冷たい何かに触れられている感覚に目を覚ますと、誰かに首を緩く掴まれていた。冷たいと思ったのはこの手のひらの温度だったらしい。起きたばかりの瞳が映す視界は暗闇ばかりで、そこに誰がいるのかまではわからない。
「……っ、南雲く、」
咄嗟に頭に浮かんだ名前を口にすると、頭上から「なにー?」と聞き慣れた声と共に返事が返ってきた。
「えっ、ほんとに南雲くん?」
「うん。起こしてごめんね。聞きたいことがあって」
こちらも尋ねたいことがたくさんあるのに、彼の纏う空気がそれを許さない。きっと、今の南雲くんはとても冷たい目をしているのだろう。それこそ回答を間違えてしまえば、すぐにでも殺されてしまいそうなくらいに。
「どうして僕に内緒で引っ越しちゃったの?」
少しだけ首を絞める手に力が入って、南雲くんが近づいてきたのがわかった。苦しさと恐怖でうまく言葉が紡げないでいると、耳元でもう一度「どうして?」と囁かれた。
南雲くんのことが怖かった。最初は普通に人当たりの良い人だと思っていたけれど、知れば知るほどわからなくなった。一緒にいると楽しいし、彼を好きな気持ちに嘘はないけれど、仄暗い得体の知れない不安に襲われることも増えた。隣にいることが苦しい。何を考えているのか読めない南雲くんに執着される日々を、私はいつしか恐ろしいと思うようになってしまっていた。
そんな不安定な精神状態がしばらく続いて、私は彼から逃げ出した。何も言わずに離れた街に引っ越して、連絡先も変えた。不誠実な方法だとわかってはいたが、直接向き合って話をしようとしても丸め込まれてしまうのが目に見えていたから、この手段を選んだ。結局、逃げ切ることはできなかったけれど。
「れ、」
「うん?」
「連絡、したかったけど、スマホが壊れて……連絡先わからなくなっちゃって……」
「……」
「……ごめん、ね」
「なーんだ、そういうことだったんだ」
静かな部屋に響く場違いな明るい声。首を掴んでいた手が離れ、咳き込みながら肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「何かあったのかと思って心配してたんだ〜」
ベッドに寝転がってきた南雲くんに抱きしめられて鼓動が早まる。それが恐怖によるものなのか、恋愛感情からくるものなのか、今の自分にはとても判断できそうにない。
「もう勝手にいなくなっちゃ駄目だよ」
彼の言葉は"お願い"なんかじゃない。そんな生易しいものではないことくらい嫌でもわかる。従わなければどうなるか、考えただけで吐き気がする。
無言で身を震わせる私を「可愛いね〜」と笑いながら撫でてくる彼の姿は、間違いなく捕食者のそれであった。
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