とある国では年始に遺書を書いて気持ちの整理をする慣習があるらしい。そんな記事を偶然ネットで見つけ、なんとなく遺書を書いたことがあった。内容もあまり覚えてはいないけど「私が死んだらPCのお気に入りは削除しておいて」とか家族に対して「今までありがとう」とか、とにかく無難なことを書いたような気がする。書いたことに満足して、どこに片づけたのかすら忘れてしまったけれど。
家に帰ると机の上に何かの資料が山程置かれていた。全く見覚えのないそれを手に取ってみると、どれもこれもいわゆる「命の相談室」系のものばかりだ。「一人で悩まずに連絡してください」と書かれた冊子をぱらぱらと捲る。いやいや、どうしてこんな物があるんだ。仕事で疲れてはいるけど、本格的に相談室にお世話になるような程では……。
「名前!!」
「わ、びっくりした。どうしたの」
腕を掴まれ、近くにあったソファに座らされた。シャドウのあまりの真剣な面持ちに息を呑む。
「……」
「名前、悩みがあるなら言え」
「え?悩みならいつもシャドウに聞いてもらってるけど……」
「……」
「……」
重い沈黙が流れていく。何を言おうか迷っているとシャドウが何かを取り出した。茶封筒に入れられた、どこか見覚えのある"それ"。シャドウは封筒に入っていた紙を手に取り、こちらへ渡してきた。その紙の一行目には"これを読んでいるということは、私はきっと死んでいるのでしょう"と書かれてある。そこでやっと思い出した。これ、前に書いた遺書だ。
「あの、これは」
「僕は少なからず君の力になれていると思っていたが……ただの勘違いだったようだな」
辛そうに顔を歪めるシャドウに慌てて説明する。この遺書はシャドウと出会うよりも前に軽い気持ちで書いた物で、書いたことすら忘れていたこと。死ぬ予定などこれっぽっちもないこと。勿論生きていて辛いこともあるけれど、シャドウがいてくれるおかげで前を向けていること。最初は私が彼をごまかすために嘘をついているのではと疑っていた様子だったけれど、なんとか誤解を解くことができた。
遺書は本棚の裏に落ちていたらしく、中身を見た彼は「自分に相談できない悩みがあるのなら」と命の相談室といった公的なセーフティーネットの資料を集めてくれたらしい。それにしたって物凄い量だけど……。
「心配してくれてありがとう」
「……ああ」
「この資料は何かあったときのために貰っておくね」
日頃から感じていることだけれど、彼の優しさには底がない。私にとってはシャドウこそが最も効果的で強力なセーフティーネットだろう。
「シャドウがいなくなったら生きていける自信ないかも」
「余計な心配は不要だ。君が望む限りは傍にいる」
ほら、またこうして甘やかす。だから私はより一層、彼から抜け出せなくなってしまうのだ。
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