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02

 
先日、初対面の女性の胸を触ってしまった。もちろん故意ではない。トイレに行こうと立ちあがろうとした彼女の胸と唐揚げに伸ばした俺の手がぶつかった、不慮の事故である。
ただその柔らかくて温かな感触は、仕事の忙しさで"女性"というものを忘れかけていた俺にとってはとてつもない衝撃だった。それでも大きな反応をするわけにはいかなかった。狼狽えたり変に弁明したりしたら、事故を装ってわざと触ったんだと疑われると思ったからだ。表情筋を動かさないことに注力していたら、本来は俺が謝らなければいけない場面だったのに彼女の方から謝らせてしまって愛想のない返事しかできなかった。これはこれで印象が悪くなってしまったかもしれない。
その後、先輩の仲介でトイレから戻ってきたみょうじさんと話すことになった。みょうじさんは俺と同期で、ファッション誌で化粧品の特集を担当しているらしい。部署は違えど仕事に対する考え方には共感できたし、元々文芸誌志望だったという共通点もあってみょうじさんとの会話は終始楽しかった。

それから年末年始をダラダラと過ごし、えげつない仕事初めがようやく落ち着いてきた頃に社員食堂でみょうじさんと再会した。会社で会うのはこの時が初めてだった。
俺の目の前に座って豚骨ラーメンをすするみょうじさんの口元を一瞬見て、すぐに視線を自分の生姜焼きに落とした。ジロジロ見てはいけないという俺の判断はおそらく正しい。男が思っている以上に女性は男の下心に敏感だと思う。特にみょうじさんの場合、そういう類の視線に触れる機会は多かっただろう。そしてそれは決して気分の良いものではないはずだ。

そんな今日の出来事を思い返しながらベッドに入り瞼を閉じると目元にじんじんとした熱を感じた。どうやらみょうじさんの胸元を見てしまわないようにと、変に力を入れていたせいで眼球が疲れてしまったらしい。一回胸に触れただけでこんなにも意識してしまうなんて思春期の中学生かと我ながら呆れてしまう。

「!」

枕元に置いたスマホが小さく震えて、真っ暗だった部屋が少し明るくなった。手に取って確認してみるとみょうじさんからで、内容はメテオアタック最新話の感想だった。今日の昼に話していたことを律儀に実行してくれたんだと、丁寧な文面を見ながら笑った。


***


結局昨日は何て返事をしようか考えていたら寝落ちしてしまった。今朝もご飯を食べながら、歯を磨きながら返事の文言を考えているけどなかなかいい案は浮かんでこなかった。元々女性と接する機会は少なかったうえにここ最近は本当に仕事しかしていない。女性と連絡をとること自体が久しぶりだ。相手は同じ会社の人だし内容も仕事に関することなんだから社内メールの要領で返せばいいのに、それができないのはみょうじさんに良く見られたいという下心があるからだろう。みょうじさんに嫌われたくないという心理が、言葉選びを慎重にさせた。

「赤葦くんおはよう」
「……おはよう」

最寄駅から会社へ歩いている道中でみょうじさんに会った。働いてる部署もフロアも違うから滅多に会うことはないのに、何故こういう時に限って遭遇してしまうんだ。昨日の返信をまだしていないという後ろめたさで反応が遅れてしまった。

「ごめん、何て返事するか考えてたらいつの間にか寝てて……」
「え? いいよー気にしなくて。私もめんどくさくて返事しない時あるし」
「めんどくさくない。断じて」
「え、あ、ハイ」

決してめんどくさかったから返事をしていないわけじゃない。そこは絶対に誤解されたくなくて必死に否定したら逆に変な感じになってしまったかもしれない。

「赤葦くん疲れてる?」
「え?」
「クマすごいよ」

そんな俺の挙動を心配してくれたのか、みょうじさんに顔を覗き込まれて俺は咄嗟に視線を逸らした。忘年会の時に比べてフランクになってくれたのは嬉しいけど、もう少し警戒心を持ってほしいと思う。このアングルは胸元が見えてしまう。必死に平然を装い、みょうじさんの質問を反芻した。
疲れているか疲れていないかで言えば多分疲れている方だと思う。出版社に勤務しているというと華やかなイメージを持たれがちだが、実際はなかなかの激務で俺の場合部屋を片付ける余裕も身だしなみに気を使う余裕もない。休日が取材で一日終わることだって少なくはない。それ以上にやりがいを感じているから続けているわけだけれど。そう言うとみょうじさんは「わかる!」と笑って共感してくれた。その屈託のない笑顔を見て胸がザワザワと騒いだ。この現象がどういう意味を持つのかを、俺は知っている。

「じゃあ今週の入稿終わったらさ、ごはん食べに行こうよ」
「うん」

気付いたらみょうじさんからのお誘いに流れるように頷いていた。目の前に存在しているみょうじさんを「好きな人」だと認識した途端、俺の頭は音声の処理を一瞬放棄したのか、どうしてこういう話になったのかはわからない。

「また連絡するね」
「うん」

とりあえずみょうじさんと食事に行けるという事実がめちゃくちゃ嬉しかった。エレベーターを先に降りたみょうじさんを見送った後もほわほわした気持ちは治まらなくて、自分のフロアで降り損ねて朝礼に遅刻するところだった。


***


みょうじさんとの食事は土曜日の夜になった。今週はお互いにイレギュラーがあってバタバタしてしまい、仕事終わりに都合が付かなかったからだ。
休日の夜にみょうじさんと約束して会うという事実で、もう既にやばい。浮かれすぎて待ち合わせ時間より30分も早く店の前に到着してしまった。休日に会うということはみょうじさんの私服を見られるということだ。どんな服を着るんだろうと考えてみたけれど、ファッションに詳しくない俺に想像できるわけがなかった。

「赤葦くん早いね」
「……みょうじさんも十分早いよ」
「思ったより乗り換えうまくいって」

まだ来るわけがないと油断していたところに現れたみょうじさんの姿はとてつもない破壊力だった。服装を見てどうこう思う以前に、もう目が合っただけで可愛かった。多分ジャージ姿であっても可愛いと思うっただろう。そして予定より25分も長くみょうじさんと過ごせるということに気付いてしまって、顔がニヤけるのを必死に堪えた。

「ちょっと早いけど入れてもらえるかな」
「入ってみようか」

場所は駅のすぐ近くにあるチェーン店の居酒屋。混み合う時間だからみょうじさんが席だけ予約してくれていた。入ってみると特に問題はないようで、スムーズに掘り炬燵の個室へと案内された。

「あったかいね」
「うん」

コートを脱ぎ始めたみょうじさんから慌てて視線を逸らす。好きな人と個室でふたりきりというシチュエーションは非常に嬉しいものだけど、胸元を見てしまわないようにするのは大変そうだ。例え顔面が筋肉痛になろうとも、みょうじさんに下心がバレて嫌われたくはない。俺はひとつ深呼吸をして気合いを入れ直した。

「お酒飲む?」
「1杯だけ」
「じゃあ私もそうしよ」

それにしても何でみょうじさんは俺を食事に誘ってくれたんだろうか。激務によるストレス発散のためと名目は聞いているものの、それならふたりきりである必要はないんじゃないかと思う。もしかしてみょうじさんは俺に気があるんだろうかなんて都合の良いことを考えてしまって、自惚れるにはまだ証拠が足りないだろうと自分のおめでたい思考にツッコミを入れた。こんなふわふわした気持ちじゃあいつボロが出てしまうかわからないな。

「……」

注文を終えた後、何を話せばいいのかわからなくてなかなか口を開けなかった。何か話題になるものを探して目を泳がせてみてもテーブルの上にはまだおしぼりと水しかないし、女性が好む話題の引き出しなんて持ち合わせていない。

「ごめんね、ふたりだけは嫌だった?」
「え、いや……」
「共通の知り合いいないし、お互い誰か連れてきて合コンみたいになるのは嫌だと思って」
「うん。俺は……みょうじさんとふたりが良かった」
「ならよかった」

他に言い回しが見つからなくてストレートな言い方になってしまったが、みょうじさんは特に反応せずいつもの調子で微笑んだ。俺自身表情が変わらなくて何考えてるかわからないとよく言われるけど、なかなかペースが乱れないみょうじさんも本心はよくわからない。いや、人の気持ちなんて元々わかるわけがないんだから考えるだけ無駄だ。やめよう。
その後も今週の仕事は特にやばかったと続き、飲み物と料理を待つ間も特に気まずさを感じることなく過ごせた。

「わかる、土日休みって言ってもなんだかんだ仕事してるよね」

お酒を入れてもメインの話題は仕事のことから逸れることはなかった。本音を言えばプライベートのみょうじさんについて聞きたいところだけど、焦ってはいけない。まずは会社の同期として近づきたい。

「再来週、取材で宮城に行くんだけどお土産買ってこようか?」
「本当!? ずんだ餅食べたい!」
「わかった」

最近はなかなか旅行に行けないと溢したみょうじさんに対してすかさず提案したら喜んでくれたみたいで良かった。バレー関係の取材となると東京を出ることも多い。ちょうど宮城に行く予定があって助かった。お土産を買うということは、渡すためにみょうじさんに会うという口実ができたということだ。会社の同期という関係である今、こういった仕事の延長での接点に縋っていくしかない。そしてその頻度は決して多くないだろう。一回毎のチャンスを大切にしなければ。
次にみょうじさんと会う時までには美容院に行って髪を切っておこう。好きな人には少しでもかっこよく見られたい、なんて感情を抱くのは久しぶりでなんだか少し照れくさい。けれど俺も今年で25歳。これが最後の恋愛になる可能性を考えると、後悔はしたくなかった。


( 2023.1.28 )

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