行きつけの書店で数冊の文庫本を購入し、店を出る。いつもならこのまま右の道を進んで家へ帰るけれど、今日はそういうわけにはいかなかった。家を出る前にリゼちゃんにあっちの方向には近寄るなと言われていたからだ。どうやら今日はそこで食事にする予定らしい。
ちなみに私に近寄るなと言うのは「巻き込みたくない」というわけではなく「そこにいたら我慢できずに食べてしまうから」というなんとも彼女らしい理由だ。私もわざわざ自分の身を危険に晒したくはないので、少し遠回りになるけれど左の道を選ぶ。食事をするなら帰ってくるのは遅くなるだろうか。日付が変わっても帰って来なければ先に寝てしまおう。そんなことを考えながらぼんやりと家路についた。
二十三時を少し過ぎた頃、リゼちゃんが帰ってきた。思ったより早かったなあ、と考えながら出迎える。
「リゼちゃん、おかえり。お風呂入れてあるよ」
「ありがとう。でも大丈夫よ。出先でシャワー浴びてきたから」
「それじゃあコーヒーでも淹……っ、んむっ」
続きを言う前に柔らかな唇に口を塞がれた。酸素が欲しくて口を開くと、ぬるりと入り込んできた舌に口内を荒らされる。その最中、舌に広がる血の味に思わず眉をひそめてしまった。もしかしてこれはリゼちゃんが食べた人間の――、そこまで考えたところで気分が悪くなり、離れようと抵抗した。けれど彼女がそれを許すことはなく、私の息が上がるまで離してもらえなかった。
「ふふ、いい顔」
「リゼちゃん性格悪い。絶対わざとでしょ」
「あら、なんのことかしら」
「血の味がする……」
「おいしいでしょう?」
「おいしくない」
「それは残念ね」
私が人間である限り、決して共有できない“人の味”。あまり舌に意識を向けないように急いでうがいを済ませると、それが終わるのを待っていたかのように近づいてくるリゼちゃん。
「……」
「そんなに警戒しなくてももうしないわよ。意地悪ばかりしていたら名前に逃げられてしまうものね」
「……もし逃げたらどうするの?」
そんなつもりはないけれど彼女の答えが知りたくて問いかける。リゼちゃんは少し考える素振りを見せて「骨まで残さず食べてあげる」と柔らかく微笑んだ。ただその表情とは裏腹に彼女の目は欠片も笑っていなかったので、リゼちゃんから離れる日が私の命日になるかもしれない。
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