ヒル魔遭遇 | ナノ


どんまい、頑張れ、仕方がない

その部屋はとても整頓されていた。しかし、視界にはスロットやらダーツが目に入り、更に奥にはカウンターのようなものすらある。こんな部室が世の中に存在するとは誰も思わないだろう。
だが、今はそれどころではないのだ。
ちらりと横に視線を寄越せば彫刻の様に緊張した火神。その顔は今にも死にそうだ。時折入り口から覗くケロベロスを見る度に大きく体が跳ね上がり、犬が大の苦手な彼にとっては気が気でないだろうことに同情してしまう。
更に視線をずらせば世間的には社長席と言われる位置に並んで座るセナとモン太。位置のマナーなどは置いておくとして、そこに座る彼らの顔には大量の汗が浮かんでいた。唇の色は薄く、病人だと思われても納得してしまいそうだ。
そして、自身と火神の向かいに座るのはあの男。鼻唄なんかをして時折ガムを膨らまし、大層ご機嫌な様子だが、その手元には間違いなく法律に引っかかる立派な物が光沢を放っていた。

選択を間違えれば死、は言い過ぎなのかもしれない。だが、今の状況でそれを冗談だと笑い飛ばすのは些か無理があるのだ。
いっそ相棒を置いてミスディレクションを最大にして逃げるか、と考えたが、大量のソーセージがついたチョッキを着せられている自身の状況を思い出し、黒子はテーブルに置かれた二枚の紙を眺めて溜め息を吐いた。

「蛭魔先輩、すいませんが解放していただきたいです」

「入部届けに名前書いたらな」

はい、却下とリズム良く返された返事に、本気でイグナイトパスを叩き込んでやりたいと思ったのは初めてのことだった。



「すげぇ、食欲MAXだな火神」

「本当に火神くんは良く食べるね。まるで栗田先輩みたいだよ」

「こんなん普通だ、普通」

「普通じゃないから言われているんですよ火神くん。それよりも小早川くん、雷門くん、今日はボクたちに付き合っていただいてありがとうございました」

火神のハンバーガーの食べっぷりに唖然としているセナとモン太に黒子が礼を言うと、セナは慌てていやいや、これくらい、とかぶりをふり、モン太は礼を言われるようなことじゃねぇよ、とポテトを一つ口に放り込んで笑った。
今日、黒子は火神に連れられ冒険と言う名のショッピングに出てきていた。具体的には、泥門地区を散策である。そして、折角ここまで出てきたのだからセナやモン太を誘おうという話になり連絡を取ったところ、あちらも休養日であることが発覚し、楽しく四人でお出かけと洒落こんだのだ。
互いの近況や最近のテレビ番組、趣味など各々の話題で盛り上がる。黒子は主に聞き役だが、話の内容からその時の彼らの気持ちや様子を想像するだけでとても楽しい気持ちになり、お気に入りのバニラシェイクを片手に時間を忘れて話に耳を傾けた。

「あー、食った食った。じゃ、午後からはどこ行く?」

「店は大体回ったし……。うーん、あと何があっかなぁ」

楽しい昼食を終え、満足そうに腹部を撫でる火神が午後からの暇潰しについて提案する。それに向かいで座るモン太が頭で手を組んで唸った。女の子であれば、やれ服だのやれ小物や雑貨だの食後の甘い物だのとやりたいことは果てしなく挙がるのだろうが、この様子だと中々浮かばないようだ。そうして腹休みも含めて暫く考えたものの、結局何をするのか浮かばずひとまず街を散策することになった。モン太曰く、何もしないよりは『何か』あるだろう、とのことらしい。
そして、その『何か』は店を出た直後に起こった。

「あ、ヒル魔先輩だ」

セナの言葉に反応して全員がそちらへ向けば、そこにはコンビニエンスストアから悠々と出て来た彼がいた。セナの声か、はたまた四人からの熱視線に気付いたのかヒル魔は顔をこちらに向けた。セナとモン太がこんにちは、と礼をするのに釣られて黒子と火神も会釈をすると、ガムでひとつ風船を作った彼は、無言でこちらに近付いて来る。その様子に黒子は嫌な予感を覚えた。

「…………小早川くん、雷門くん。ちょっとボクの第六感が猛烈に働いて今すぐここから退散しろと言っているので失礼します」

「え」

三人が黒子のいきなりの申し出に唖然とする。では、と黒子が今のうちとばかりにミスディレクションを発動しようとすると、力強く肩を掴まれた。

「く、黒子!今のどういう意味だ!」

訳、俺を置いていくな。
流石というべきか、たったあれだけの黒子の言葉に火神は野生の勘を働かせ、見事に黒子の企みを打ち破った。

「火神くん、離してください。ボクにはまだ輝かしい人生が残っているんです」

「その意味深な発言は何だよ!?」

「…………」

「…………」

力と力が拮抗してギリギリと軋んだ音が生まれる。ええい、何てしつこい相棒なんだ、といつもの穏やかさは宇宙の彼方に発射して黒子は進行方向へと全力で力を込めた。
しかし、再び綱引きが始まるのかと思いきや、肩にかかっていた力はいきなり消え去り、黒子はつんのめりそうになった。何とか体勢を整えたものの、危ないその行為に黒子は不満を隠せない。

「今のは少し……」

酷くないですか。
黒子が振り返ると、そこに相棒は見当たらず、代わりに目に入ったのはスプレーの発射口だった。視界の隅には遥か下のアスファルトに沈む赤黒い頭髪に顔を真っ青に染め上げたセナとモン太。
それだけで何が起こったのか察したが、ぷしゅう、と何とも間抜けな音と白い霧に包まれて黒子の意識は間も無く落ちた。

そして目を覚ませば、デビルバッツの部室に連れ込まれていたという訳だ。最早犯罪である。



「ボク達はただの外部生です。校内の生徒がいるじゃないですか」

「ケケ、ミスディレクションやらフリースローラインからダンク出来る野郎がただの外部生たぁ、笑えるな」

なんとか断ろうと粘るものの、どうやらヒル魔は黒子達のことをよく知っているらしい。セナ達から話を聞いたのかと一瞬考えたが、すぐに察した二人がブンブンと必死に首を振って否定する姿を見てヒル魔個人の情報収集によるものであることを黒子は理解する。
それに、黒子のミスディレクションや火神の跳躍力についてはいつかの臨時マネージャーの件で二人が知っていたとしても、火神の大の犬嫌いは火神自身や黒子、その周りも話していない。彼が悪魔と呼ばれる由縁は、この容赦の無さと恐ろしい情報収集能力にあるのか、と黒子は思わず感心した。
しかし、それとこれとは別だ。感心したから入部しましょうと言う訳にはいかない。時間稼ぎは効きそうにない。説得などもっての他。
そして、黒子の意識内では数時間に及んだ脳内会議は現実で数秒の沈黙を以て結論に至った。

「海常高校の黄瀬涼太」

「……黒子?」

「…………」

いきなり神奈川にいるライバルの一人を口にした黒子に火神は首を傾げた。対するヒル魔は無言だ。一体何が起きるんだ、と三人が緊迫した空気に唾を飲んだ時、黒子の怒濤の反撃が始まった。

「かつて圧倒的な力で全国三連覇を成し遂げた帝光中学バスケ部レギュラーだった男です。ボクや火神くんのことを調べたならもちろんキセキの世代という存在もご存知でしょう?黄瀬くんはその一人です。彼のセールスポイントは何を隠そう有り得ないレベルでのコピー能力にあります。つまり、対象の動きのトレースですね。ボクはミスディレクションがありますが、短所として体力の無さがアメフトには致命的です。火神くんは馬鹿なのでまず作戦が覚えられません。それに比べて黄瀬くんはいつ、どこの場面でも使える上にヘタレの負けず嫌い、おまけに馬鹿じゃない。一度引き込めば後はあなたの思い通りです。柔軟性が求められるアメフトにおいて彼ほど適任な助っ人はないと思うんですがどうでしょう」

早い話、黒子は自身と相棒を守るために黄瀬を売った。やっと意味を理解した火神がお前ってたまに本当外道だよな、と呟いたのが聞こえたが、黒子は涼しい顔をした。

「そう思うなら、火神くんはこの紙にサインをどうぞ。ボクは止めません」

「今なら桐皇の青峰もつくからお得になるぜ!です!」

「よし、買った」

「…………」

「…………」

あっという間に火神の良心も消え去り、火の粉は黄瀬だけでなく青峰にも降りかかる。誰しも我が身がかわいいのだから仕方がなかった。そう、例え明日、桃井から朝迎えに行っても大ちゃんが家にいないんだけど何か知らない?と連絡が来ようが、黄瀬からの電話の際にスピーカーの後ろから目の前の人物の高笑いや犬の鳴き声が聞こえようが、それは仕方ないのだ。
たった今取引を了承し、凄まじい勢いでパソコンを叩き始めたヒル魔を眺めて黒子と火神はどんまい、と心で合掌する。そして、目の前で友人が友人を売るという現場を目にしたセナとモン太も自ら死に飛び込む訳にも行かず、只々頑張れ、と黄瀬と青峰にエールを送るしかなかった。

そしてやはりというか、後日、黄瀬の苦情を申し訳なさそうに聞くセナを黒子は目撃したのだった。


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ぽむ様へ

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