かつては自分も生徒として通っていた小学校の門をくぐり、校内に入る。校舎もグラウンドも私が卒業したときから何も変わっていなくて、なんだか安心した。懐かしい記憶に触れていると、あっという間に目的地である職員室に辿り着く。二回ほどノックをして、私はそっとドアに手をかけた。
「失礼します、鵺野先生いらっしゃいますか」
「おや、君は」
職員室を訪れた私に一番に気づいてくれたのは、妖狐もとい教育実習生の玉藻先生だ。
「玉藻先生。ぬーべーがどこにいるか知りませんか」
「鵺野先生なら教室にいたと思いますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
今日はぬーべーの忘れ物を届けに来ただけで、玉藻先生とお喋りをしに来たわけではない。会話も早々にその場を離れようと足を動かした。しかし不思議なことに玉藻先生は私の後ろをぴったりとついてくる。怖い。
「何かご用ですか」
「名前さん、だったかな。君の髑髏は実に良い形をしているね」
「怖いこと言わないでくださいよ。広くんの話は聞いてるんですからね」
この玉藻という妖狐は、元々は「人化の術」を完成させるためにこの小学校にやってきたらしい。なんでも人間界に災いをもたらすため、自分に一番適した人間の頭蓋骨を探していたとか。そしてその一番適した頭蓋骨の持ち主というのが、不運にもぬーべーの教え子の広くんだった。死闘の末、ぬーべーはなんとか広くんを守り抜いたわけだけど、その後もこの人はここで教師を続けている。もう広くんの頭蓋骨は狙っていないらしいけど、それでも前科があるだけに信じられるはずもなく。そんな恐ろしい話を聞いているだけに玉藻先生が怖かった。
「鵺野先生はお喋りだな。しかし君は広くんの次に良い形をしているよ。これは紛れもない事実だ」
「褒められてるはずなのに全然喜べない……わっ」
嫌悪感を隠すことなく見つめていれば、突然背後から現れた腕に引き寄せられる。何かと思えば、私を背に庇うようにしてぬーべーが立っていた。
「鵺野先生」
「ぬーべー」
「貴様、広だけでは飽きたらず名前にまで手を出すつもりか」
「そう怖い顔しないでくださいよ。あなたが考えているようなことをするつもりはありません」
「信用できるか!」
ぬーべーの背に隠されているため、私から玉藻先生の姿は見えない。それにしてもこうして見ると、ぬーべーって結構背が高いなぁ。背中も大きいし、安心する。
「ぬーべー、」
「どうした? もしかして玉藻に何かされたのか!?」
「ううん、忘れる前に渡しておこうと思って、これ」
「ああ、ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
真剣な表情から一変、ぬーべーは照れくさそうに笑って、私の頭に手を乗せた。大人しく頭を撫でられていると、まだそこにいる玉藻先生と目があって。
「君なら、鵺野先生の強さの秘密がわかるかもしれないな」
「え?」
「玉藻、お前まだそんなことを……!」
「これは私にとっての重要なテーマですからね。いずれ、その秘密を暴いてみせますよ」
「?」
「アディオス、鵺野先生、名前さん」
「あ、あでぃおす……」
「名前、真似しなくていいから」
よくわからない言葉を残し、玉藻先生は廊下の向こうへと姿を消した。ぬーべーは険しい顔でしばらく彼の消えた方向を睨んでいたけれど、やがてこちらを振り返って玉藻には気をつけろよ、と一言。
「今日は大学は休みなのか?」
「そうだよ。それでね、晩ご飯は鍋にしようと思ってるんだけど食べに来る?」
「いいのか?」
「うん、材料多めに買っておくね」
「しかし……いつも悪いな」
「ううん、私が好きでやってることだから気にしないで。それじゃあ私は帰るから、ぬーべーも授業頑張ってね」
「ありがとう。……なあ、名前、」
「うん?」
ぬーべーは周囲をきょろきょろと見回し、その腕のなかへと私を閉じ込めた。予想外の行動に私はすっかり固まってしまう。
「ぬ、ぬーべー、」
「すまん。どうしても我慢できなくて」
あと少しだけ、こうさせていてくれないか。耳元で囁かれた言葉に抗えるはずもなく、おずおずとぬーべーの背に腕を回して目を閉じた。
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