死せる影 | ナノ


死せる影

※死ネタあり

《今日の最下位は水瓶座のアナタ!ミスが重なって取り返しのつかないことになるかも……。ラッキーアイテムは黒猫だよ!》

取り返しがつかないとはいえ限度があるのではないか。
ゆっくりと視界を流れる車に道路を彩る白線、空、そして歩道に立ち尽くす相棒。浮遊感に包まれた黒子はそれらを只々眺めて、今朝に見たおは朝占いの運勢を思い出した。

部活の疲労でぼんやりしながら歩いていると、空腹の為に少し先を行く相棒と点滅しだした信号に気付き、後を追おうとすれば集中力とともにミスディレクションが切れたのか向かい来る自転車にぶつかりそうになり、慌てて避けると反動で携帯を落とし、それを拾ってチラリと確認した車用信号がまだ赤なことに安堵するが、赤になった歩行者用信号と横断歩道上に自分以外に人がいない事態に焦って小走りに五歩ほど踏み出したところ、バナナを踏んでつまづき、信号無視で車の影から飛び出した違反改造されたバイクの体当たりを全身で受けた。

『ミスが重なって取り返しのつかないことになるかも』

確かにこれは取り返しがつかない。もっとも、自分がしっかりしていれば未然に防げたのだろうが、と心の中で黒子は自嘲した。そして、次々と脳裏浮かんでは消える今まで歩んできた人生の記憶にこれが走馬灯というものか、と状況に似合わず感動する。
永遠のように感じる時間の中でそれらを全て振り返り、かつて決別したが和解した友人達、厳しくも愛情に溢れたチームメイト、最後に自身の対為す存在でありながら自身の対等であり続けた相棒が決意したあの夜を思い出して、黒子は現実に戻った。

ガツンと巨大な衝撃が音になって頭に直接響き、意識が一瞬真っ白になる。胸と腹がアスファルトに叩きつけられ、臓器を圧迫し、強度の限界を超えた骨が軋轢音を生む。肺を満たす空気が強制的に押し出されて、かは、と最早声にならない悲鳴を黒子は上げた。点滅する世界はいつもならば徐々に色を取り戻すのだが、今回はいつもと違った。
色が無くなっていく。水で濡れた絵の具のようにじわりじわりと黒子の目が映す景色は色を失う。体の節々は痛みを通り越して冷たさを感じさせた。
人がはねられた、救急車を呼べ、あれヤバくない。
耳が集音機のように周りの音を拾う。その喧騒を割って、相棒の、火神の悲痛な叫びが黒子の意識を揺さぶった。空気に触れただけで痛む体に鞭を打って、黒子は火神の声のする方へと僅かに顔を向けた。僅かに向けることしかできなかった。

嗚呼、勿体ない。
血相を変えて駆け寄って来る火神を見て黒子はそう感じた。彼のシンボルとも言える赤がもう分からなくなっていることが残念だった。

「大丈夫か」
大丈夫じゃないです。
「すぐ救急車が来るから死ぬな」
そうですか。
「 死ぬな」
死にたくないです。
「 目を閉じるな」
無茶苦茶言いますね。
「救急車来るまで俺と話さないと許さねぇ」
普通、話すなって言うんじゃないですか。
「黒子、何か言え」
また無茶苦茶言いますね。
「黒子、何か言え」
言いたくてもそれどころじゃありません。
「黒子」
火神くん。

いくら声を掛けようと何も言わず、虫の息の黒子に火神はボロボロと涙を流していた。ちゃんと聞こえている、応えている、と伝えたくとも黒子の口はうんともすんとも言わない。もう、どうしようもない。はねられた時か、走馬灯を見た時か、地面に打ちつけられた時か、いつ悟ったのかは明確ではないが、黒子は何となく自身が手遅れになることを確信した。
しかし、これだけは伝えなければ。

「何か言え」
ボクの光になってくれてありがとう。

一見、何かを求めるように口唇だけを僅かに動かす。今言うな、と火神が声を絞り出した。どうやら火神はしっかりと読み取ったらしい。繋ぎ止めようとする握りしめられた手は痛かったが、何もないよりはずっとマシだと黒子は安心した。

その時、にゃあ、とどこからか聞こえた猫の鳴き声が黒子の耳を擽る。ぼやけて遠目に見えた赤いスカーフを着けたそれは、火神を壁に離れた歩道の電柱の傍らにすらりと座っていた。

『ラッキーアイテムは黒猫だよ!』
明るい声が今一度思い出される。

遅すぎますよ。

ボク、死んじゃったじゃないですか、と情けないツッコミを猫にして黒子テツヤの16年の生涯は幕を閉じた。

『アンタと私は赤の他人だが……。ココで会った以上、リフジンな運命を更新したくなるのは私の性分でね』

がこん、とどこかで歯車が廻った。




ポケットから鳴り響いた携帯のアラームに黒子の意識は引き戻された。マナーモードにしていた筈だが、うっかり『したつもり』だったようだ。慌ててアラームを切り、今度はしっかり沈黙した携帯を手に持って先行く火神を追いかける。彼の背中に集中して横断歩道に踏み出しすと、突如向かい側から聞こえたベルの音に黒子の注意は切り替わる。対抗から人混みを縫う自転車と反対側に寄って安全にすれ違い、渡りきった先では火神が呆れた様子で黒子を迎えた。

「お前なぁ、ただでさえ見つけにくいのに後ろ歩くんじゃねぇよ。俺の前歩け、前。最低でも横」

「火神くんの歩くペースが早いだけですよ。それよりも、よくボクを置いてきぼりにしてると気付きましたね」

「ああ?まあ、それは……」

急にばつが悪そうな表情をした火神に黒子は疑問を浮かべたが、突如背後から響いた衝突音に二人は振り向いた。
横転した巨大なバイク。明らかに移動手段以外の目的で改造されたそれは、アスファルトにパーツの欠片を散らし、車体に大きな擦り傷をつけていた。幸いライダーは大きな怪我もないようだが、居たたまれないのかそそくさとバイクを起こしてあっという間に走り去って行く。
二人がポカンとしていると、同様に現場を見たのであろう誰かが言った。

「信号無視なんかしようとするから。少し待てば良いのに」

「ねぇねぇ!今の見た!?バナナで滑って一人で事故るとか超間抜けなんだけど!」

「でもさ、あの人もし死んでたら笑えなくない?」

「死なないで済んだから笑い話にできるじゃん!ほら、うちらも自分が大怪我した話とかネタにしてるし」

「ああー、まあそれは分からないこともないか」

横断歩道を見渡すと、摩りきれたバナナの皮が道路縁に寄っていた。人も車も踏まない場所まで移動してるが、思わず黒子は拾いに行く。念には念を、という言葉が何故か頭に浮かんだ。

「黒子?」

「また誰かが踏んだら危ないですからね。事故を起こす前に自然に還ってもらいましょう」

指先で摘まんだバナナの皮をぽい、と近くの植え込みに捨てる。たったこれだけのものが人の命を奪うのだからおかしいものだ。と、そこで黒子は一人首を傾げた。

「…………あれ?」

「どうしたんだ?」

はてなを飛ばす黒子に火神もはてなを飛ばす。だが、黒子はこの疑問を何と問えばよいのか少し迷った。恐らく訊けば笑われるだろう。それでも黒子はバナナの皮に妙なデジャヴを感じたのだ。

「ボク、火神くんといる時にバナナの皮で滑ったことないですか?」

「いや、ねぇと思うけど……。何?お前バナナの皮で滑った記憶でもあるのか?」

「ないです」

「なら何で訊いたんだよ!?」

キッパリと否定した黒子に火神は質問の意図が分からずそのおかしさを指摘した。とはいえ、黒子自身も何故そんなことを考えたのか分からなかった。顎に手を当てて唸る黒子に火神はひとつ溜め息を吐く。それに黒子が思わずむっとするが、予想に反して火神は文句を言うのではなく、ただニッコリと太陽の様に笑った。

「ま、悩んだ時にはまずメシ食ってエネルギー補給だな!」

おら、行くぞ、と火神の大きく力強い手が黒子の背を押す。その力強い手は、いつか黒子の手を握りしめていた気がした。
にゃあ、と聞き覚えのある鳴き声が聞こえ、黒子は再び振り向く。そこには今しがた黒子達が渡った横断歩道を渡る赤いスカーフ着けた小さく、黒いしなやかな後ろ姿があった。そして、一瞬金髪の奇抜な頭に赤いスーツを着た男の姿がそれに重なる。

「ラッキーアイテムは黒猫……」

「え!?」

「え?」

黒子の独り言にいきなり火神が大きく反応する。どうしたことか、と黒子がきょとんとすると、火神は恥ずかしげに、また情けなさそうに白状した。
黒子に気付いたのは自力ではない、と。火神の渡った横断歩道を見つめる黒猫の視線につれられて振り返ると、必死に火神を追う黒子がおり、そこでやっと置いてきぼりにしたことに気付いたらしい。

「わりぃ。俺、お前の相棒なのに気付けなくって」

「大丈夫ですよ。影の薄さがボクの持ち味ですし、火神くんがそう思うのならこれから気付いて下さい」

黒子が微笑んでそう言うと火神はおう、と元気に応えた。そして二人は並んで歩き出した。

その背中を小さな影が見送る。影は、シセルはたった先ほど運命を更新した水色の彼には再び会うことはないだろう、と感傷に浸っていた。彼のタマシイは気絶していた。それは、すなわち死んだ記憶を無くすということだ。繋がりを断つということだ。
生きている筈なのにタマシイの様に儚く、しかしエネルギーに満ち溢れる彼をシセルは忘れないだろう。

にゃあ、と三度鳴いてシセルも歩き出す。親友のスーツや救った少女の髪と同じ色の赤い結び目を風に揺らして、その小さな姿は人混みに消えた。

『良いジンセイを』

そう願われて、黒子テツヤの16年の生涯は幕を閉じなかった。


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130707

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