遠くに行きたい。それが名前の口癖だった。
とは言え具体的に行きたい場所があるわけではないらしい。行きたい所があるなら一緒に行こうと提案したことも一度や二度ではないが、そのたびに名前は「ありがとう」と笑って「でも、どこに行きたいのか自分でもよくわからないの」と言葉を結んだ。ふらふら、ふわふわ、掴みどころのない問いかけ。それはあいつ自身の在り方によく似ていた。
彼女が何を求めているのか、俺には皆目見当もつかない。ただ、放っておいたらそのまま溶けて消えてしまいそうな名前をどうにか繋ぎとめておきたくて。
「焦凍くん、苦しいよ」
「悪い」
どれほど抱きしめても、家の中に閉じ込めようと、名前の瞳はいつもどこか遠くを見つめている。行き先のわからない、遥か遠く。少しだけ抱く力を弱めると名前が小さく息を吐き出すのが聞こえた。
なあ、どうしたらお前はずっと俺の傍にいてくれるんだ。いっそ足を折ってしまえば、何も見えないようにしてしまえば、俺から離れていかないでくれるのか。頭に浮かぶろくでもない選択肢を思考の外に追い出して、もう一度強く抱きしめた。