身に覚えのある眠気だった。普段なら自然に眠気が来るまでに結構な時間がかかるのに、突然やってきた眠気の波。時間を追うごとに増していくそれは、あまりの眠れなさに睡眠薬を飲んだときの状態にそっくりで。薬を盛られたかもしれないと思い至るまでに時間はかからなかった。焦凍くんが珍しくハーブティーを淹れてくれて、能天気な自分は何も疑わずにそれを口にしたけど、タイミングを考えると絶対アレだ。なんでこんなことをするんだろう。彼を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
瞼が重い。限界かもしれない。眠気に抗えず、その場で横になる。意識を飛ばす前に見た焦凍くんは「これからはずっと一緒だ。俺の、俺だけの名前」と恍惚とした表情で私を見下ろしていた。
気がついたらベッドに寝かされていた。ご丁寧に両手が硬いロープでぐるぐる巻きにされている。傍に焦凍くんの姿はない。近くにあったデジタル時計を確認すると、眠ってから二時間近くが過ぎていた。幸いなことに足は縛られていなかったので、足音を殺して寝室からリビングへ移動する。家の中は静まり返っていて誰の気配もしない。時刻は深夜の二時過ぎ。もしやと思い確認してみると焦凍くんがいつも履いている靴が見当たらなかった。
逃げよう。鍵も内側から普通に開いたので、そのまま靴を履いて外へ飛び出した。多分、私が今こうして起きて活動していることは彼にとって想定外だ。焦凍くんには言ってなかったけど、私は日常的に睡眠薬を服用している。それを飲まないと眠れないし、薬を飲んで眠れたとしても頻繁に目を覚ます。きっと薬への耐性がついているんだろう。だから今夜もこうして無事に(?)逃げ出すことができている。良いのか悪いのかわからない自分の身体に苦笑しながら夜の街を走った。私の家だと彼がいるかもしれないし、ここから一番近い友人の家に匿ってもらおう。
「うわ、」
もう少しで友人の家に着くというところで派手に転んだ。躓いたわけじゃない。まるで足が滑ったような――――
「……名前」
アスファルトに投げ出されている私を抱き上げたのは、今一番会いたくなかった焦凍くんで。肩で息をする彼が道路を凍らせたのだとすぐに理解した。
「焦凍、くん」
「……急にいなくなるから、心配した」
「あの」
「お前の家から荷物を運んだらすぐに帰るつもりだったんだ。こんなに早くお前が起きるとは思わなくて」
「ねえ」
「一人にして悪かった。俺を探してたんだろ」
矢継ぎ早に紡がれる言葉に口を挟む隙がない。私を抱えた焦凍くんの足は、間違いなくさっき逃げ出してきたばかりの彼の自宅に向かっている。
「もう寂しい思いはさせねえ。だから、どこにも行かないでくれ」
この状況で泣きたいのは私の方だ。それなのに焦凍くんの方が今にも泣きだしそうで、色の違う両目が不安気に揺れている。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。縛られたままの両手を動かし、指先で焦凍くんの頬に触れた。ぴくりと肩を揺らした彼と漸く目が合って。
「泣かないで」
「……泣いてねえ」
「私、何か焦凍くんを不安にさせるようなことしちゃったのかな。もしそうなら、ごめんね」
「……」
「こんなことしなくても私はずっと一緒にいるよ」
「名前、」
「大丈夫。大丈夫だから」
私を抱える腕の力が強くなって焦凍くんの頬を涙が零れ落ちていく。色々言いたいことはあるけど今は家に帰ろう。帰ったら、ゆっくり話をしようね。そう伝えると今度こそ大人しく頷いてくれたので、きっともう大丈夫だ。