ!」
「人質の価値はないと思いますよ。知り合い、またはよっぽどのお人好しじゃない…と…」
どちらではない限り、私の身は危険。多少期待を抱くが、目の前の青年は相変わらず冷たい眼をしていた。
満月の光に照らされて、いつもより輝かしく見える金髪。
かぐや姫ではなく、どうやら悪魔が舞い降りたらしい。
「…カカ…ロットくん……」
立っている人よりも、気絶している人数の方が多く、きっとカカロットくん1人で相手をしたのだろう。
真新しい傷がいっぱいだ。
「…なせ……」
「あ?」
「ナマエを放せと言ってんだ!」
「嫌だと言ったら?」
「力ずくで奪い返す」
そこから姿を消したと思ったら、私は解放されていてチンピラは倒れていた。まさに一瞬の出来事だ。
「カカロットくん、何が何なのかわからないし、それより怪我が!」
「行け…オレから離れろ…」
「嫌だよ。ほっとけないもん」
「オレの理性があるうちに消えろと言ってんだ!!」
「うるさい!1人でピリピリしちゃってさ、困るのよ!悩みがあるなら私に」
「…バカ…ヤロウ……」
まるでカカロットくんのために月の光が降り注ぐと、当の本人は頭を抱えて苦しみ、膝から崩れ落ちた。
「…なに…これ…」
声にならない悲鳴をあげると、カカロットくんの周りにはスパークのようなものがバチバチと音を立てる。
そして普段よりも逆立った前髪。
カカロットくんだけど、カカロットくんじゃない。
私はこの人を、月が真円を描く時に現れる、金髪の青年だと確信した。
「お前……だけでもっ」
コンクリートの破片が私を目掛けて飛んでくる。
咄嗟に除けはしたが、頬を伝う赤い筋。
これを見たカカロットくんは、完全に理性を手放した。
「許さねえ…オメエだけは許さねえ!!」
相手は同じ人間だ。
それでもカカロットくんは、まるでサンドバッグのように叩きつける。
するとあの人の顔は見る見るうちに膨れ上がり、これ以上は命の危険でもあった。
震える手を握り、一歩一歩カカロットくんに近づく。
カカロットくんに対する恐怖ではなく、カカロットくんがカカロットくんじゃなくなってしまうのが怖かった。
「カカロットくん、もうやめて」
「ナマエを傷つけるやつはオレが許さねえ!」
「お願い、もうやめて」
何故彼が変わってしまったのかはわからない。
けど、決定的な覚醒の原因が私にあるのなら、私がカカロットくんを連れ戻す義務がある。真実のキスの力が本当にあるのなら……
「カカロット、目を覚めして…」
私がそれを、証明してみせる。
* * * * *
「兄ちゃん、そろそろ足を崩していいか?」
「オレは土下座までしたんだぞ。とりあえず、オヤジが帰ってくるまで正座だ!」
ボロボロのカカロットくんは正座。それを説教するラディッツさんのおでこは、微かに赤かった。
数十分前までは恐ろしい現場に居たのに、これはこれで恐ろしい。
「帰った…」
お待ちかねのおじ様が帰宅するなり、珍しいスーツ姿で倒れ込んできた。
何やらぶつぶつ言っていて、やっと聞こえた言葉が
「神は存在した」
との事。
全く状況がわからない。
「今回の騒動、派手にやらかしやがって」
「いやー、だって十五夜だろ、つい力が…あはは!」
「あははじゃねえ!!」
つまり何なのかとラディッツさんに申し上げたところ、狼男みたいなやつだ、と教えてくれました。わぁ、びっくり。
「じゃあ、今日のカカロットくんの態度って…」
「ナマエを傷つけねえため…のはずだったんだけどな。悪ぃ、嫌な思いさせちまって」
「それはお互い様です」
「とりあえずカカロット、お前は当分いい子ちゃんデーだ。わかったな」
「へいへい」
まさに羊の皮を被った狼。
なんて恐ろしい!
でもそんな彼を射止めた私はすごい猟師さんだね。誇れるわ。
「今さら退学は困るし、まぁいざとなったら我が家のラディッツさんに罪をなすりつけろ」
「何言ってんだよオヤジ!そもそもオレは金髪じゃねえし長さも違うだろ」
「切って染めろ」
「いくら何でも無理だぜ父ちゃん」
「そうだカカロット、ガツンと言ってやれ!」
「オレはまだ禿げてない!!」
「それが恩人に対する態度か!」
未だ正座中のカカロットくんを揺さぶるラディッツさんは若干涙目で、苦労人は大変だなとしみじみ思う。
それより、事件に関わってしまった私にも罰があるのだろうか。そう悩む姿を察したカカロットくんは、私にこんな提案をした。
「校長にさ、ホッカホカのエッチな写真撮って、その生写真あげたらどうだ?」
「彼女の体を何だと思ってるんですか?」
「けど、いい期待はできねえかも。むしろ逆効果の場合も考えられるな」
「どうせ私には魅力がないですよーだ」
一生正座してろーと言ってみたら、ものすごい速さでクッションが飛んできた。
もちろん顔面で受けましたよ。ただ、コンクリートの傷よりも数倍威力があったと思います。
何が私を傷つけないよ。
心も身体もズタボロなんだから。
「ねぇラディッツさん、どうして今回の騒動がすぐにわかったんですか?カカロットくんが傷を負ったのは今日だから、本来なら今わかるはずなのに……」
「近くに工事現場があったろ。そこにターレスが居たってわけ」
古いモデルのガラケーを突き出すと、ターレスさんから届いたメールが開かれていた。
そこには「犯人はコイツです」と書かれた一文と…
「ななななんですかこれ!!」
写真…カカロットくんの頬に手を添えて、私の方に顔を寄せている…
「何考えてるんですかあの人は!えっ、ずっと近くに居たんですか?見学してたんですか?どうしてそのチョイスなんですか!!」
「兄ちゃん、それ送ってくれ」
「絶対ダメです!その弱みを握って、私を言いなりにさせる魂胆は見え見えです!」
「んなもん使わなくても、ナマエは言いなりにできるさ。なっ」
「同意を求めるな!」
とっておきの最終手段で、だけど心の中ではあり得ないと考えて。
まさか本当にキスで正気に戻るなんて思ってもいなかったし、それが証拠に残るのは想定外で…。
けれどその写真は、心優しいラディッツさんが削除してくれました。
そして次の日、昨夜「カカロットくんのお父さんは素敵な方ね〜」と上機嫌な母の話しをしたら、わざわざおじ様は私の両親に頭を下げていたと聞いた。
大事な娘さんの顔に傷をつけてしまって申し訳ない。と。
「だからスーツ姿だったのか。私のためなんかに、それこそ申し訳ないや」
「気にすんな。オレが責任とってやっから」
不意に触れた、柔らかい感触。絆創膏越しだけど、チクりと傷に痛みを感じる。
そしてズサズサと刺さる、クラスメートの視線。
爆発するのは数秒後。
数十秒後は、カカロットくんに負ける私。
一生勝てる気がしません。
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