時々とても怖くなる。知らないうちに天火がどこか遠くへ行ってしまうのではないかと。
昔からそうだった。彼はいつも私の遥か先を進んでいて、手が届きそうになるとまた離れていってしまう。幼馴染として、「犲」の元同僚として、そして恋人として長い月日を共に過ごしてはいるけれど、その距離が縮まったと感じたことはない。少なくとも私の目にはそう見えている。
だから「日本を出ようと思ってる」という突然の発言にも、ほとんど動じなかったのかもしれない。いつかはそんな日が来てもおかしくないと、どこかでわかっていた。彼がこの小さな島国だけで終わるような人間でないことは私が一番よく知っている。
「名前?」
天火の声で我に返る。心配そうな顔をした彼に覗きこまれ、気まずくなった私は視線を逸らす。
「いいと思う。天火なら外交だって何だって、きっとうまくいくよ」
うまく笑えているだろうか。泣きたいような、逃げ出したいような、複雑な感情が胸の内で絡み合う。もしかしたら今度こそ置いて行かれるかもしれない。外国に行ってしまえば、今までのように会うことはできなくなる。そのうちに向こうで気の合う素敵な女性を見つけて、恋をして、結婚だってするかもしれない。そうなれば私はいよいよお払い箱だ。
「それで……その、名前に話しておきたいことがあるんだが」
「うん」
沈黙が流れる。別れてくれと告げられる想像が脳内を巡っていく。着物を握りしめ、俯いて言葉を待つ。逃げ出したくてたまらない。怖い。
「……」
「一緒に来てくれないか」
「……え?」
耳に届いたのは、まったく想像もしていなかった言葉。自分に都合のいい幻聴が聞こえたのかと耳を疑う。
「別れ話じゃないの……?」
「は?」
今度は天火が目をぱちぱちさせて固まっていた。
「……別れてーの?」
「別れたくないよ! ……でも」
「でも?」
「……天火に置いて行かれるんじゃないかって思ってた」
ずっと傍にいたい。それが私の一番の願いだ。だけど私では役不足ではないかと不安になっているのも本当で。
「俺が今まで名前を置いて行ったことがあったか?」
「……ない、と思う」
彼がいつも私の先を行く、というのはあくまで私の主観によるものだ。客観的に考えてみれば、基本的に常に行動を共にしている私たちは少しも離れているようには見えないだろう。すべては私の自信の無さが原因なのだ。
「名前」
手招かれるまま傍に寄れば、逞しい腕に捕らわれた。天火の匂いに包まれて、張りつめていたものが少しずつ緩んでいく。
「そもそもこんなにいい女を一人残して行けるわけねえだろ」
「……天火」
「置いて行けって言われたって、お断りだ」
彼はどこまでも優しい。お断りなんて言ってはいるけれど、きっと私が「外国には行きたくない」と言おうものなら咎めることなく「わかった」と笑うだろう。私が自分に自信を持てないことを承知の上で、敢えて少しだけ強引な言葉を使ってくれているのだ。
「一緒に行きたい。天火がいるなら、どこにだってついていく」
天火に負けまいと思いきり抱きしめれば優しく頭を撫でられて。耳元に寄せられた唇から紡がれた「愛してる」が私の鼓膜を甘く揺らした。
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