「来たぞ!!」
一応新入社員だからか、今のところ定時で上がらせてもらっている。
相変わらず女子社員からの地味なイジメは続くし、マスコミはしつこいし、社長は笑っているし。
「お疲れさま。ま、そのうち諦めるわよ」
無事に撒けたのは1時間ぐらいで、社長の実家で迷子になったのも1時間ぐらい。
社長の歳の離れた妹さん、長女のブラちゃんと運良くすれ違って、リビングへ案内してもらった。
そのおかげで、無事にお母様であり会長でもあるブルマさんから紅茶をいただけたのだ。
「トランクスから聞いたけど、式は挙げないんですってね」
「そっ、そうなんですよ」
「ねぇねぇ、ナマエさんはお兄ちゃんのどこが好きなの?」
「えっ……と」
興味津々なブラちゃんの瞳はキラキラと輝いている。
外見は素敵なレディだが、年齢はまだまだ子供。
でも色恋には興味も持ち出す歳でもある。
社長と私以外は、全員結婚していると信じ込んでいるのだ。
今でも全く接点がないのに、当然、好きな部分なんてない。
「よく、わからない、です」
「ふーん。その方がリアルに好きって感じでいいかも。気づいたときには好きになっていた、ってやつ?」
「その恋愛、ブラには少し早いかもね」
「でもママとパパもそうだったんでしょ? お兄ちゃんから聞いたよ」
ガールズトーク? が長く続くと、珍しく、比較的早い時間に社長が帰ってきた。
すれ違った際に、軽く頭を下げる程度の挨拶。
疲れているのか、社長も適当な挨拶だった。
と思ったら、着替え中にノックもなしに私の部屋(仮)に入ってきて、慌ててパジャマでブラジャーを隠す。
けれどお構いなしに近寄ってくるからさすがに怖くなって、叫びそうになった瞬間、あるものを突き出された。
「何だこれは」
眉間にシワを寄せる社長に向かって、見ての通りです、と退職届けの存在を主張する。
手渡しが望ましかったが、社長と新入のOL。気軽に会える立場ではないのは重々承知しているので、社長の部屋の机に、指輪と一緒に置かせてもらった。
会社を辞めて、離婚したとマスコミに伝え、実家に帰る。
社長がした自分勝手な行動に対する、私の抵抗だ。
「断る」
「ああ!」
丁寧に、時間をかけて書いた退職届け。
頑張って就職したのに、悔しい思いで書いた退職届け。
それがむなしく、チリとなり、跡形もなくなった。
何が起きたのか頭で整理すると、投げ捨てられた退職届けは宙を舞い、社長の手から出てきたビームで燃やされた……でいいのだろうか。
「嫌だから離れる。結婚はそんな甘いもんじゃない」
「でも私たち結婚してない!」
「オレから離れることは認めない」
強引に掴まれた左手。そしてその薬指に、再びあのリングが戻ってきたのだ。
プラチナで、ダイヤが付いている高価なもの。
ちっとも嬉しくない。
「最優先はお互いの自由ではなかったのですか?!」
「これはお前のためでもある。結婚して数日で離婚。世間は間違いなく、お前を敵視するだろう。再婚どころか、生活すらまともにできないだろうな」
我慢できなくて、目に涙を溜めたまま、社長の頬を叩いた。
この人との出会いが私の人生を狂わせた気がして、悔しい。
何をしてもこの人の操り人形で、だから私は、自分でも驚く行動を取った。
社長のネクタイを引っ張って、自分の顔近くまで引き寄せる。
そして数秒間、唇を重ねたのだ。
「明日も早いんですよね。おやすみなさい」
社長の背中を押し、強制的に追い出し鍵を閉める。
そのままドアに背を預け、ずるずると腰を下ろした。
「何してんだろ……」
そっと唇に触れてみるが、何だか虚しいだけだ。
嫌われるであろう行動は自分も苦しめるだけで、色んな感情が混ざり合い、言葉にできない。
けれどこれで、少しはダメージを与えることができたはずだ。
社長にとっての私は、妻であって妻じゃない。
つまり、本当に愛されている人を演じられるのが、一番厄介なのだと思う。
社長だってまだ若いんだ。
もしかするとファーストキスだったかもしれない。
「私を巻き込んだ罰だ。ざまあみやがれ」
それから私は、ちゃんと着替えた後ベッドに潜り込んだ。
あんなのはキスとしてカウントされない。
だから気にすることはないんだ。
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