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 最近、色々と上手くいかない。仕事も私生活もどちらもだ。今日も面倒なクレーマーの相手をしなくてはならなかったし、お客さんはいつもよりずっと多くて目が回るし、息をつく暇もなく忙しかった。こういう日に限って普段はしないようなミスをして酷く怒られるし、もう散々だ。

 家に帰ればシャドウがいる。シャドウに会えば大抵の疲れは吹っ飛んでいくけれど、ここしばらくの積もり積もったストレスが爆発しそうな今日に限っては、その効果も期待できそうにない。なるべく家に仕事のストレスを持ち込みたくないので、残業終わりでとっくに夜も更けているけれど、まだ家に帰る気にはなれなかった。通勤途中にある小さな公園のベンチに腰掛け、何をするわけでもなく空を見上げている。

「はあ……」

 あと数時間も経てばまた仕事に向かう支度をしなければならない。そう思うと気が滅入ってくる。たった数時間で一日中働いた疲れがとれるわけがない。寝て、働いて、寝て、働いて。毎日同じことの繰り返しだ。社会人と呼ばれる立場になって何年も経つけれど、決してその苦痛に慣れることはない。自分をごまかし、騙し騙しでここまでやってきただけだ。

 張りつめていた糸が切れてしまったのか、ベンチから立ち上がることができない。もう疲れてしまった。歩きたくない。頑張れないし、頑張りたくない。暗いことばかりが頭に浮かんできて目頭が熱くなる。どうせこんな時間に人通りなんてないのだ。いくら泣いたって誰の迷惑にもならないだろう。ぼたぼたと零れ落ちる涙を拭いもせず、声を押し殺すこともなく泣いた。


 どれくらい時間が経っただろう。しばらく泣いたおかげか、ここへ来る前よりは幾分か気分も楽になった。そういえばシャドウに連絡してない。普段よりずっと帰りが遅いから心配をかけているかもしれない。早く帰らなければ。頭ではわかっているのに立ち上がれない。このまま全てを投げ出してどこか遠くへ逃げてしまえたら。そんな現実味のない考えが脳裏をよぎった。

 ふ、と。足元に視線を向けると先ほどまで誰もいなかったはずのそこに足が見えた。その足は、とても見慣れた靴を履いている。

「……シャドウ?」

 いつの間にやって来ていたのか、私の目の前にシャドウが立っていた。連絡しなくてごめん、とか、どうしてここがわかったの、とか。言いたいことや言わなければならないことが沢山あったはずなのに、こんな時に限って言葉が出てこない。

「……無事で良かった」

「え、」

 シャドウとの距離がぐっと縮まったかと思った瞬間、腕を引かれて彼の胸元に倒れこんでしまった。……ふわふわな毛並が顔に触れて気持ちいい。

「どうして電話に出なかった」

「……電源切ってて」

「何かあったのか」

「……」

「帰るぞ。このままでは風邪を引く」

「……体が、」

「どうした?」

「その、体が動かなくて」

 帰らなきゃいけないのはわかっているのに体が思うように動かないことを伝えると、シャドウは「じっとしていろ」と言うや否や私の身体を抱きかかえた。

「お、重いから下ろして」

「別に重くない。それに下ろしたら帰れないだろう」

「それはそうだけど……」

「少し黙っていろ、舌を噛むぞ」

「!!」

 刹那、とんでもない速さでシャドウが駆け出した。あっという間に周囲の景色が流れていく。ジェットコースターで移動しているみたいだ。身体にあたる風も凄くて目を開けていることができず、シャドウの肩口に顔を埋めた。

「……迎えにきてくれてありがとう、シャドウ」

 この近さとはいえ、風をびゅんびゅん切って走っているシャドウには聞こえなかったかもしれない。家に帰ったら改めてお礼を言わなければ。こんな真夜中の寒い夜に、私を探して見つけ出してくれたのだから。そんなことを考えていたらまた涙が溢れてきて、嗚咽が漏れた。

「名前?」

 シャドウの歩みがゆっくりとしたものになる。鍵を開ける音がしたから、もう家に着いたのだろう。しかし部屋に入ってもシャドウは相変わらず私を抱いたままだ。

「具合でも悪いのか」

 心配そうな声音に、首を横に振る。

「気休めにもならないかもしれないが、名前には僕がついている。何でも一人で抱え込まずに、もっと頼ってほしい」

「う、シャド、」

 じわり。その言葉に、いよいよ涙が止まらなくなってくる。公園であれだけ泣いたにも関わらず、涙は一向に涸れる気配がない。子供のように泣く私の背を、シャドウは黙って撫でてくれた。

「今、わ、私が泣いてるのは」

「……」

「嬉し涙だから……っ、」

「……ああ」

 暫く泣いていると、泣き疲れたのか徐々に瞼が重くなってきた。くっついているシャドウの体温が心地よくて、それが更に眠気を誘っているのかもしれない。世界が完全に暗転してしまう前にシャドウが何かを呟いていたけれど、はっきりと聞き取ることはできなかった。でも、それはとても優しい言葉だったような気がする。

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