急接近
息苦しくて、体が痛くて。
目が覚めたら見知らぬ天井に手を伸ばし、何かを掴もうとしている自分がいた。
上半身を起こすと、電撃が走ったかのような痛みが頭にくる。
酒は強い方だが、今回の客はハズレだったな。
次々と運ばれる度の強い酒を飲まされては、バタバタと倒れていく仲間たち。
確かにホストクラブは遊び場でもあるが、ホストを酔いつぶしてのストレス発散は困ったもの。
いくら金を貢いでくれる客でも、ノーサンキューの迷惑な客もいるってことだ。
まぁ、客は金をホイホイ出すバカなやつとしか見てないオレが言えることではないがな。
「入って大丈夫?」
二度されたノックの後に、とある人物の声を久々に耳にした。
そして開いたドアから顔を見せたのはナマエだ。
予想外の展開で、また頭痛が激しくなる。
「あー、ばか。自ら触るんじゃない」
後頭部に当てる手を強引に引き剥がすと、次の瞬間痛みの原因である部分はひんやりと冷たくなり、ナマエはニコリと笑った。
なぜナマエがオレに笑いかけるのか。そもそもここはどこなのか。
表情には出してないつもりだったが、タイミング良く、ナマエは状況を説明した。
「バイト帰りに酔いつぶれてるところを偶然見つけたの。見ればタンコブとか怪我もしてるし、ほっとく訳にもいかないから運んでもらったんだ」
「ここは…ナマエの家、か?」
「でも最初はわからなかったよ。派手なスーツ着てるし、お酒の臭いもするし。ちょっとギャップに戸惑ったりしちゃった」
あぁなるほど。
ナマエが笑う理由は、その瞳に映るのがオラだからだ。
カカロットの時にやられ、悟空の時にナマエと遭遇。
それで良かったのか悪かったのか。
しかしそれが今の状況であるのなら、もうひとつの顔で、この場に合ったやり取りを行うだけ。
「ははっ、これはちょっとな」
「それでどうする?今日何もないなら、昼まで寝ててもいいけど」
「……あぁ、いいんか?」
「ナマエちゃん特性おにぎり付きだよ。味には自信がある」
ブイサインを見せて笑うナマエに、つられてオラも笑ってみせた。
カカロットが拒絶されているのか。
はたまた悟空に心を開いているのか。
ふたつの顔を持つオラがいれば、ナマエもふたつの顔を持っているということだ。
「へいお待ち!」
ひとり暮らしにしちゃ広い方だが、金持ちからすれば狭すぎるマンション。
そしてこの岩みたいな形の真っ白いおむすび。
ホストクラブに通う金はあるのに、私生活は平民そのもの。
まるで庶民をバカにしているようにも思え、バレないように部屋を見渡す。絶好のタイミングでもあるし、これは少し、調べる必要がありそうだ。
「ごめんね、塩しかないんだ。だから味には心配いらいってことだけど」
「そんなことねえって、うめぇぞ! ナマエも食うか?」
ちゃぶ台越しにおむすびを突き出せば、一瞬戸惑う表情を見せてたが嬉しそうにかぶりつくと涙を流すナマエ。
予想しなかった急なことに驚き、すぐさま近寄り涙を拭う。
女の扱いには慣れているはずだが、なぜか焦っている自分に驚きだ。
「毎週、一緒にお昼食べてるのにね。でも、やっぱり嬉しくて」
どうやら嬉し涙らしい。
勝手なイメージではあるが、金持ちの食事はテーブルが長くて、家族全員がなかなか揃わなかったり。
それがほんとだとしたら、この嬉し涙に結びつく。
そしてナマエが、訳ありの金持ちだということにも確信が持てる。
ほんと、訳が分からないやつだ。
「そういや、オラを運んだって……」
「んーっとね、何て言えばいいかな」
「彼氏?」
「まぁそういうところ」
小さな冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注ぎながらポリポリと頬を掻くナマエ。
彼氏持ちなのは予想外だった。
否、どちらかと言えば婚約者とかだろう。
しかし参ったな。口説く女に男がいると、少しめんどくせえ。
ナマエ自らカカロットに接触することはないだろう。
とすれば、カカロットからナマエに接近しなくてはならない、か。
「あれっ、そういやバイトやってたんか?」
「始めたばっかだよ。ここから近い商店街のコンビニなんだ」
これまた想定外。
まさか本当にアルバイトをするなんて考えもしなかったし、しかもホストクラブに近い。あぁ、だからオラと遭遇したのか。
だがこれは有力な情報だ。
上手くいけば簡単にこの女を落とせるだろう。
冷えた麦茶を喉に通す前、コップで隠れた口角が自然と上がった。
ナマエが手に入るのも、時間の問題だ。
「さてと、やっぱりオラ帰るわ。泊まるって言っても、ナマエは女の子だしな」
「まさか悟空くんに女の子扱いされるとは思ってなかったや」
「だって女の子だろ? それに、色々と父ちゃんがうるさいからな」
「その歳でも心配してくれるなんて、素敵なお父様だね」
複雑そうな笑顔が、やはり親子関係に何らかの事情があると感づけられた。
とは言っても、我が家のこともあると考えると、人様の家については何も言えないがな。
綺麗に折り畳められたスーツに腕を通し、借りた青いジャージを……
「洗って返すな」
「気にしなくてもいいのに」
次に会うための口実を作り、ナマエの家を後にした。
当然、家の場所はインプット済み。
ケガをしていたとは言え、易々と男を家に上がらせるのはよくないな。
だが、今回の件について、なぜ深く追求してこなかったのか。
いくら話しを濁したとは言え、それで食い下がるものなのか。
どちらにせよ“悟空=カカロット”だとバレるのは面倒だから、それはそれでいいのだけれども。
しかし心が満たされず、空洞状態だった。何かが物足りない。
だが何を求めているかは、オレ自身にもわからなかった。
(近々、バイト先にちょっかいでも出しに行ってやろう)