名字さんは良くも悪くも普通の人だった。
「私が先に死んだらさ、この漫画の単行本をお墓に置いてほしいんだ」
名字さんが笑って手元の週刊誌を広げ、とある漫画の表紙ページを指差した。俺は読んだことはなかったが、その絵柄やタイトルからギャグ漫画であることは容易に想像がついた。
「嫌です。生きて自分で読んでください」
「そうしたいけど、あんまり長生きできそうな気がしなくて」
「頑張ってください」
それが名字さんとの最後の会話だった。後日、姫野先輩から「名前が死んだ」と聞かされて頭が真っ白になった。彼女との最後の会話が繰り返し頭に浮かんでは心に暗い影を落としていく。いよいよどうにもならなくなった俺は書店に足を運び、前に見せられたページを思い出しながら例の漫画を購入した。彼女の希望通り、墓の前に漫画を供える。そこで初めて胸のつかえがとれたような気がした。
久しぶりに見た名字さんは生前と変わらない笑顔で手を振っていた。言いたいことがあったはずなのに全く声が出ない。おそらく情けない顔を晒しているであろう俺を見ながら彼女が口を動かす。何を伝えようとしてくれているのか。もしかしたら物凄く重要な何かを――――
「あの単行本の続きが読みたい」
「他に言うことねえのかよ」
自分の声で目が覚めた。薄暗い視界に広がる見慣れた自室。そこでやっと先程まで見ていたものが夢だったことを認識する。瞼の裏にはまだ名字さんの笑顔が焼き付いていて、何とも言えない気持ちで寝返りを打った。壁に掛けているカレンダーをぼんやり視界に入れながら、彼女が亡くなって一年近く経っていることに気づく。
「……気が向いたらまた続きを持っていきますよ」
彼女がここにいないことも、届くはずがないことも知っている。それでも敢えて声に出すと、返事をするかのようなタイミングで枕元に置いてあった目覚まし時計が倒れた。
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