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この二人

 いつの日だったか。
 「海が見たい」と天火に話したことがあった。本当になんとなく思ったから口にしただけで、あの日以来すっかり忘れていたのだけど。


「海だー!」

 今、私の目の前には広大な海が広がっている。早朝のせいか、私たち以外に人影はない。貸し切り状態だ。

「名前もこっち来いよー!」
「見るだけって言ってなかったー?」
「細かいことは気にすんな!」

 海に見惚れている間に天火は膝元まで海に浸かって波と遊び始めていた。少し眺めるだけの予定だったから水着の用意があるわけでもなく、彼は着物姿のまま海に入っている。あとで白子に怒られるなぁ、あれは。

「わ、冷たい」

 とはいえ、私も海に浮かれているのは事実だ。足首まで海に浸かって波に身を任せれば、不思議と心が凪いでいく。ここのところ気落ちすることが多かったから、いい気分転換になりそうだ。

「名前!」
「なにー?」
「これ見てくれー!」
「持ってきてー!そっちまで行ったら着物が濡れちゃう!」

 何かを見つけたらしい天火が楽しそうに手招いている。しかし一向に戻って来てくれる気配はない。仕方がないので、着物が海に浸からないように持ち上げて近づくことにした。

「なに、を……!?」

 見つけたの、と続く前に足が滑り、ぐんと海が近くなる。しまったと思ったときにはバシャーンと音を立てて、海に飛び込んでいた。

「うえ、しょっぱい」
 
 頭のてっぺんからつま先まで見事に浸かってしまった。髪からぽたぽたと海水が垂れる。

「大丈夫か、名前」
「これが大丈夫に見える?」
「はは、見えねえな」

 帰ったら白子に怒られそうだと少し意地悪な顔で笑われた。さっきまでそれは私が彼に向けて思っていた言葉だったのに。なんか悔しい。

「立てるか?」
「……ありがとう」

 差し出された手を握る。だけど今の私は少々意地が悪いので、その手を掴んで自分の側へ思いきり引っ張った。普段ならいざ知らず、油断しきっていたらしい天火は想像通りこちらへ倒れこむ。静かな海に、再び大きな波が立った。

「げほっ、お前なぁ……」
「あはは、天火も白子に怒られちゃうね」

 全身ずぶ濡れになった姿を笑えば、天火も怒ることなく「そうだな」と笑って。そこからは濡れることなんてお構いなしに、子供のように海で遊んだ。

 昔はこうして天火に連れられて海で遊ぶことがよくあった。けれど、空丸や宙太郎が生まれてからは、あまり来られなくなっていた。たとえ来ることがあっても、可愛い弟たちを見守ることに徹していて自分が楽しむなんてことは頭になかった。

 もしかしたら気を遣ってくれたのかな。普段はあんな感じだけど、天火はとても優しい人だから。おそらく私が落ち込んでいたことにも気がついていたのだろう。だから早朝に「二人で海に行かないか」と連れ出してくれたのかもしれない。自分だって大変なくせに、まったくどこまで人が良いんだか。




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