不思議犬
天気は良好。風もそう強くない。絶好の航海日和だ。蜜柑の木が良く見える場所でパラソルの影がつくるほどよい心地好さの下、ナミはくつろいでいた。隣ではロビンが少し難しい本を読み、甲板ではルフィ、ウソップ、ブルック、チョッパーの4人がワイワイと釣りを楽しんでいる。ゾロは大分前に午後の鍛練を終え、蜜柑の木の陰でぐうぐうといびきをかいていた。フランキーとサンジはそれぞれの相応しい部屋で彼らのなりの時間を過ごしているようだ。
「んぬゎぁ〜みすゎぁ〜ん!ロビンちゅわぁ〜ん!」
訂正。サンジは女性陣へのアプローチの準備をしていたらしい。キッチンからクルクルと回転しながら飛び出してきたサンジの片手には二人分のデザートの乗ったトレイが支えられている。どうやら今日はブルーベリーをふんだんに使ったタルトらしい。その出来映えは見ただけで香りと甘酸っぱさを記憶に呼び起こし、誰もが唾を飲むほどだ。
「めし!!?」
「クソゴム!テメェの分はまた後だ!!下がれ!!」
その甘酸っぱい匂いにルフィの鼻が反応し、一気にナミ達の方に首を回したかと思えばあっという間に彼は飛んで行く。しかし、サンジの容赦のない蹴りで床に沈められる羽目となった。サンジのことだから内容はやや違えど彼は全員分のおやつを用意している。それが分かっていても毎回このやりとりがあるのだからおかしいものだ。
「あいつ学習しねぇなー……」
ウソップがボソリと呟く横ではチョッパーが顔を青くして慌てていた。これもいつもの光景である。
「いやぁ、ルフィさんの行動の早さにはいつも驚かせられます。もう目が飛び出ちゃうほどに、って私飛び出る目もないんですけどね!」
「お前も大概だな……」
ヨホホホ!と持ち前の自虐的なギャグを披露し、一人爆笑するブルックをウソップは冷たくあしらった。
初めて会った時には魂が抜けそうなほど怖い見てくれのブルックだが、話してみればとても陽気な気性をこの船の愉快な音楽家だ。
「ひゃー!おめェ体が骨だけじゃねェか!!本当に生きてんのかァ!?」
「それが一度死んじゃったんですよ!」
「なんだそりゃァ!?」
そう、スリラーバークではこんな風に驚いたものだ。そこまで思い出して、ウソップは耳に入った会話の違和感に気付いた。
「世の中変わった奴もいるもんだなァ。なァ、アマ公!」
ワン!と元気に吠えるのは白い犬。いや、これは狼だ。昔図鑑で色違いだがそっくりの顔を見た記憶がある。なによりも犬にしては体が大きい。それが、船縁に器用に座ってウソップの真横にいた。
「ぎゃあああああ!!!!」
「キャアアアアア!!!!」
「ウソップ!ブルック!どうし……ぎゃあああああ!ブルックこえええ!!!!」
ウソップ、ブルック、チョッパーと連鎖反応のように悲鳴が響く。もちろんそれだけ叫んで他のみんなが気付かない訳がない。フランキーが船内から飛び出し、ゾロも気だるげに起きる。
そして、いつの間にかいた白い獣に視線が集まった。
「犬……?」
「あら、立派な狼ね」
ナミが首を傾げて疑問を口にすると、ロビンが補足する。そう言われれば、確かにこの顔つきは狼だ。しかし、白い狼など見たこともなければ、船に乗せた記憶もない。
もし敵であれば大事だ。ゾロもそう考えているのか、鋭い目付きで親指を鍔にかけている。ナミはもしもの事態に備えてサンジに目配せした。
「うおー!!お前ふっかふかの毛だなー!!」
「ってアンタは何やってんじゃい!!」
しかし悲しいかな、ナミの警戒は虚しく我らが船長は本能の赴くがままに謎の狼と戯れていた。狼の方も鼻を鳴らし、尻尾を揺らして嬉しげなのだからもうこちらは脱力するしかない。
「それにしてもこの犬っころはいつの間に船に乗り込んだんだ?」
荷物の積み込みの時には何にも見かけなかった筈なんだが、とフランキーが唸ると、どこからか声が聞こえてきた。
「別に忍び込んだわけじゃねェ。色々あって困ったもんだから海をフラフラしてたらこの船が見えたからよォ、ちょいとお邪魔させてもらったぜェ」
へぇ、とフランキーが納得した後に沈黙が広がる。目の前にいるのは犬。だが声がした。ということは。
「犬が喋ったぁあああ!!」
「うぉぉぉ!すげぇぇぇ!!」
ルフィ、チョッパーの二名が表情を輝かせる。喋る狼もあれだがチョッパー、お前は喋るトナカイじゃないのか。
「こら、おめェら!話してんのはオイラだィ!!」
と、狼の背中から小さな光る虫が飛び出して来た。まさかの存在にウソップやナミがギョッとする。
「む、虫!?」
「虫じゃねェ!オイラはコロポックルで旅絵師のイッスンだィ!」
ぷぉー、と沸いたヤカンのような音を鳴らしてイッスンはウソップの目に体当たりした。目がぁ!とのたうち回る彼を無視して、新たな未知の存在にルフィの目が更に輝く。
「なぁ!コロポックルって何だ?」
「コロポックルは確か妖精の仲間よ」
「すっげー!!」
ロビンの説明にルフィとチョッパーは大喜びだ。チョッパーはともかく、ここまで興奮したルフィを落ち着かせるのは大変な労力がいる。
怒鳴る気にならないナミは彼らを放置することにした。警戒はゾロもやサンジが怠っていないし、あの勘だけはやたらと良いルフィがあれだけじゃれついているのだ。恐らく敵ではないだろう。
そう考えてナミが椅子に座り直せば、ふと視線を感じた。視線の発信源はあの白い狼。
自分に何かあるのだろうか。だが、ここでナミは違和感を感じた。こちらを見ているはずなのにどうしてか目が合わない。そう、視線がナミの顔のやや下に釘付けなのだ。視線を辿れば、衣服を押し上げる自身の胸と僅かに覗く谷間。ナミの隣で待機するサンジがブルブルと震える。
「てめぇ、このエロ犬がぁ!ナミさんの神聖な胸を見てんじゃねぇ!」
サンジが鬼の形相で狼に飛びかかった。おれですらそんなにじっくり見つめたことはないのに!と叫んでいたのは空耳だと思いたい。頭の痛さに眉間に指を当てていると、突如爆発音が響いた。
「何!?」
「すげー!!お前、今の花火どこから出したんだ!?」
急いで音の方向に目を向ければ、舞う紙吹雪に手を叩いて興奮するルフィとチョッパー。唖然とするフランキーにブルック。そして吹き飛んだサンジ。
「花火?」
「彼が狼さんに飛びかかったらいきなり現れたのよ」
ロビンの言葉に続いてゾロがありゃ能力者か、と顔を険しくする。確か、爆弾を操る能力者はバロックワークスにいた筈だ。
どういうことだと考えていれば、再び響く爆発音。そして歓声。何にしても得体が知れない以上関わらない方がいい気がする。しかし、この盛り上がり様はあの流れだ。その前にルフィを止めなければ。
「ルフィ!ちょっと!!」
「よし、不思議犬!お前仲間になれ!!」
花火師だ!と狼を抱えて宣言した船長にナミの頭は更に痛くなった。一歩遅かったわね、と微笑むロビンが憎らしくてしょうがない。
ルフィに抱き着かれながらも、今度は胸ではなくナミの顔を健気に見つめてくる狼の視線に我慢できないぐらい撫でたい衝動に駈られたのは絶対に認めたくなかった。
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たゆた様へ
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