心のドアは手動です
「じゃあ鍵閉め頼むわ」
「行ってらっしゃい」
今朝も、ごく普通な会話で始まる1日。
ですが実はこれ、普通になりかけてる途中でございます。
私の名前はミョウジナマエ。
この家の主は坂田銀八という男。
親戚かって?いやいや、同じ血なんて一滴も通ってません。
まぁ先祖を辿れば皆同じかもしれませんけどね。
この春から私の父が1年間だけ転勤してしまい、母もそちらへ行ってしまいました。
当然私も行くべきなのですが、たかが1年間。しかも2年生で抜けて再び帰ってくるのも正直友情関係が面倒くさい。と言うむちゃくちゃな理由の為、母の知り合いの坂田さん家にお世話になったのです。
白髪頭の天然パーマ。
死んだ魚のような目。
全く読めない男。
それが第一印象でした。
今も変わらない印象ですけど、本当に不思議な人です。
仕事はしっかりしているみたいで、私が学校へ行く前に家を出るし、帰ってくるのも遅い。
聞けばいい話だけど、居候の人間がどうこう言えません。
そもそも得体の知れない男と同じ屋根の下。
私の心の扉は頑丈にロックしてるので、あの男が入ってくるなどできません。
けれど逆もまたしかり。彼も同じく心を開く事はありませんでした。
一見爽やかそうな笑顔は見事の偽り。
本当は、厄介者を早くどうにかしたい。そう思ってるはずです。
「教師との恋?今時の若い子はこんなのに燃えるの?」
「あくまでも漫画だからいいのよ。実際にそんな事があったら、とも思うけど、きゅんきゅんさせてくれる先生なんていないしなぁ」
全4巻の少女漫画を、軽く捲ってみればなんかキラキラしてた。
恋をすれば世界が輝く。的なあれですか?へぇ、恋愛って恐ろしい。
「返すのはいつでも平気だから」
「月曜日には返せると思う」
と言う会話をして、学校が終わって、漫画を読みつつ布団でごろごろしてたら、そこで記憶が途絶えたんだっけ。
ぉい……
起きろ…ナマエ…
「…んっ…」
「おー、お目覚めですかコノヤロー」
「あれ……銀さん……?」
目を擦り、ぼやけた視界に焦点が合うと、私が借りた漫画を読む男がそこに居た。
時刻は21時前。
居てもおかしくない時間帯だ。
「なに、お前ってこんなのに憧れてんの?」
漫画から視線をずらすことなく、そう問い掛けてきた。憧れ……と言うのは多分、その内容通りの事だろう。
「いえ、友達が強引に押してきたので。そもそも私、教師という存在は苦手分野ですから」
「あっそ。ならよかったわ」
「ご心配されなくても、自ら禁断の地に踏み入れたりはしませんよ」
「いやいやこっちの話し。それより晩飯は?」
「……いりません。このまま続行で寝ます」
「そ。じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
ドアが閉まる音を耳にして、再び布団の中に入り目を閉じる。
あの人が私の部屋に入るなんて珍しい。そう思い、夢の世界へと旅立った。
* * * * *
昔世話になった人からの頼み事だから、断る事ができなかった。否、別に断る事だってできたんだ。
でも俺の気紛れが「別にいいッスよ」と返事を出した。
そして我が家に来たのがナマエという女。
高2らしいがまだまだガキ。
だが、意外にも頭はガキじゃなかった。
「勝手な都合でごめんなさい。お世話になります」
俺は偶然ミョウジ家の事情に巻き込まれた被害者。
となれば、ナマエが俺の上の立場になれるはずがない。
この女はそれをよく理解していた。
しかし、ナマエがとった行動は固く心を閉ざす事。
出来る限り、自分が来る前とほぼ同じ生活ができるようにと、ナマエなりに努力している。
勿論俺にも特があり、多少変わった生活をたかが1年我慢するだけでたんまりと報酬が頂けるんだ。普段の俺なら万々歳な話。
けれどもここで、俺の気紛れが発動したんだ。
「その坂田さんっての辞めね?一応一緒に暮らしてく仲なんだしよ」
「心の距離を縮めるんですか?」
「なに、嫌なの?」
「いいえ別に。ならばあだ名とかの方が縮まりますよね。銀八の八を取って八郎は?」
「却下」
「即答ですか。ならば八助。可愛くはっちゃんは?」
「何故八に拘んの?」
「ハム太郎にします?」
「俺の名前に掠りもしてねー!」
「へけっ。と、笑ってみてくださいよ」
多分その時、初めてナマエが俺に笑ったんだと思う。
Z組の奴らみてーに、楽しそうに笑ったんだ。
それと同時に、こいつからその笑顔を奪ってんのは俺なのかって思っちまって。
だから俺の気紛れは発動した。
「銀さんでいい。なんなら呼び捨てでもいーや」
「えー」
「なにそのご不満な顔は」
「慣れるように頑張ります。白パ」
「えっ、何それ?白髪と天然パーマをくっつけたの?つうか銀さんでいいっつっただろうが!嫌なら他人行儀でも許すから!」
「あはは!冗談ですよ。じゃあ改めて、よろしくお願いします銀さん」
「やればできんじゃねーか」
そんな会話が、ナマエがここに来て1ヶ月後の話。
んでさっきのに戻ると、家に帰ってくれば何かと遣りっ放し状態で、ナマエに灸を据えようとドア越しで呼び掛けるが返事はない。
問答無用で入ってみたが、死体のようにナマエは寝ていて、ダイイングメッセージになりそうな漫画を奪いパラ読みする。
内容は教師との禁断の恋だそうで、正直びびった。
別にそういう意味じゃなく、こいつは俺が教師だという事を知っているのかという意味であり…。
俺から話す事でもねーし、ナマエが聞いてきたら話す。そう考えていたからだ。
「先生、好きです」
中盤で生徒からの告白。
ナマエを見て、
「俺へのメッセージ、とか?」
なんて口から出すから、我ながらアホらしいと思う。
第一、教え子にそんな感情が湧くはずないって、てめーが一番知ってんのにな。
「そもそも私、教師という存在は苦手分野ですから」
不思議とショックはなかった。
教師と生徒の恋がダメならば、つうか、ナマエは俺の教え子でもなんでもねーか。
ガキ相手に、柄でもないのはわかってる。
ただ、まだ半年以上この家で一緒に過ごす仲なんだ。
まずはお互い心を開いて、素で語り合おうじゃねーの。
俺の鍵は開けたから、いつでも開けるぜ。
だからナマエの鍵は、俺が破壊してやるよ。
仲良くやろうぜ、ナマエちゃん。
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