迷い子 番外編 | ナノ
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※夢主と最初に出逢ったのが兵助ではなく勘衛門だった並行世界みたいな話。夢主は勘右衛門と住んでる

 昔、祖母が言っていた。雨の降る夜は、雨に紛れて良くないものが訪ねてくることがある。それらは家の中にいる者の「名前」を呼んで中へ入ろうとするから、家の外から名前を呼ばれても決して返事はしてはいけないと。例えそれがどんなに慣れ親しんだ者の声だったとしても、絶対に返事をしてはならない。なぜなら、その声に返事をしてしまえば、それは家の中へ"彼ら"を招き入れる合図になってしまうからだ。


「名前、開けてくれ」

 雨が降りしきる、ある夜のこと。玄関の向こうから三郎の声がして、驚いた私は手に持っていたスマホを落とした。普段なら勝手に家に入ってきて、茶菓子を出せとか茶を淹れてくれとか好き勝手に言うくせに、どうして今夜に限って入ってこないのだろう。いや、そもそもこんな深夜にいきなり訪ねてくるなんて変だし、今はこの町を離れているはずだ。昼間に「今夜は雷蔵と兵助、勘右衛門、八左ヱ門と隣町の神様に挨拶に行くから、明日の朝まで戻らないと思う」と言われたばかりなのだから。それじゃあやはり玄関の向こうにいるのは、私の知っている彼らではない"誰か"ということになる。

 じっとりと嫌な汗が肌を伝っていく。動くこともできず、まるで金縛りにあったみたいにその場で固まっていた。

「雨宿りをしたら帰るから、少しだけ家に上げてくれないか。名前」

 罪悪感を掻き立てられるような声音に思わず耳を塞いだ。普段から勘右衛門達には「簡単に玄関を開けるな」ときつく言われているし、今回も私はその約束を守っているだけだ。だから何も悪いことはしていない、はず。悲痛な声を無視するようにベッドに飛び込み、頭から布団を被った。

「……ひっ」

 声が聞こえなくなった。しかしその代わりに、玄関の方からドンドンと扉を叩くような音が聞こえてくる。外の大雨よりもずっと大きな音が部屋中に響き渡っていた。無視していればいつか諦めてくれないだろうか。そんな希望的観測に縋ろうとしていると、今度は部屋の窓も揺れ始めた。鍵をかけているのでおそらく開くことはないだろうけど、無理やりこじ開けようとしているのかガタガタと揺れている。

 怖い。めちゃくちゃ怖い。こんな時に限って守り神である彼らは留守。いや、もしかすると留守だからこそ玄関の向こうにいる"それ"は来たのかもしれないけど。

「……そういえば」

 そこで私は勘右衛門が家を出る前に、お札を渡してくれていたことを思い出した。恐怖ですっかり頭から抜け落ちていたけど、たしか机の上に置いた気がする。相変らず窓や玄関は叩かれているものの、恐怖を押し殺して布団から抜け出し、机の上にあったお札に手を伸ばした。

 "何かあったらこれを持って俺に祈って。すぐ助けに行くから"

 ウインクしながら彼はそう言っていた。……試してみよう。お札を握りしめ、勘右衛門の顔を思い浮かべる。家の周りによくわからない何かが来てて怖いです。早く帰ってきて。ただひたすら祈っていると、ぽん、という音と共に手の中からお札が消えた。どうして、と慌てたのも束の間。目の前に勘右衛門が立っていた。

「……勘、ちゃん?」
「名前〜!無事でよかった!何かあったんだろ?俺が来たからにはもう大丈夫だからな」
「ほ、本物だ……」

 この状況で助けに現れてくれるのだから本人で間違いないのだろうけど、家の周りをうろつく偽物のせいで少しだけ疑心暗鬼になっていた。ああ、でも、この感じは本当に本物だ。目の前の彼に抱きつくと、私の背を撫でながら勘右衛門が窓の外を見て呟いた。

「ああ、なるほど」

 ぴり、と空気が張りつめる。いくら鈍感な私にでもわかるくらいに彼は怒っている。

「ちょっと外の奴ら殺し……懲らしめてくるね」

 優しい手つきで私の頭を撫でると、勘右衛門は再び姿を消した。物騒な言葉が聞こえたような気もするけど、聞かなかったことにした。一人になった心細さから、私はまたベッドに潜り込む。すると家の外から断末魔の叫びが聞こえた。それも一度じゃなく、二度、三度と暗闇にこだまする。深く考えると怖くなりそうので、やはりこれも聞かなかったことにした。

 それから少し経って、勘右衛門がけろっとした表情で戻ってきた。やはり家の外には良くないものが集まってきていたらしい。私が詳しく事情を説明すると、あの声に返事をしなくて正解だったと抱きしめられた。もし返事をしていたら間違いなく家の中に入ってきていたはずだ、という言葉に心底ゾッとする。

「怖かっただろう。よしよし、一人にさせてごめんな」
「ううん、いいの。勘ちゃんが来てくれたから、もう平気。助けに来てくれてありがとう」
「俺は名前のためなら、いつでもどこにだって駆けつけるよ。だからさ、」

 何かあっても、何かなくても、俺を呼んで。そう言って笑う勘右衛門の腕が少しだけ震えている。生きていてくれて良かった。今にも消え入りそうな彼の声が静まり返った部屋に溶けていった。

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