01
「みょうじ主任、お酌します!」
「気を遣わなくていいよ。今日は新卒が主役なんだから。ほら、次何飲むの?」
今日は新入社員の歓迎会。私が働く一十一銀行は、地元宮城では大手の地方銀行である。2年前くらいから支店拡大を進めていて、新卒獲得に力を入れている。人事部で採用を担当している私は社長からの期待と一緒に、去年"主任"という役職を戴いた。
今年の新卒は合計24人入社してくれた。採用の仕事がひと段落した後は新入社員の研修やフォローをしていく。すぐに辞められたら人事部の評価に関わるから、こちらも大事な仕事だ。
「部長、そろそろお会計済ませてきます」
「おー、もうそんな時間か」
飲み会ではあまりお酒を飲まないようにしている。お酒に弱いわけじゃなくて、幹事である私が酔っ払うわけにはいかないし、会社の人に酔っ払った姿を見せるのは抵抗があるから。
「みょうじ主任隙ねェー!」
「全然酔ってねェよなー」
「酒の席でもっと仲良くなりたいのに!」
会計を済ませて戻ると、トイレ付近で話す新卒の声が聞こえてきた。自分が男の人にどう見られるのかは、今までの人生経験でわかっているつもりだ。男の人がお酒を執拗に勧める理由には大体下心がある。酔わせて、正常な判断ができないようにして何かあればと期待している。
両親それぞれから世間一般的に美人の部類に入る顔を受け継いだ私は、学生の頃から男性のアプローチを受けることが多かった。最初こそそれを嬉しく思って、アプローチに対して応えたこともあったけれどいいことばかりではなかった。過去の経験の結果、男の人の前では隙を見せないようにした方が良いという結論に至ったのだ。
「みょうじ主任二次会行かないんですか?」
「うん。楽しんできてね」
「えー行きましょうよ!明日も休みだし!」
「歳をとると夜更かしできなくなるの」
「まだまだ若いじゃないですか!」
「最後まで引率してくださいよ〜」
店を出て二次会に行くまでのグダグダした時間で後輩に絡まれた。アルコールが入ったのと歳が近いからか距離感が近い。気軽に接してほしいとは言ったけど、それは仕事での相談をしやすいようにという社交辞令のようなものだ。履き違えないでほしい。まだまだ学生気分が抜けない彼らには徐々に教えていかなければ。
「じゃあ部長、あとはよろしくお願いします」
「おう!二次会の後は綺麗なお姉ちゃんの店連れてってやるから潰れるなよー」
私が遅くまで付き合いたがらないことを部長は知っている。二次会の居酒屋の予約までしたら私の仕事は終わりだ。新卒や後輩が部長に引き連れられるのを見送ってから踵を返した。
***
夜の9時。華やかな繁華街を抜けて家に向かって歩く私は違和感を感じていた。あとをつけられてるような気がする。駅前を通り過ぎたあたりからずっと同じ足音が後ろをついてきている。
思い過ごしかもしれないけど、このまま家に帰るのは危険な気がして一度コンビニに入ることにした。雑誌を立ち読みするフリをして周囲を観察する。多分外の喫煙スペースにいる、パーカーを着た男の人だ。タバコを吸っている様子はなく、ずっとスマホを弄っている。
「……」
とはいえ確信も証拠もない状態で店員さんに助けを求めるのは気が引ける。でも本当に危ない人で、このまま家までついて来られたら取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
「!」
「……どうも」
コンビニ内に視線を向けたら見知った顔を見つけた。同じ本支店で働く3つ下の後輩、国見くんだ。彼もさっきまで歓迎会に参加していた。ここにいるってことは私と同じように二次会の誘いをスルーしてきたんだろう。
「二次会行かなかったんだ」
「逃げてきました」
「国見くんって入社した時から抜け出すの上手かったよね」
「あんまり好きじゃないので、ああいうノリ」
国見くんは普段からローテンションな性格で、確かに酔っ払いのノリとはかけ離れている。あと新入社員研修でよく寝てたのを憶えている。仕事ぶりは基本真面目で言われたことはきちんとやる。ただし、言われたこと以上はやらない。要領よく手を抜ける賢いタイプだ。
「立ち読みすか?」
「あ……うん、まあ」
この状況で知り合いに偶然会えたことは奇跡に近い。それに……国見くんは私をそういう目で見てない。他の同期達と一緒になって私に声をかけることは今までなかった。
「国見くん何か買うの?」
「明日の朝飯にパンでも買おうかと」
「家近い?」
「はい」
「パン奢るからさ、送ってくれないかな」
「……」
私からのお願いに国見くんが驚いたのがわかった。飲み会帰りに後輩からの申し出を断ってる私が自分から送迎をお願いするなんて、変に思うのが普通だ。
「何かあったんですか?」
「私の勘違いかもしれないんだけど、あとをつけられてる気がして……」
「……今います?」
「多分、外の喫煙スペースにいるパーカーの人」
「……わかりました」
「ありがとう。勘違いだったらごめんね」
状況を理解した国見くんは引き受けてくれた。めんどくさいと思われてそうだけど、他の人みたいに下心があるよりはめんどくさいって思ってくれた方が気が楽だ。
「ついてきますね」
「やっぱりそうだよね……」
コンビニをふたりで出てからもパーカーの人は一定の距離を保って私達の後ろをついてきた。これはもう確定かもしれない。
「……家知られるのはまずいですよね」
「うん……」
「適当に歩きましょう」
「! ちょっと……」
このまま素直に帰宅したら家の場所が相手にバレてしまう。家とは違う方に歩くのは賛成だけど、急に手を握られて戸惑ってしまった。
「恋人のフリをすれば諦めるかなと」
「な、なるほど……」
「もう少し近づいてくれませんか」
「あ、うん、はい」
国見くんも顔に出ないだけで他の人達と同じような下心があったんだろうかと、一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしい。ストーカーを撒くための行為だとはわかっていても、職場の後輩と手を繋ぐのは照れくささが拭えなかった。急に国見くんの顔を見られなくなってしまった。
「まだついてきますね……」
「……」
「一回俺の家入りますか?」
「え……」
確かにいつまでも追いかけっこをしてるわけにはいかないけど、さすがにそれは良くないのでは。
「あ、連れ込んで変なことしようとか下心はないです。全く」
「……」
「信じられません?」
「……ううん、信じる」
国見くんの眠たそうな目は下心を一切感じさせない。人事部として彼の採用に関わったから、彼がどういう人間かは大体わかってるつもりだ。国見くんは一時のテンションに身を任せて後々めんどくさくなるようなことはしないと思う。ここまで世話を焼いてくれるのは意外だったけど。
「みょうじさんって恋人の一人や二人いないんですか?」
「いないし、二人いたら問題でしょ。国見くんは彼女いないの?」
「いないのでお構いなく」
「そっか」
国見くんだってなかなか整った容姿をしている。「イケメン」と言うよりかは「美形」という言葉が似合う。身長も高いし、入社当初は女子社員からチヤホヤされていた。本人がこんな感じだから今は表立って騒がれていないものの、その人気は根強く残っている。
「どうぞ。狭いですけど」
「お邪魔します」
国見くんの家は私の家から徒歩10分もかからない場所にあった。促されて座椅子に座る。物が少ないからか、男の一人暮らしにしては綺麗にしてる方だと思う。
「……待ち伏せしてますね。みょうじさん狙いで間違いないでしょう」
「……」
国見くんがカーテンの隙間から外を確認してくれた。屋内に入ったのにまだ外にいると聞いてぞっとした。早くどこかに行ってくれないと家に帰れないし、いなくなったとしても一人で帰るのはちょっと怖い。
「とりあえず、警察に相談はしておいた方がいいと思います」
「うん……ちょっと落ち着いたら電話する」
「……コーヒー飲みます?」
「ありがとう」
先輩として精一杯平静を装おうとするけど、どうしても声や手が震えてしまう。情けない。私が怖がってることはバレバレなはずなのに、気付かないフリをしてくれる国見くんは優しい子だ。今日だけはその優しさに甘えることにした。
( 2019.11-2020.1 )
( 2022.7 修正 )
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